第三十八話
残像を残すほど、凄まじい速度での踏み込み。
すぐにフラトの目が捉え直したエンカは、その一瞬で、老紳士との距離を半分ほど詰めた中空にいた。
だが、まだ半分。
五メートル超、足りない。
なのに――エンカは引き絞った剣を真っ直ぐ突き出していた。
「ほうほう」
感心したような声を上げる老紳士に対し、エンカの突き出した剣先、そこから、魔力により形成された疑似刃が伸び、迫る。
踏み込みから――突き出し、疑似刃の展開はほぼ同時に行われ、普通は絶対に当たらないであろう間合いからの、必殺の突き。
その間合いでは届かないだろう――なら突きの構えはフェイク――何をしてくる?
なんて、突き以外の来るはずのない別の攻撃に身構えようとしたときには、既に刺し貫かれている確殺の刃。
そんなものに、だが老紳士は焦る様子すらなく対応した。
持っている杖をくるんと回し、魔力で出来た刀身の横から当てることで、剣の軌道そのものを逸らした。
ぎゃぎゃぎゃぎゃ――と魔力による刃が杖を擦る異様な音が響く。
しかも、その直後には老紳士の姿まで掻き消え、未だ中空にいるエンカの真下に出現していた。
体勢低く、突き出された杖の先端がエンカの顎を下から狙う。
「ちっ」
舌打ちをこぼしながら、エンカは頭を振って避けるのと同時、伸ばした左手の人差し指と中指を真下に向けて間髪入れずに魔力弾を発射。
超至近距離からの攻撃だった筈だが――老紳士も老紳士で異様な反応速度を見せ、直撃を回避。
一発だけ軽く頬を擦り、黒い液体を飛び散らせた程度だった。
「やっぱ人間じゃないんか」
そんなことを言いながらエンカは身体ごと思いっきり回転させ、既に突きの体勢から引き戻していた剣を振り回す。
無理な体勢からの攻撃にも拘わらず、振り回された剣は、床すれすれから擦り上げるように老紳士の顔面を狙うが、当たらず。
そのまま着地したエンカは――慣性でまだ回り続けようとする身体の勢いを殺さず、廻し蹴りを放とうとしたが、
「げっ」
いつの間にか、老紳士と入れ代わるようにそこにあった真っ黒な爆発球体を見て、瞬時に全身に力を入れて蹴りを途中で止め、自身の前面に魔力による障壁を展開。
爆発とほぼ同時に後方に跳び退る――その最中、フラトはエンカが張った魔力障壁にひびが入るのを見た。
「こんにゃろう、小癪な真似を。もっかい!」
着地直後、エンカはすぐさま踏み込んで離れていた老紳士に再度接近。
横に振った剣が老紳士の首を狙うが、滑り込ませるように出現した杖が刃を防いだ。
間近で睨み合う二人。
老紳士は薄い笑みを貼り付け、エンカは獰猛に口角を上げる。
「おや?」
「しッ」
エンカが左手で杖を掴み、老紳士の腹に蹴りを繰り出す。
老紳士は迷うことなく杖から手を放し、両手を交差して蹴りをブロック。
エンカはそんなブロックなどまるで意に介さず、強引に老紳士を後ろに蹴り飛ばした。
「っ!」
そのまま蹴った足で踏み込み、離した間合いを詰めながら、老紳士から奪い取った杖をぶん投げる。
くるくると回りながら老紳士に飛来する杖はしかし、ぱちんと指が鳴らされるのと同時に消失。
構わずエンカは、右手の剣で突きを繰り出し喉を狙う。
「いやはやその狂気、勢い衰えず、寧ろ増す一方で楽しいですねえ」
嬉しいですねえ、などと謳うように言いながら突きを紙一重で躱し、いつの間にか再び手に握っていた杖の先端を、やり返すようにエンカの喉元目掛けて突き出してきた。
「うわ、性格悪っ」
エンカはこれを皮一枚掠めさせるだけで躱し、左掌を老紳士の眼前に翳した。
そこに出現したのは魔力で形成された真っ赤な球体。
それは放たれるでなく、その場で膨張、膨張、膨張――爆発。
エンカの身体と老紳士の身体が離れるように吹き飛ばされた。
「トバクさんっ!」
悲壮な声でナナメが叫ぶ。
目の前で横たわっているトウロウが、爆発に飲まれた映像でもフラッシュバックしたのだろう。正直フラトも一瞬脳裏を掠めた。
心臓に悪い。
「大丈夫、大丈夫」
空中で体勢を立て直しながら身を捻り、軽やかに近くに着地したエンカが言う。
首筋から細く血が垂れ流しながら。
老紳士の杖による先の一撃だろうが、動脈は外れていたらしく、噴き出していないのが幸いか。
エンカも老紳士も、今の爆発の影響は微塵も受けていない。
