文書19 世界のシナリオ
楓は目の前を泳ぐ奇妙な文字の虫に一生経っても慣れることがないように思われた。
そんな楓を尻目に、シャマシュは床に転がるグラスを拾った。
「一般に異能者は世界の記述を観る境地に至った者とそうでない者との間には力に雲泥の差がある。
己の能力を具体的に思い浮かべられることはそれだけでその者に自信と確信をもたらし、ひいては想像を強める。
そうして己が異能が大いに高められるというものなのだ。」
そういえば、と楓は自身の手を見つめた。
異能を使うということに対して、普段よりも抵抗感がない気がする。
今まで、自分だけがこういった摩訶不思議なことを引き起こせるのだと思っていた。
だから、時折この力は幻覚なのでは、と思うことがあった。
自分が単に気が狂っているだけであって、おかしいのは自分なのではないかと。
しかし、今やどうだ。
異能を使えるのは自分だけではないと知った。
本当に異能が存在するのだとお墨付きをもらった。
それに加えて、あの光景だ。
無数に文字が蠢くあの世界。
そこで実際に異能が働く様を見せつけられればもはや疑いようがない。
楓は随分と気が楽になっているのを感じた。
自分はおかしくなかったのだと。
異能は確かに存在する事象なのだと。
その自覚。
それは確かに楓の異能に対するハードルを随分と下げていた。
「さてと、カエデ少年。
今日この未熟者がカエデ少年のもとを訪ねたのは他でもない、この異能と村に関わる話なのだよ。」
シャマシュの声に楓は話に引き戻される。
そうだ、結局シャマシュは何の話をしに来たというのだろう。
単に異能を善意で教えてくれるというのならありがたいことこの上ないが、楓はそれだけではない気がしていた。
「この村を襲っている異常事態の根本の背景はこの記述を行っている神、あるいはこの世界のシステムとでもいうべき存在に意図が存在することだ。」
シャマシュがとうとうと語り始める。
「先に述べた通り"シナリオ"と呼称されるこの存在は、自ら作り上げたこの世界の青写真とでもいうべきものを持ち、それに世界を近づけようとしている。
さて、ここで問題となるのが、このシナリオという存在の目指す世界とはいかなるものか、だ。
少年、高校で世界史は習っておるな。アメリカ合衆国の成立時期と背景を少しおさらいだ。」
シャマシュが不思議な質問を投げ掛けてきた。
おさらいも何も、つい先日学んだばかりだ。
人の良さそうな世界史のおじいちゃん先生の顔を思い浮かべながら授業の記憶を引っ張り出す。
「え、えぇと。確か欧州諸国の進出に危機感を抱いた大陸内の先住民族が結集し連合を形成、初の北アメリカ統一国家が誕生した、こんな感じでいいですか。」
それが、この世界の常識だ。
どうしてシャマシュはそんな当たり前のことを聞くのだろう?
楓は首を傾げた。
「ふむ、大まかにはその程度でよかろう。それが現在につながる歴史だ。
しかし、それはシナリオの定めた予定とは大きく異なる。
アメリカ大陸はヨーロッパの列強に蹂躙され、現地の先住民族はほぼ消滅し、現地に移住した白人が後になってアメリカ合衆国として独立する、以上がシナリオにとって理想的な歴史だった。」
なんだ、それは?
