第三十七話
エンカが、起き上がろうとするナナメの腕を取って引き上げつつ、周囲の警戒に視線を走らせている間、フラトはトウロウのすぐ傍に飛び込んでいた。
ぼろぼろ、なんて表現じゃあ生易しい。
凄惨、ですら生温い。
肌は焼け爛れ、溶け落ち、ところどころ肉は飛び散って――身体の前面がぐちゃぐちゃである。
一応、骨と、その奥にある内臓や脳が直接傷つけられていなさそうではあるが、たとえそうだったとしても、出血だけで死に至るだろう。
これを計算してやったというなら、苦しめる為の手口だというなら、過ぎた嫌がらせだが――フラトは、トウロウが黒い球体を斬り付けた直後、爆発とほぼ同時に自身の前面に淡い緑の光、魔力壁のようなものを咄嗟に展開しているのを見ている。
恐らく、あれがなければ人の形すら留めず、トウロウ・ザラメを構成していたものは四散していたのではなかろうか。
とは言え、正視に耐えない状態であることに変わりないが。
「ぁ……………………ぅ…………」
なんて、かろうじて口があっただろう箇所から、小さな呻き声のようなものが聞こえるのは、呼吸が未だ聞こえるのは、奇跡としか言いようがないんじゃないだろうか。
「タナさんもお願いね、ホウツキ」
引き連れてきたナナメをフラトの傍に置いて、エンカは片手で剣を構え、三人を庇うように前に出た。
刀身に魔力を纏わせながら、もう片方の左手を突き出して魔力弾の連続射出。
漏れなくそれらは黒い球体に命中し、あちこちで爆発を起こした。
一つの爆発で複数個誘爆させられれば楽なのだろうが、生憎とそこら辺は巧妙に計算されているらしく、爆発自体の範囲も大きくはないので、一つ一つ処理するしかなさそうである。
そんなエンカの背後で――フラトは既に手に取っていた小瓶の蓋を開け、中の液体を満遍なくトウロウの身体に浴びせかけていた。
こんな状態では、体内も体外もない。
満遍なく掛ければしっかり内側にも浸透するだろう。
流石にこの凄惨な状態ですぐさま元通り、なんて風にはいかないが、それでも効果は目に見えて劇的だった。
抉れた周辺の肉がぐじゅぐじゅと広がり、盛り上がり、その上に皮膚が被さる。
強引に、無理矢理形を戻そうとしている。
小さいままだがまだ呼吸音も聞こえる。
大丈夫なはずだ。
気力的にも――トウロウはまだ生きることを放棄していない。
「ほおう」
呟きにフラトが顔を上げると、老紳士が興味深げな視線を送ってきていたが、取り敢えず今はそこから視線を外し、自分の隣を見る。
「タナさん」
涙目で呼吸も荒く、パニックを起こし掛けながらトウロウの名を呼び続けているナナメを呼ぶ。
「タナさん」
肩を掴んでもう一度。
「タナさん」
「…………」
ゆっくりとナナメの視線がフラトの方へ移り、
「ホウツキさん…………」
力なく呟いた。
金色の両目からぼろぼろと涙をこぼしながら。
「ザラメが、ザラメが……………………私を庇って…………私がすぐに逃げなかったから…………」
「タナさん、多分大丈夫です。落ち着いて、ちょっとグロいかもだけど、ちゃんと見てみて下さい」
フラトが促すと、ナナメはまたゆっくりと視線を、横たわるトウロウに落とした。
「…………あ…………傷が…………傷が……………………うそ、これって、治ってる、んですか? ザラメは、ザラメは、まだ…………」
助けを請うように、濡れた瞳がフラトを見上げる。
そんな目を見返しながらフラトは、
「わかりません」
正直に言った。
「そんな…………でも、ほら、ザラメの身体が、戻ってます」
「はい。このままいけば多分、身体はちゃんと元の通りに戻ると思います。それにまだ小さいですが呼吸もしてますし、すぐに死んでしまうこともないかと…………なので、後はザラメさん次第です」
「ザラメ次第…………」
「生きようとさえしてくれれば。諦めないでくれれば」
多分。
別に明確な根拠があるわけではないが、きっと。
心の持ちようは大事な筈だ。
それから――ナナメは黙って食い入るようにザラメを見つめていた。
そっとトウロウの手に触れようとしていたが、ちょっと考えてそれはやめたようだった。
順調に戻っているところに、余計な外部刺激は与えたくないと考えたのだろう。
それがどんな影響を及ぼしてしまうのかわからないから。
彼女らしいというかなんというか。
しかし、そんなところにまで気が回るようになったのは良い兆候だろう。取り敢えず、落ち着きを取り戻しつつあると見ていい筈だ。
ただ――。
エンカに小瓶の中の液体を使用した際、彼女は身体が回復しても意識は暫く失ったままだったし、更に言えば、意識が戻ってからも、本調子になるまで時間が掛かっていた。
トウロウの怪我というか、損傷が、あのときのエンカと比べて酷いものかどうか、細かい程度はわからないが、死の危機に瀕している、という状況だけなら同じである。
無事に命を繋ぎ止めたとしても、この場での戦線復帰は絶望的と見ていいだろう。
