第五十八話

「タナツサク様、あなたがしたことは本当にとんでもないことでございますよ。簡単に『魔素を取り入れて』なんて仰いますが、先程も申しましたように、本来魔素と魔力は反発するものです。それをあなたは『視れたから』なんて理由で、外部の魔素を取り入れる際に自分の魔力に変換してみせ、あまつさえそれのみに留まらず、別の人間と自分を一つの個として見立てて循環の輪を作り上げた」

 人のみで、人の身で、それをやってみせたのは、正に奇跡でしょう、と悪魔は言う。

 褒め称えるような言葉を、しかし厳しい表情と、声音で。

「力業が過ぎます。魔力だって人それぞれにある程度個性が、差異があるものです。たとえそれが僅かな違いだとしても、違いは違いですから、タナツサク様からトバク様へ譲渡される際にはその変換、調整も行わなくてはなりません。大規模な術式の中で、いくつもの繊細な作業をしてのけ、そのどれかが一度でも失敗していれば、トバク様のあの防御術式は完成しなかったでしょう」

「…………ですね」

 視えていたからこそ、そして実際にされを行使していたからこそ、ナナメにはその『とんでもなさ』が他の誰よりも理解できているのだろう。

 きっと、言葉で聞いているフラトの思うそれ以上に。

「ただ――まあホウツキ様の戦闘方法といいますか、外気を体内に取り入れて自身の力とする方法は、どういった経緯でそのように変化したのかは知りませんが、長年、当たり前のようにそうしたやり方で培ってきたものでしょう。類していると言っても、矢張りその体内の力は魔力とは違うもの。魔術も使えないようですしね。故に、同じ様にできる、なんて捉えるべきではないのです。だから――でございます」

 悪魔は真剣な表情のままエンカとナナメを見る。

「だから――次も同じことが出来る、とは思わない方がよろしいでしょう」

「どういう意味?」

 エンカが問う。

「そのままの意味でございますよ。そもそも変換・調整の魔術装置のような役目を果たしたタナツサク様は、自分の輪郭がなくなっていくような曖昧な感覚に襲われた、と仰っておりましたが事実そうなってもおかしくはありませんでした。いえ、別に身体が溶けて魔力となって流れていく、なんて話ではなくてですね――」

 そういう話ではなくて。

「記憶、感情、自意識、無意識、理性、そういうを構成するものが薄れて、溶けて、流れ出てしまうという話です。寧ろ今回が最初だったからこそ自我を保てていたと言うべきで、これは私の推測ですが、その手の方法は回数を重ねて慣れれば慣れるほど、それは自分を装置のように扱うことと同義であり、自分を保てなくなっていくでしょうから、安易に使う手段ではございません」

 否――安易でなくとも、使う手段ではございませんね、と悪魔。

「まあ、やれと言われても流石に…………という感じではありますが」

 ナナメは苦笑いを見せて言う。

 その『とんでもなさ』を理解しているからこそ、そんなは想像もしたくないとばかりに。

「自分の命が、皆さんの命が懸かっていて、やらなければ死ぬ。どうせ死ぬくらいなら生きる為の挑戦を――なんて限界も限界の状況そうそうないでしょうし、あんなにも集中できることが、この先の人生でもあるかどうか」

「果たして果たして、それはタナツサク様の今後の生き方次第でございますので何とも申し上げられませんが、ただただ、私からはお気を付け下さいと、そう念押しをするばかりでございます。実際にベッドに運び込んだときのお二方の中身は――内臓も神経もずたずたのぼろぼろでございましたから」

「「えっ」」

 エンカとナナメが揃って声を上げ、同時に自分の身体を見下ろして、色々なところを動かしてみたりと試し始めた。

 痛みも違和感もなくベッドから起き上がり、更には紅茶やらお菓子やら果物を、さっきから何の問題もなさそうに食べているくせに。

「ふふふ。今はすっかり大丈夫でございますよ。皆様を寝かせていたベッドは優れものでございますので」

「本当に助けられたんだねー。改めてありがとう」

「ありがとうございます」

 エンカが真っ直ぐに悪魔を見ながら素直なお礼を口にし、ナナメは座ったまま深く頭を下げた。

 ナナメは兎も角、エンカがそんな風に素直にお礼を口にするのは珍しい。

 いや――彼女がそう簡単に人様にお礼を言うような素直な性格していないとか、そういうことではなく。

 単純に、彼女ほどの人物にお礼を言わせられるよな状況というものがなかなかないだけなのだが。

「いえいえ、こういう話し合いの場を設ける為に私の我儘で勝手にしたことでございますから、お礼は必要ありませんとも。ですが、もし、ありがたく思っていただけるのでしたら今しばらく、この話し合いにお付き合いくださいませ」

