第5章 パーティー会場

 週末、俺は友人に誘われ、とあるパーティー会場のフロアのバイトをしていた。


「……っ」


 突等に生活指導室でのことを思い出して、床を転げ回りたくなる。

 でもここはバイト先、それもこれまで外観を眺めることしかしてこなかった高級感漂うシティホテル。馬鹿な真似はできないから、下唇を噛みしめ、恥ずかしさをやり過ごす。

 先輩が頭を抱えて、頭を撫でてくれたことは昨日のことのように思い出せてしまう。


 と、ホテルの人に呼ばれ、俺たちはいよいよ会場に入る。

 大人の空間に思わず二の足を踏んでしまいそうになった。

 男性客はタキシード、女性客にいたっては映画でしか見ないような派手なドレス姿。

 トレイに飲み物やオードブルを乗せ、来客の人たちに勧めて回る。

 俺はがちがちに緊張しながら給仕の仕事をどうにかこうにかこなしていく。

 そんな俺の目に飛び込んできたのは――。


 先輩!?

 思わず心の中で、絶叫してしまう。

 先輩は胸元のざっくり開いた青いドレスに、いつもは背中に流している髪をハーフアップにして、普段は化粧気のない顔にもうっすらと化粧して普段以上に大人びている。

 さらに驚いたのは、先輩の隣にいる男だ。年齢はおそらく二十代くらい。

 背が高い、かなりのイケメン。

 イケメンは先輩の腕を引いてエスコートし、先輩は男の腕に手を置いて親しげに話していた。


 もしかして先輩の彼氏か? 認めるのは悔しいけど、お似合いだ。

 ただでさえ絵になる先輩が、イケメンと一緒にパーティーにいるのだ。

 とても俺のお出る幕なんかない。

 俺は自分の給仕服を見て、それから、イケメンを見る。

 勝ち負けとかの領域の話じゃない。そもそも俺は土俵にすら上がれていない。


「っ!」


 その時、先輩と目が合った。

 俺以上に、先輩が目を瞠って驚いていた。しかし先輩と連れのイケメンの元にはパーティー客が押しかけ、とても話せるような状況じゃない。

 さらに俺自身もホテルの人に呼ばれ、いつまでも先輩を見てもいられなかった。

 それは逆に助かったかもしれない。

 今、先輩に話しかけられても、なんて返していいか分からない。



 仕事を終え、俺は更衣室で着替えていた。

 仕事中、ずっと先輩のことが忘れられなかった。大きな失敗をしなかったのが奇跡だ。

 今頃、先輩はあのイケメンと何をしているんだろう。そんなことばかり考えてしまう。

 それに明日から学校だ。となると、当然、放課後には生徒会の活動があるわけで。

 めちゃくちゃ顔を合わせづらい……!

 あの男との関係を聞くか? ありえないっ。俺が耐えられない。

 じゃあ何事もなかったかのように振る舞うか? ……それしかないか。いや、無理!

