第3章 噂

 俺はいつものように作業をしながら、ちらっと先輩の様子を窺う。

 先輩は他の役員に指示をしながら、パソコンで作業をしている。

 いつもの放課後の、いつもの生徒会室での風景だけど、今日ばかりは先輩を気にしないわけにはいかなかった。

 先輩の耳にもあの噂は入っているのだろうか。

 華頂透子はパパ活をしている――。

 今、学校全体はその噂で持ちきりで、生徒会で活動している俺にも噂について何か知ってないかと他のクラスの奴まで聞いてくる始末。

 もちろん俺は即座に否定したが、それでも噂がなくなることはなかった。


 仕事はいつも通り、他の役員たちが帰ってからようやく一段落した。

「……吉井君。一体何なのかしら。ずっと人のことを眺めて」

「! 気付いてましたか……」

「相当鈍くないかぎり、気付くわね。何の理由もなくジロジロ見られるのは不愉快よ。それも仕事中に何も言わなかったところを見ると、生徒会がらみではないようだけど? 何かしら」

「……馬鹿げた話なんですけど、変な噂が耳に入ったもので」

「私がパパ活をしている?」

「知ってらっしゃったんですか!?」

「同級生から教えてもらったわ。本当なの、と聞かれて。もちろん否定したわ。それから先生からも呼び出されて噂の真偽を問われたわ。もちろん否定して、こっちも納得してくれたけれど」


 そんなわけないと確信していたけど、こうして改めて否定してもらうと、ほっとできた。


「……どうするんですか?」

「どうする? どういう意味?」

「どういう意味って、もっと大々的に否定したほうが……」

「その必要はないわ。聞かれたら否定すればいいわ

「それだけなんですか!? パパ活ですよ!?」

「どうしろと言うの? 校内放送で私はそのようなことはしていないと言えば、それで噂は下火になると思う?」

「……いえ」

「分かっているじゃない。人は見たいものしか見ない生き物よ。私がどれだけ否定しようが、信じたい人間はそれに耳を貸すことはない。むしろ私が否定すればするほど、いつまでも口の端にのぼりつづけるはず。第一していないことを証明するのは悪魔の証明と言われるほど至難の業よ」

「ですけど……」

「氷の女帝という不愉快なあだ名に関しても、私は大々的に否定してないし」

「それとこれとは、ぜんぜんレベルが違いますよ!」

「どうしてあなたがそんなに怒るの? あなたが言われた訳じゃないのよ?」

「それはそうですけど、先輩みたいに学校の為に頑張っている人を悪し様に言うなんて……やっていいことと、悪いことがあると思うんですっ!」

「あなたの怒りは理解したけど、私は何もするつもりはないわ。そんなことにかかずらってるほど暇じゃないもの。人の噂も七十五日。二ヶ月ちょっとの辛抱よ」

「…………はい」


 先輩は呆れたようにため息をこぼす。


「噂の本人がそう言っているんだから。あなたには関係ないでしょう」

「関係なくは、ありません。俺だって臨時とはいえ、生徒会のメンバーなんですから。会長の名誉は守りたいです。だって俺は先輩のことが……」

「私のことが?」

「……せ、せ、先輩のことを、尊敬しているんですから……!」


 危うくとんでもないところで告白するところだった!


「尊敬してくれているというのなら、なおさら私の判断に従うべじゃない?」

「……善処します」

「お願いよ。じゃあ、仕事は終わったから帰りましょうか」

「え……」

「どうかした?」

「あ、まさか、先輩の方から誘って頂けるとは思いもよらなくって」

「ほとんど毎日、あなた、私を誘って一緒に帰ってるじゃない。その逆をしただけ。そんなに驚くこと?」


 嬉しい、嬉しすぎる! 帰りたい……けど!

 今は駄目だ。もうちょっと冷静に、頭を冷やさないと。

 興奮しすぎて、噂に関して要らぬ言葉を口にした挙げ句、さらに先輩の不興を買ってしまいそうだ。


「……すいません。今日はあの、用事がありまして。駅前には行かないので」

「そう。分かった。じゃあ、また明日」

「はい、失礼しますっ」

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