 再び悪魔はその顔に微笑みを貼り付けて、そんなことを言うやいなや、フラトへ好奇心の矛先を向けた。

「ではすみませんホウツキ様」

「ん? 僕?」

「先程訊くのを忘れてしまったのですが、私達が戦っているとき、私が空中にいて、私の影が五体、ホウツキ様を取り囲み爆破したときのことを憶えておりますでしょうか」

「あんなトラウマもんの出来事忘れられないだろ」

「ああ、良かった」

 と心底にほっとした表情を見せる悪魔だが、全くよくない。

 正直あのときは――死んだ――と割と本気で思った。

「果たして、あれを真っ向から受けて、何故ホウツキ様は生きているのでしょうか?」

「なんつう真っ直ぐな質問…………」

「曲げる意味はございませんでしょう?」

「そうだけどさ…………まあ、って言ってもあのときばかりは僕が何かしたわけじゃないよ」

「ほう。と言いますと――」

 と悪魔がエンカ、ナナメ、トウロウ、と視線を動かしていったが、全員が首を横に振った。

「はて」

 悪魔が首を傾げる。

「いや、そっちじゃなくてこっち」

 言ってフラトは自分の頭上を指差した。

「それは…………蜘蛛、でございますよね。少し、見た目が変わっているような気もしますが」

「撚蜘蛛の特殊個体らしいんだけど、爆発の直前こいつが僕のこと糸でぐるぐる巻きにしてきてさ」

「それで助かった、と」

「完全に防げたわけじゃなかったけどね」

「いやいや、完全に防げたわけじゃないとはいえ、こちらは殺す気で仕掛けましたのに、負ったのはかすり傷やちょっとした切り傷に火傷くらいのものでございますよね。あれを蜘蛛の糸で防いだ、と」

「僕だってそれを聞かされた側なら、にわかには信じられないだろうけど、実際そうだからなあ…………それ以外に説明のしようがない。まあ、信じるかどうかはそっちに任せるよ」

「ふうむ…………因みに、その後ホウツキ様は私よりも高く跳び上がって背後を取り、見事に私を蹴り落としてくれたわけですが、あれにも絡繰りが?」

「いや、それもこれ」

 フラトは再び頭上を指差す。

「僕を纏っていた糸を解いたと思ったら数本絡みついたままでさ、更に蜘蛛が天井まで糸を伸ばしてて、とんでもない勢いで引っ張り上げられた」

 背骨がへし折れるかと思うような衝撃に耐えながら、我ながらよくもまあ攻撃に転じられたなと、今更ながらに思い返すフラトだった。

「ほおう、床から天井までのあの距離を糸で……………………いやはやいやはや、何やら面白い蜘蛛でございますねえ」

 ふふふ、と真っ直ぐにフラトの頭上を見ながら悪魔が怪し気に笑う。

「あ、そうだ、それじゃあ僕からも質問返してもいいか?」

「勿論でございます。何なりと」

「あんたと戦うまでさ、この遺跡に這入ってから『扉と小部屋』『十本手の甲冑の化物』『終わらない螺旋階段』『罠付き迷路』って、どれも『1』から『10』って数字が鍵になってる、まどろっこしい仕掛けを解いて来たんだけど、最後の最後であんたとの戦闘にはそういうのなかったの何でなんだ?」

 エンカは――悪魔が最後の砦的なラスボスで、あの状況を楽しんでいるような存在が、機械的な仕掛けなわけないだろう、とかなんとか。

 そんなことを言って、フラトもまあそういうものかと、その場のノリというか勢いで納得してしまったが、改めて考えると、矢張りちょっと引っ掛からないでもないような気がして、喉に小骨が刺さったような違和感がどうも気持ち悪いのだ。