 と、更衣室の外が騒がしくなる。


「吉井君っ」


 更衣室の扉が開け放たれ、現れたのは先輩だった。先輩の後ろを慌てたホテルの人がついてい、必死に先輩を押しとどめようとしていた。


「せ、先輩!?」

「すいません。マネージャーさん。目当ての方が見つかりましたから、もう失礼します。吉井君、来て」

「な、何やってるんですか……こんなところで」

「あなたが逃げるから、こうして探しに来たんじゃない」

「に、逃げてませんよ。俺は仕事をしてただけで……」

「ここでは迷惑になるから、外に行きましょう。さあ」


 先輩が俺の手を握り、強めの力で引っ張る。


「!?」


 先輩のひんやりして、すべすべした手の柔らかさに鼓動が高鳴った。


「先輩、手を引かなくても歩けますから……っ」

「あなた、目を離すとどこへ行くか分からないから、年のためよ」

「俺は子どもですか!? ていうか、俺なんかに構ってて平気なんですか? 彼氏さんが……」

「加納さんは、彼氏ではないわ。あの人は叔父から紹介されただけ。まあ、叔父は彼と私にくっついて欲しいみたいだけれど」

「そうなんですか」

「加納さんは叔父の知り合いの息子さんなのよ。私と彼とをくっつけて、自分の株をあげるつもりなのよ」

「……先輩もいろいろと大変なんですね……って、待ってください。もしかして先輩の、パパ活の噂の元になった人ってもしかして……」

「おそらく叔父でしょうね。何度か誘われて食事に付き合わされたりしていたから」


 その時、男――あのイケメンが俺たちの前に飛び出してくるが、先輩は軽く会釈した。


「すいません。加納さん、あなたとお会いしたのは叔父の顔を立てたまでなんです。今日ご一緒できて楽しかったですが、今日のことで十分、叔父への義理は果たしたと考えます。では私たちは急ぎますので、さようなら」


 俺はイケメンを振り返った。イケメンはたたみかけるような先輩の言葉に、二の句も告げないようで驚いた顔のまま、その場で立ち尽くしていた。


「先輩、もうちょっとオブラートに包んだ方が……」

「何故? どうせ断るのよ。言葉を飾るのは無駄でしょう」

「先輩、ちょっと待ってください! どうなってるんですか?」


 先輩は立ち止まった。


「……ったのよ」

「へ? すいません。よく聞こえなかったので、もう一度……」

「だから、あなたに、あの人が彼氏じゃないと伝えなきゃって思ったの」


 先輩はほんのりと頬を染め、呟く。

 先輩の表情に、俺は動揺してしまう。


「本当に、あなたは逃げた訳じゃないのね? だったら、ごめんなさい。私の早とちりだったわ。あなたが私たちの姿にショックを受けているように見えてしまったから。あの時みたいになんだかしょんぼりしているように見えて」

「しょ、しょんぼりですか? でも、あの時って……?」

「生活指導室よ。あの時みたいにしょげているように見えたのよ」

「そうでしたか……。でも、どうしてわざわざ俺にさっきの人が彼氏じゃないって伝えに来てくれたんですか?」

「……ぞれは、あなたのしょげた顔が見ていられなかったからよ。最近、気付くとあなたのことばかり考えてしまうの。胸の奧が締め付けられて苦しくなって……」


 うぬぼれてしまっても、いいのだろうか?

 先輩が俺を見つめてくる。潤んだ円らな瞳の中に俺が映りこんでいた。


「吉井君、しゃがみなさい」

「こ、こう……ですか?」

「ええ。そのままじっとしてるのよ」

「わ、分かりました」


 次の瞬間、柔らかな感触が俺の顔に触れた。


「!」

「先輩……」

「動かないで。そのまま……」

「……は、はい……」


 先輩は俺の頭を、生活指導室でした時のように抱いてくれていた。

 香水だろうか。花のような甘い匂いが淡く香った。

 俺は為す術なく、先輩に頭を撫でられ続けた。


「……こうすると、不思議と落ち着くの。ごめんなさい。あなたはとても迷惑に思っているんでしょうけど」

「思ってません……。俺、先輩が望んでくれるなら、どんなことにも応えたい、です……」

「それは、生徒会の臨時役員として?」

「違います。俺は一人の男として先輩のことが好きだから、です」

「……私のことが……。ありがとう、と言うべきなのかしら」

「それは、分かりませんけど……」

「どうして私なの? 同級生の女子たちとのほうがより長い時間を一緒に過ごしているでしょう。私とあなた、こうして口をきくようになったのは、本当につい最近のことなのに」

「実際に話したりするのはそうですけど、俺は一年の時から、先輩に一目惚れしてましたから」

「一年?」

「……先輩に前、見せましたよね。あの桜の……」

「盗撮ね」

「う。まあ、そうです……。あの笑顔を見たあの時から、先輩のことが……」

「そうなのね。やっぱり、ありがとう、と言うべきね。こんな愛想のない私を」

「俺の中では先輩は、素敵な笑顔の人ですから」

「答えは少し、考えさせて。これは、あなたをやきもきさせるために言っているわけじゃないの」

「分かってます。いつまでも待ってますっ」

「そんなに待たせるつもりはないわ。吉井君は、これからどうやって帰るの?」

「自転車で帰ります」

「そう。私はタクシーで帰るわ。こんな格好で電車にはさすがに乗れないし」

「そ、それじゃ、また明日、学校で……」

「ええ、また明日」

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