第三十六話

 エンカの補給と回復が完了し、四人は改めて、真っ黒な『門』の前に立っていた。

「準備はいいね?」

 エンカが問う。

「行けるよ」

「大丈夫です」

「問題ない」

 三人の返答を聞いてすぐ、エンカは足を踏み出して『門』の中へ。

 すぐ後ろに三人が続く。

 ねっとりと、粘液性のものが身体に纏わり付く感覚。

 全身を包まれても、しかし、呼吸ができることを不思議に思っているのも束の間。

 いつの間にか全身を包んでいた粘性の感覚は消え、視界も明るくなっていた。

 瞬き一つ――気付けば四人はただただ、だだっ広いだけの何もない四角い空間に放り出されていた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 声を出さず、周辺を念入りに確認するでもなく、四人の視線はただ一点を睨みつけるように見据えられている。

 最大限の警戒心を持った臨戦態勢で。

「おや。どちら様かと思えば、珍しいお客様でございますねえ」

 四人の視線が交差する場所に立つソレが、穏やかな声で、気楽そうに言った。

 姿勢正しく、折り目正しく。

「ともあれ――ようこそ皆様方」

 言って一礼する――白髪の老紳士。

 薄い笑みを浮かべ、ともすれば愛嬌さえ感じそうなものなのに、何故かその老紳士が纏う雰囲気は嫌なものだった。

 いや、もっと直截的に言ってしまおう。

 フラトはその老紳士が気持ち悪かった。

 物腰柔らかそうでいる割に、目の前からの圧力――プレッシャーが尋常じゃない。

 事ここに至って懇切丁寧な案内人が現れた――なんて話では、絶対にない。

「…………ふぅ」

 フラトは小さく息を吐き出し、浅く速くなりそうな呼吸を意識的に落ち着けた。



 トウロウも、フラトと同様――逸りそうになる気持ちを意識的に沈めていた。

 安定的な呼吸の繰り返しを意識する。

 目の前の老人には違和感しかない。

 山賊や盗賊の類のような、わかりやすい暴力的な気配はないが、かといって組合に所属している人間かというと、そういう雰囲気もない。

 というか、こんな場所に老人が一人きりとか。

 怪しむなという方がおかしいというものだ。

 相手が『何か』など、どうせ考えても碌な答えは閃かない。

 ならば、何が起きてもいいように――と、トウロウはいつでも動き出せるように身構えた。



 ナナメは自らの思考に深く潜り込んでいた。

 嫌な気配、気持ち悪い雰囲気、ひりついて乱れる自分の感情。

 そういう直感的に感じられる何もかもが、目の前の老人を全力で危険だと叫び散らかしている。

 ――果たして。

 目の前の人物は、本当に何者なのだろうか。

 わからない、わからない、わからない。

 こんな場所に一人で立ち、こうして自分達を迎えるように向かい合っている。

 いや、違う。

 迎えているのではない。これは待ち伏せだ。

 正々堂々、隠れもせず、正面からの待ち伏せなのだ。

 目の前の人物が何者か?