楓は質の悪い空想だと、驚きを超えて呆れてしまった。
シャマシュが語った歴史はあまりにも教科書や新聞、本からかけ離れたものだ。
今の楓には全くの荒唐無稽な作り話にしか聞こえなかった。
白人が大多数を占める国なんて、そんなものアメリカ合衆国じゃない。
それだけではない、と一呼吸おいてシャマシュは話を続けた。
「本来の予定ではとある疫病で中世のヨーロッパの三分の一の人々が命を落とし、人間を家畜と同列に扱う奴隷制度や他国を力で無理やり支配し搾取する植民地主義が世界中に蔓延り、二度にわたる世界大戦で7000万人もの命が失われ、今なお世界各地で紛争が多発しているはずだった。」
淡々とシャマシュが本来この世界が辿るはずだったという歴史を語る。
なんだ、それは。
学校で習う歴史では聞いたこともない話でにわかには信じがたかった。
そのあまりもの悍ましさに楓の全身が身震いする。
「なんですか、その地獄のような世界は………………。」
楓は絞り出すように声を出した。
無論、この世界には未だに格差が存在しているし、非人道的な悲劇も後を絶たない。
しかし、シャマシュが語ることを信じるならば、明らかに本来この世界が辿るはずだったという未来は今の世界よりもはるかに恐ろしく、血生臭いものだった。
なぜ? なんのため? さっぱりそのシナリオとやらの目的が分からない。
楓は酷い困惑に襲われた。
「理由などこの未熟者も知りたい。よっぽど性悪なのか、それとも人間には慮ることすらできない深遠なる所以があるのか。
この世界のシナリオは無数の戦争と疫病、絶望で満たされた世界を望んでいる。」
怒りをあらわにしたシャマシュさんが吐き捨てるように言った。
まだ楓はシャマシュの語ることが信じられなかった。
誰が信じられよう?
人間の辿ってきた歴史はシャマシュの語る歴史と違って、どす黒く悲惨な出来事は片手で足りるほどしかなかった。
楓はふとシャマシュの語りに疑問を抱いた。
「その、ならどうしてそのシナリオ?、の思い通りにこの世界はなっていないんですか?
この世界を記述するほどの存在に不可能なんてないように思うんですが……。」
挑むように楓がシャマシュに問いかける。
シャマシュが感心したように目を見開いた。
「なぜシナリオの思うがままにならなんだかということだな?
実にいい質問だ。少年はどう考える?」
シャマシュが謎かけのように問いかけてくる。
「いえ、特には思い付きは………。」
「そうかね? 君だってつい先程シナリオの思惑を覆してみせたではないか?」
暫くの間キョトンとして、楓は記憶を手繰る。
そしてハッとした。
そうだ、他の誰でもない楓がやってのけたではないか、通常なら全くあり得ない現象を。
「………………異能。」
楓がポツリと答えを呟く。
シャマシュは正解だと言わんばかりに頷いた。
「左様。人類に与えられたシナリオに抗うことを可能とする唯一の武器、それが異能だ。
シナリオの策謀は常にその時代時代の異能に選ばれし英傑が打破してきた。
能力者を輩出する世界各地に飛び散った無数の名家は互いに緩やかに連携しながら、文字通り世界と戦ってきたわけだ。」
シャマシュの指が真っすぐと楓の胸元を指す。
「そして、今現在この村に存在する異能者の家が邑神家、遥か昔からこの地で代々運命に抗ってきた一族だ。」
楓はふと父のことを思い浮かべた。
「と、いうことは、自分の父とシャマシュさんが出会ったのも………。」
父は異能者として何か事件を防ぐため世界を旅したのではないか。
「そうだ、異能がきっかけだ。
カエデ少年の父も、かつてはこの未熟者と志を同じにして世界を飛び回った者よ。」
そうか、そうだったのか。
自分の父がかつて世界中を旅したというのは、異能者としてだったのか。
………では、ヒルトルートもそうなのだろうか?
楓は脳内に浮かんだ疑問を一旦脇にやった。
また今度それとなく聞いてみればいい。
「それと、ここ付近の異能者という意味では、グレイスという名の少女も一代で異能を覚醒させているな。」
シャマシュが思い出したかのように付け加えた。
「なっ、グレイスが!?」
楓は思いもかけなかった名前に目を見開いた。
しかし、心のどこかでそれもそうかと納得していた。
怪異に関わる楓に釘を刺し、さらにあの日、屋上で異能としか考えられない不可解な出来事を起こしていたのはグレイスではないか。
「ああ、グレイス少女には事情があって動けんこの未熟者の代わりに随分と働いてもらっている。」
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