第六十一話

「え? え?」

 自分の目の前で急に土下座を始めた男に、ナナメは困惑し、きょろきょろと辺りを見回して助けを求める。

「ったく」

 それにエンカが呆れたような声を出して、

「ぐべっ」

 フラトの首根っこを掴み、持ち上げ、引き摺って、椅子に座り直させた。

 それでもフラトは身体を前のめりにして、

「タナさ…………タナツサク様、数々の非礼、というか勝手にあだ名付けてごめんなさい。あと多分、色々――すみませんでした! 処刑しないで下さい。死刑にはしないで下さい」

 切実にフラトはそう言い募って、椅子の上に正座し、テーブルに額を擦り付けた。

「いえ、そんな処刑とか、死刑とか有り得ませんって。それに非礼なんて何も…………」

 ナナメも慌てたように両手を顔の前で振って否定するが、そもそもフラトにはその挙動が見えていない。

 その間、フラトが額をテーブルに落とした拍子に転げ落ちた蜘蛛は、怒りの糸玉をしこたまフラトの頭やら顔面にぶつけていた。

「っていうか、今更何言ってんのホウツキ」

 エンカが呆れた表情のまま、冷静に突っ込みを入れると、

「いや、お前こそ何でそんな冷静なんだよ。王族だぞ。王族。王女様だぞ」

 フラトはがばりと顔を起こして、エンカの方に向き直りながら、声を荒げてそんな風に言うのだが、

「いや知ってるし」

 あくまで冷静に、淡々と返されてしまった。

「は?」

「だから、最初から知ってたって」

「何でだよ!? トバクお前、タナさ、じゃなくてタナツサク様と出会ったのって僕と同じタイミングだろ。あ…………もしかしてポスターとかで顔を知って…………いや、違うよな。完全に初対面って感じ醸し出してたし、顔も知らない感じだったもんな」

「出会ったのは本当にホウツキと同じタイミングだよ。それまで顔も知らなかったし」

「じゃあどうして」

「だってタナさん、自分で言ってたじゃん」

「は!? いや、そんなこと一言も言ってなかっただろ」

「言ってたよ」

「いつ」

「自己紹介のとき」

「言ってませんー」

「言ってましたー」

「何て言ってたんですかー」

「ホウツキがあだ名にした名前だよ」

「そりゃ、自己紹介なんだから名前くらい言うだろ。魔力使い過ぎてまだボケてんのかトバク」

 どづ、とエンカが蜘蛛から糸玉を引っ手繰って思いっきりホウツキの顔面にぶん投げた。

 何故か。

 まあまあ重い音がして、折れそうなくらいホウツキの首が勢いよく回っていた。

「いってええええええええええ! 馬鹿! ばーか! ばーか! 死ぬかと思っただろうが」

 幼児退行したんじゃないかと思えるような語彙力は、果たしてどちらがボケているやら。

「タナツサク」

「…………いや、だからそれ、王女様の名前――」

「そう。それと同時に、それは私達がいた――王都の名前だよ」

「え?」

「組合で登録して、シチュー食べて、仕入れの手伝いして、宿で寝泊りしたあの都の名前は――『王都タナツサク』」

「…………………………………………っ」

 フラトは、ばっ、と勢いよく両手で自分の顔を覆って、そのままテーブルに突っ伏した。

「あ、あの、ホウツキさん…………」

 困ったような戸惑ったような。

 苦笑いの様にも見える表情で、恐る恐るナナメは突っ伏すフラトに声を掛ける。

「私は別に気にしていないので顔を上げて下さい」

「…………」

 フラトは手で覆ったままの顔をゆっくりと上げたが、その両手首にしゅるしゅると糸が巻き付き、びたん、と強すぎる勢いでテーブルの上に下ろされた、というか、落とされた。

 あまりの勢いと痛みにフラトが顔をしかめている間に、手首に巻き付いたままの糸がテーブルに接着されたように動かなくなり、真っ赤になったフラトの顔を隠せるものがなくなってしまった。

「お前…………」

 静かにフラトが蜘蛛を睨むが、蜘蛛はわしゃわしゃと前足を動かして、煽っているような仕草を見せつけてきた。

「それであの、ホウツキさん、あとトバクさんも」

「何?」

「その、よければこれからも『タナさん』と呼んでいただければ嬉しいな、と。あ、でもでも、勿論『ナナメ』でもいいのですが、お願いできませんでしょうか」

「ん。いいよー」

「ありがとうございます。ホウツキさんも、それでお願いできませんでしょうか?」

「いや…………でも王女様なわけで、あだ名は論外ですし、下の名前というのも…………」

「因みにお嬢は第四王女だ」

 唐突にトウロウが口を挟んできた。

「何が言いたいんですか?」

 フラトが問う。

「ホウツキがそのどちらをも嫌がるのであれば、必然的に苗字呼びになるんだろうが、今後、お嬢を呼ぶような場面において、周囲に他の王女様方がいないと言い切れるかな?」

「ぐっ…………そういう、ことですか」

 それはその通りだった。

 しかもそれを言ったら、彼女達の親に当たる、これまでちょくちょく話に聞いていた女王様だって『タナツサク』性である。

「…………いや、そうだ。なら『第四王女様』でいいのでは?」

 閃いたフラトに対してしかし、

「折角ここまで一緒に戦い抜いた仲ですのに、そんな仰々しく、距離感を出してしまわれるのですか?」

 うるうると、わかりやすいほどわざと『悲し気』な顔でナナメに見られた。

 そう、そんなものは演技だとわかってはいるのだが。

 それでも。

「……………………わかったよ。わかった。流石に下の名前は憚られるから、これまで通りタナさんで」

 飲むしかなかった。

 折れるしかなかった。

「はい。宜しくお願いします」

 ナナメが咲くような笑顔を見せ、そんな彼女に、

「じゃあタナさんも、私達のことは好きなように呼んで。勿論今まで通りでもいいし、下の名前でもいいしねー」

「いいんですか?」

「そりゃあねー」

「ありがとうございます! では、エンカさん、フラトさんと」

「ん」

 そんな風に。

 嬉しそうに名前を呼ばれてしまうと、ぐちぐち言っていたのが馬鹿らしいというか、それこそ空気を読めない奴みたいで、自分がみすぼらしく思えてくる。

「じゃあ折角だしホウツキ」

「ん?」

「私達もお互い名前呼びしようか。いつまでもファミリーネームじゃ同じ部隊員としてもなんかよそよそしいし」

「そうか? 別に僕は気にしないけど、まあこの流れでわざわざ断る理由もないか」

 ということで、改めてフラトとエンカの間で、呼び方が決まったのだった。

 そんな和んだ雰囲気の空間に、

「果たして果たして――」

 悪魔の不穏な声が割って入った。

 空気にひびを入れるような、心をかき乱されるような声音で。

 不安をかきたてるように――

「彼女が王族の一員だというのは果たして、本当のことなのですかな?」

 なんてことを宣った。

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