恐らくそれはナナメも同様に。
となれば必定――フラトとエンカでアレを食い止め、突破しなければならない。
●
「しっ」
エンカが老紳士に肉薄しながら短く息を吐き出し、剣を振る。
「ほうほう。なかなかの速さでございますね」
余裕を滲ませながら、老紳士は立てた人差し指と中指の第一関節辺りを少し曲げ、そこに引っ掻けるようにして、自分の首に迫ってきていた刃を受け止めた。
一滴の血も流さずに。
だが。
「取り敢えずお返し」
老紳士が受け止めたのとほぼ同時に、刀身が爆発した。
刀身が、というかそこに纏わりついたエンカの魔力が膨れるようにして、爆発に似た現象を起こした。
爆風に乗るようにエンカが大きく後ろに飛び退き、フラト達の近くに着地。
爆発で生まれた煙が晴れたそこには――傷一つなく、服に焼けた跡すら付いていない老紳士の姿があった。
相変わらず姿勢正しく、ぴんと背筋を伸ばして、微笑みまで浮かべている。
「今ので無傷なんかよ」
エンカの口角が嬉しそうに上がる。
「ではでは、私も――」
言って老紳士が右手を上げると、初めから持っていたかのように、違和感なくそこに杖が出現した。
まるで、今まで透明だったものに急に色が付いたかのように、フラトやエンカが亜空間収納から物体を取り出すのとは違う出現の仕方だった。
そのまま動きを確かめるように――と言うには些かパフォーマンス的に過ぎる動きで杖をくるくると回した老紳士は、最後に、かつん、と床に軽く打ち付けた。
「いつでもどうぞ」
「はっ」
エンカの瞳が獰猛に煌めき、誘いに乗るように腰を落として上半身を軽く倒し、ぐん、と勢いを持って老紳士の方に向かおうとした――が。
だん、と一歩。
エンカは踏み出した足で床を力強く踏み付け、動きを止めた。
「ふうぅぅぅぅぅぅ」
目を細め、獣の唸り声のように深く息を吐き出す。
「っぶなー。危ない、危ない。楽しくて周り見えなくなるとこだったー」
顔を上げたエンカの表情には幾分冷静さが戻っているように見え、彼女は静かに、踏み出した足を後ろに戻し、再び、身体から力を抜いて腰を落とした。
更に、右手で持った剣の切っ先を、老紳士に向けたまま引き絞るように構え、逆の左手は指先を揃えて真っ直ぐ、こちらも老紳士に向けて突き出した。
フラトには見たことのない構え。
だが果たして、それは通用するのだろうか。
あんなの――これから『突き』ますと言っているようなものだ。
だからってその構え自体をフェイントに使うには、別の動作に移行する際のロスが大き過ぎて、結局のところフェイクを入れる意味がないように思える。
そんな風に、疑問に思うフラトとは対照的に、
「凄い」
背後から聞こえた感嘆の声に振り向く。
そこでは、トウロウの傍に膝を突いたままのナナメが、真っ直ぐにエンカの方を見つめていた。
トウロウに関してはもう見守っているしかない。気を失っているので、流れ弾なんかが当たらないように気を付けるくらいしか出来ることがない。
であれば、少しでも今の為に役立つことを――とでも思っているのだろう。恐らく。
「タナさん…………その瞳」
彼女は、ここまでずっと掛けていた丸眼鏡を外し、エンカの方を真っ直ぐに見つめるその瞳は――七色の斑に煌めき輝いていた。
「っ…………」
一瞬、息を呑み、見惚れそうになってしまった。
甲冑との戦闘時、石突にランダムに現れる数字を見事に看破していたのは、彼女の掛けている眼鏡こそが何かしらの魔具なんじゃないか、とフラトは考えていたが、瞳の方にこそ何やら秘密があるようだった。
寧ろ眼鏡は、変化する瞳を隠すような役割を持っているのかもしれない。
「とんでもない魔力が、トバクさんの持つ剣に凝縮されてます。あんな密度の魔力、初めて見ました」
「へえ」
驚愕したようにナナメは言う――が、フラトにはその凄さが正直、よくわからない。
先程の爆発で、一度は霧散した魔力が再び剣に纏わり付いているし、そこから威圧感のようなものを感じるのも確かだが。
そんなに驚くほどのものなのか。
フラトからすれば、甲冑と戦闘を繰り広げていたエンカの方が、今よりもわかりやすく、明確に『凄く』見えた。
何なら目の前にある、七色の斑に煌めくナナメの瞳の方が凄いようにも見える。
だから『ふうん』とか、『へえ』とかしか言いようがない。
表情からも、ナナメが心底から自分の見ている景色に驚いているというか、感動しているのはわかるのに、その感覚を共有出来ないというのは、少しもどかしい。
――とかなんとか。
そんなことを思い、だったらこれからのエンカの動きをこそしっかりと見て、ナナメが驚愕している理由を確かめようと、真っ直ぐに見つめるフラトの視線の先で――エンカの姿が一瞬ブレて、掻き消えた。
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