 そんな自分の思考を、心の中で嘲笑する。

 自分達四人の中にはエンカ・トバクという、王都内において比肩する者のほぼいない、それこそほぼ『最強』と一緒に来ていて、それでも無傷では済んでいないのだ。

 動きに支障を来すほどの損害はないとはいえ、それでもあちこちに傷を負っている。

 だというのに、目の前の老人――老紳士は無傷である。

 服に破れ一つすらないのだ。

 自分達の様に、入口からここまで踏破してきた者とは、到底思えない。

 最早、人であるかどうかすら疑うべきだ。

 何者ではなく――何物なのか。

 遺跡内に、こうして言葉を話し、感情を表し、まるで人の様に振舞うことのできる『何か』がいるなんて、聞いたことも読んだこともない。

 遺跡なのだから――なんて言ってしまえば、結局のところ何もかもが『有り』になってしまうのだろうが、そんな思考放棄をナナメは自分に許さない。

 遺跡内にはどんなにロマンをくすぐるお宝が眠っているのか。

 それを簡単に手に入れさせない極悪な罠の数々。強力な魔獣すらも闊歩し、牙を向いてくる。

 そういう話は出回っているのに、人の様なものに出くわしたなんて話は一切ない。

 そう――だからこそ、『魔女』なんて存在がまるで怪談噺のように、御伽噺のように、されている程度なのだ。

 もしも人影なんて見掛けようものなら、もう少し現実味を帯びて『遺跡』の話題と一緒に、あちこちで語られてもいいようなものなのに。

 勿論、これまで遺跡に関する情報は調べられる範囲で調べ尽くした。

 ナナメであれば、そこそこ厳重に管理されているような情報でも、ある程度は閲覧できる。だが、そのどこにも『人型の何か』に関する情報はなかった。

 ならば――目の前の老紳士こそが、怪談噺のように噂される『魔女』なのかと一瞬考えたが、その思考はすぐに振り払った。

 男とか女とかそんなことは置いておくとしても、目の前の老紳士をそうであるとしてしまうには、違和感があった。

 いや、初めての遺跡挑戦で違和感がどうのこうの何を言っているのだという話だが。

 それでもナナメは、何かしらの『存在を視る』という点において、自分の感覚にそこそこ自信があるのだ。

 その直感を信じるならば――アレは。

 アレは、魔女などではない。

 別の――どこまでも純粋で、果てしなく邪悪な何かだ。

 自分の中で膨れる嫌な感じが止まらない。



 エンカは目の前の老紳士が只者ではない――只物ではないことを直感的に理解して、口の端が吊り上がりそうになるのを抑えていた。

 焦らない、焦らない。

 ここまで来て急に飛び出すような、飛び込むような愚を犯すべきではない。

 向こうが形振り構わずこちらを葬りたいのなら、お喋りなどせず、自分達が出てきた瞬間を狙って、特大の攻撃でまとめて塵にでもすればよかったのだから。

 まあ、それを狙われても、素直に喰らってやるつもりなどエンカにはないが。

 兎も角。

 老紳士がそういう手段に出ないのであれば、こちらも少しは様子見をすべきだろう。

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 あー、戦いたい。

 戦いたい、闘いたい。

 アレは、あいつは――絶対に強い。



 動きを見せず口も開かない四人に対し、老紳士は肩を竦めて言う。

「三時間です」

「「「「…………」」」」

 発言の意味も意図もわからず、矢張り誰も何も言わない。

 そんな四人に、老紳士は薄い笑みを貼り付けたまま床を指差した。

 ぽつん、と床に転がる拳大の石。

「あ」

 エンカが試しに、とばかりに真っ黒な『門』に向けて投げつけた石だった。

「三時間。たったの三時間をこんなにも長く感じることが今まであったでしょうか。いやはやいやはや、気持ち、なんてものは本当に不思議なものですねえ」

 老紳士は謳い上げるように言う。

「待ちました。静かにじっと、今か今かと待ちました。あぁ、きっと一秒後、いや十秒後、いやいや一分後くらいには目の前に現れてくれると、待ったのです」

「……………………あなたは、何なのでしょうか? まさかここまで来て案内人、なんて言いませんよね?」

 痺れを切らしたように、一番最初に口を開いたのはナナメだった。

 意味のわからない相手の言葉を無視して、直球の疑問を投げつける。

「ふふっ、案内人ですか。ええ、ええ…………それは、それは良いですね。ふむふむ。確かに案内人と呼べなくはないですねえ、私」

「というと?」

「もうわかっているのでは?」

「死後の世界への案内人、なんてくっさいことは言わないで頂きたいのですが」

「或いはあなた方の求めるものへの」

「成程。その両極端な二つを隔てるのは矢張り、あなたがこの遺跡に組み込まれた仕掛けであり、それを私達が解けるかどうか、ってことで宜しいのでしょうか」

「ふふふ」

 楽しそうに笑いを漏らしながら老紳士が両手を少しだけ上げた。

 ぱち、ぱち、ぱち。

 小気味良く老紳士が指を鳴らす。

 音が一つ鳴る度に、シャボン玉のような真っ黒な球体がふよん、と生まれた。

 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。

 空間内のあちこちに真っ黒な球体が出現する。

 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち――と。

 音の数だけ急速に増えていく。

 そして――ぱちん。

「っ!」

 最後に鳴らされた音で生まれた球体は、ナナメのすぐ傍だった。

 ふよん、と風もないのに、何かに吹かれるようにその形を僅かに歪めながら中空を浮遊し、球体が更にナナメに接近する。

「っ」

 警戒してナナメが一歩後退するのと同時に、トウロウが動いた。

「お嬢っ!」

 ナナメの腕を掴んで引き寄せつつ、入れ替わるようにトウロウが前に出て、抜いていた剣で迫りくる球体を斬りつけた。

 瞬間――ドっ。

 球体が爆発。

「ザラメっ!」

 投げ飛ばされ、尻もちをついたままナナメが叫ぶ。

 真正面の至近距離から爆発に飲まれたトウロウは、その場で力なく崩れ落ちた。

「ザラメええええええええええええええええええええっ!」

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