「あ、それさ――」

 と悪魔がフラトの質問に答える前に、エンカが割り込んできた。

「私とのタイマンでどの攻撃も全然通らなかったから、ダメージにならなかったから、もしかしたらあんたとの戦闘にもそういう絡繰りがあって、それを解くことで初めて攻撃が通るようになるんじゃないかって、ホウツキが戦ってる間、タナさんとそれに関してもちょっと話してたんだけど、なんかホウツキの攻撃普通に通っちゃっててさー「は?」みたいなねー。なんだよそれって、めっちゃイラついたんだけどっ!」

 何を言うのかと聞いていれば、エンカは自身の説明の途中から、そのときの感情でも思い出してしまったのか、言葉に段々と熱が籠り始め、遂にはそのイラつきをぶつけるように、

「ちょ、だからトバクお前、みかんの皮を僕に投げんのは止めろって、え、あ……………………ぎゃああああああああああああああああああああああ、目があああああああああ!」

 投げたみかんの皮が受け止められた直後、フラトが眼前で受け止めたそれをテーブルの上に置くのと同時――もう一つみかんの皮を手にしていたエンカはテーブルの上に身を乗り出すようにして、フラトの目に向かってみかんの皮をしぼり、汁を噴射したのだった。

 酷過ぎる八つ当たりである。

 というかどれだけみかん食ってんだこの女。

「ホウツキ様の言葉を借りていうならば、最後の最後だからこそ、でございます」

 しかも、フラトが慌ててキッチンに駆けこんで目を洗っているというのに、悪魔は何も気にせずに会話を続けた。

「主が言うには――」

 魔女曰く――

「『こんなところまで細々とけったいな仕掛けを解いてやってきてくれたんだから、最後くらいはぱーっと全力でぶつかっておかないと面白くないでしょ』とのことでございます」

「へえ」

 エンカは嬉しそうな笑みを浮かべながら、「ちょっと話合うかも」などと呟いた。

「ここまで細々と仕掛けを解いてきたからこそ、最後の最後でぶん投げられると消化不良のような気持ちもあるものの、あんたとの戦闘に加えてそんな仕掛けまであったら、確実に僕等は全滅していただろうからなあ、その大雑把さに感謝するべきなんだろうが…………やっぱり、複雑な気持ちだな」

 目を洗い終え、隣に立っていた影からタオルをもらって席に着き直したフラトはそう言った。

「何だ、ちゃんと話聞こえてたんだ」

「いや水流す音で本人の声は聞こえなかったんだけど、隣に立ったあの『影』の開いた口を通してそいつの声が流れてきた」

「あはははっ、何それ、面白っ」

「いや、急に隣から声聞こえてきて割と本気でびっくりしたよこっちは。つーかお前はもう少し悪びれろよ。めっちゃ痛かったんだからなみかん汁」

「べー」

 あっかんべーされた。

 むかつく。

 ――などと。

 一旦、全体としての話が止まったのを察知したのか、

「あのー」

 ゆっくりと、ナナメが手を上げた。

「おや、どうかされましたか?」

「その、お手洗いはありますか?」

「ええ、ええ。用紙してございます。というより、私こそ話に夢中になってしまい、気を配れずに申し訳ございません」

 そう言いながら悪魔が指を、ぱちん、と鳴らすと悪魔のすぐ横に影がのそりと起き上がった。

「これの後に続いて行って下さいませ」

「はい、ありがとうございます」

 ナナメが立ち上がって影に近付くと、音もなく影はベッドがあった方の部屋へと歩き出した。

「一応、俺も付いて行くわ」

 トウロウも椅子から立ち上がり、小走りでナナメの後を追う。

「さてさて――」

 などと言いながら悪魔も立ち上がり、五つのカップを回収してキッチンへ。暫くしてお盆を手に戻ってきた悪魔は、再び、五つの湯気をくゆらせるカップを元の場所へ置いていった。

 なんだかんだと皆、飲み干していたらしい。

 フルーツもお菓子も結構減っている。

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