「いやいや無茶苦茶しますねえ、お嬢さん」
「言う割に無傷どころか、服に焦げ跡一つ付いてないのが腹立つんだけど」
「ふふふ」
軽薄に笑う老紳士の姿がその場から消え、エンカの姿も掻き消える。
再び現れた両者は、互いの中間で杖と刃をぶつけていた。
そこから始まったのは――剣と杖による近接での超高速戦闘。
加えて、エンカは魔力弾による砲撃を挟み、老紳士は爆発球体を呼び出し、巧みに相手の動きを誘導、あるいは牽制しながら衝突を繰り返していた。
甲冑と戦闘していたときとは、段違いの鬼気迫る集中力。
「あれは……………………あれは、なんなのですか」
絶望したような声がナナメから上がる。
「なんなのって――」
「あの、老人の皮を被ったモノです」
「皮を被ったっていうのは、人じゃないと?」
まあそんなことは、大体最初から予想していたが。
エンカの魔力弾が掠め、飛び散った液体は黒かったし、その傷もいつの間にか消えてしまっている。
しかし――なら、今更そんなにも驚愕するナナメにはどう見えているのか。
未だ、七色の斑に煌めく瞳は何を映しているのか。
「真っ黒で真っ暗闇で、深くて深くて深くて――不快な黒色。魔力ですらない、けれど圧倒的な力の塊のようなものが、人の形に押し込められて蠢いているんです。気持ち悪い。あれは駄目です。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。ただでさえトバクさんの魔力量だって異様なのに、それを圧倒的に上回るあの気持ち悪いモノが……………………あのままじゃあ、トバクさんが…………」
言いながらナナメが表情を歪める。
それほどまでに絶望的な光景が見えているらしい。
それをどれだけフラトが共有できなくとも、彼女のその『眼』が信頼出来ることはなんとなくわかる。
彼女の『眼』があったおかげで、甲冑の仕掛けを突破できたようなものなのだから。
ならば――さて。
今のナナメが『視た』情報は、エンカに伝えてあげるべきだろうか。
いや、声を掛ければ、一瞬と言えでも隙を生んでしまいそうだし、集中力を削ぐのも気が引ける。
大体、相手が人じゃないことくらいはエンカだって気付いているだろうし、老紳士がどれほどの力を秘めているのか、正確にはわからなくとも、ああして対峙してぶつかり合っているエンカの方が、よっぽど体感として理解している可能性は高い。
ならわざわざ呼びつけるほどのことでもないか――などと。
フラトがちょっと逡巡していると、吹き飛ばされたエンカの身体が転がってきた。
二度ほど背中を床に打ち付けて転がりつつも、勢いに任せて強引に身体を起こして立ち上がる。
「くっそぅ」
愚痴をこぼして睨みつける先、老紳士は相変わらず薄い笑みを貼り付けたままくるんと回した杖を、かつん、と床に突きつけて、追撃もせずにその場に立っていた。
改めて見ても、確かに妙な不気味さは感じるが、多分これはナナメの言う気持ち悪さとはまた別種のものなのだろう。
ナナメはアレの中身を視ているのだろうが、フラトはあくまで外側から観察した印象でしかない。
呼吸、視線の動き、話すときの口の動き、体重移動などは『人型』に準じているように見える。
そこら辺に矛盾がないのが、フラトにとっては違和感と言えば違和感だろうか。
人ではないのに、人の振りをしている。それもかなり巧妙に。
そもそも何故、わざわざ人の形を取っているのだろうか。
さてさて。
んー。
フラトは悩む。
ナナメの言葉からするに、このままではエンカに勝ち目がないのだろう。
確かに、エンカの攻撃は、掠ったものでさえもう綺麗に直されてしまっているのに対し、僅かずつエンカ自身の傷は増えていっている。
このままいけばじり貧だろう。
だが、じゃあどうすればいいのか――明確な答えもなく、エンカの戦闘をおいそれとは止められない。
そもそも老紳士に戦闘の意思――こちらに対する害意がある以上、避けてはここから先に進めないのだし、誰かが戦わなくちゃならない。
何より対面しているエンカが、未だに笑みを消さず剣を構えているのだから、これを止めるのは野暮というものだろう。
無粋極まる。
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