第三十五話
「うぶぇっ」
エンカの首に巻き付いた糸は、当然、フラトの頭上から伸びていた。
ぎぎぎぎぎぎぎぎ――と、錆びついた機械の効果音でも鳴らしそうな挙動でエンカが振り向き、目をガン開いてフラトを睨みつける。
「いやいやいや僕じゃない! 僕じゃないから! こいつが勝手にやったんだって!」
人差し指を立てて、こっちこっち、と自分の頭上を必死に指差す。
怖過ぎる。
ぎょろ、とエンカの視線が蜘蛛を捉え、一歩一歩と近付いてきて目と鼻の先。
そこまで近付いてきたところで、エンカの首から糸が離れた。
まあ、締め付けたのは、小部屋を出て行こうとした一瞬だけだったようだが。
「ここで糸を放したってことは、私に何か用があるんでしょ、蜘蛛ちゃん。何よぅ。まさか『呼んでみただけ』とか許さないからねー」
フラトには殺気のこもった眼差しを向けてきた割に、蜘蛛に話し掛けるその声音には少し、柔らかさがあって解せなかった。
「お、おっと…………?」
そんなエンカを、蜘蛛が束にした糸で額を押してその場から一歩、二歩と退かせ、
「?」
彼女の眼前で、その糸束を八本に分裂させて見せた。
更に、更に――八本の束を構成する細かな糸が、しゅるしゅる、と踊るように動き、くねり、歪み、束の先端の形状を変化させた。
出来上がったのは――小さな剣。
八本の、蜘蛛糸製の小さな剣を形作っていた。
一本一本は掌に収まりそうな、小さなそれらの石突同士が付き合わされ、八本の剣が円形に並び、それがエンカの目の前で、風車のようにくるくると回った。
見せつけるように。
訴え掛けるように。
「なに、もしかして…………出せって言ってんの?」
エンカの視線が蜘蛛から外れてフラトを捉えるが、そう問われても、フラトにも知ったこっちゃない。
ある程度の意思疎通を図れるとは言え、基本的にはこちらの言葉や意思を蜘蛛の方が勝手に汲み取ってくれるだけで、こちら側は蜘蛛が何をどう考えているかなんて全然わからないのだから。
本当に、全然、まじでわからない。
「ってもわざわざ私を止めてこんなものを見せてきてるんだから、お遊びってことでもないでしょ。何かしら訴え掛けてるのは確かなんだろうし、それに、わざわざ剣を作ってその数が八本っていうのも気になるしね」
よし、と言ってエンカが自分の亜空間収納を起動。
「何か知らんけど、やったろうじゃん」
ふふん、と遂には笑みまで見せて、エンカは靄の中から一振りの、真っ黒な剣を取り出した。
甲冑の仕掛けを解いたことで手に入れた魔剣。
その剣を特段構えるでもなく垂れ下げたまま、大きく深呼吸を一回。
僅かに空間が歪んだように見えた直後――エンカの目の前に八本の剣が顕現した。
確か最初、手に入れた際は九本の剣が顕現していたはずなので、二度目の起動でもう、そこら辺の加減ができるらしい。
器用なものである――いや、彼女は自身がそこまで細かい魔力コントロールに長けていないと言っていたから、魔剣の方が高性能なだけかもしれないが。
ともあれ、エンカは呼び出した八本の剣を、蜘蛛がそうして見せたように、石突同士を付き合わせるように円形に並べた。
「で、どうすんの? 同じように回せばいい?」
その状態のままエンカが蜘蛛に問う――と。
当然返答はないが、反応はあった。
蜘蛛が自分の糸で作り出した八本の剣を、エンカが顕現させた剣の柄に巻き付かせ、物凄い速さで引っ張るように小部屋から通路へとすっ飛ばしていった。
咄嗟にフラトが窺うようにエンカの方を見たが、
「いや、私は操作してないよ今の。寧ろ何もしてないからこそ、その蜘蛛ちゃんが引っ張るままに吹っ飛んでいったって感じ」
言いながら、エンカも不思議そうに通路の方を見る。
「行っちゃいましたね…………一本だけ残して」
ナナメが言う通り、飛び出して行った剣は七本。
未だ一本は、蜘蛛糸で出来た小剣を柄に巻き付けられたまま、この場に残っている。
「もしかして…………もしかしてですが、いや、でも七本だけが飛び出していった理由なんてそれしか思い付きませんけど、でも、でも…………そんなこと、可能なのでしょうか?」
興奮しているのか、些か早口になるナナメ。
「残る柱は八本。蜘蛛さんが糸で作り出した剣も八本。そして柱が目の前にあるこの場に一本は残り、七本だけが飛び出して行ったというのは、この状況と照らし合わせて考えるのであれば、つまり、そういうことなのですが、でも――」
でも。
「これだけ広大なんですよ」
ナナメが自分で作り上げた地図を広げて見せる。
細かく、けれど丁寧に正確に書き込まれた自作地図。
単に通路だけが書き込まれているわけじゃなく、そこにはどんなトラップがあったのか、そのトラップがどういう条件で起動したのか、事細かに描かれた一大傑作。
「しかも通路はいくつにも枝分かれしていますし、ここからの遠隔操作なんて――」
「――いや」
ナナメの言葉を遮るように、フラトが口を開く。
「いや、遠隔操作じゃないかも……………………多分」
「どういうことですか?」
「こいつ――」
とフラトが視線を頭上の方に向けながら言葉を続ける。
「――柱のある小部屋を出るとき、決まって柱に糸の塊みたいなものを吐きつけてたんですよ。最初はなんかイライラしてるのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだったし、じゃあ何してんだろうってずっと思ってたんですけど…………」
イライラしているのかと訊いたら、頭の上で変なステップを踏まれたのを思い出す。
「もし、目印というか、道標を作っていたのだとしたら?」
「道標…………つまり、その蜘蛛さんが柱に吐きつけていた糸の塊から、ここまでずっと、私達も気付かないほどに細い糸が続いていたということですか?」
「ですかね。場所がわかるだけじゃあ正確に通路は進めないでしょうし。でももし仮にそうなんだとしたら、それを辿ればいいだけになるんじゃないですか?」
「そんなの…………凄過ぎますよ……………………もう特殊個体とかそういうレベルの話じゃなくなってきますけど」
唖然と呟くように言いながら、フラトの頭上の蜘蛛を見つめるナナメのすぐ傍で、
「あ」
エンカが声を漏らした。
「どうした?」
「飛んでった剣が一つ…………いや、二つ、止まった」
「止まった? 場所わかるか?」
「んー、何となくの方角と距離くらいなら……………………とか言ってる間にも三つ、四つ…………速いねー、五…………六……………………七。全部止まっ…………いや、また動き始めて…………違うな、場所はこれほとんど変わってないのか。その場で動いてるだけって感じ、振り回してるのかなぁ?」
「それって、もしかして全部の剣が小部屋まで辿り着いたから、順番に斬って壊してるんじゃないのか?」
「そうかも…………って、ちょっ!」
ぴくり、と目の前に残った一本の剣が動くのと同時、エンカが今まで集中の為にか閉じていた目を開いて声を上げた。
「っっっっっっっっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおお待ったああああああああああああ!」
引っ張られる剣にエンカが飛び付き、踵を滑らせながら強引にその飛翔を停止。
「折角なんだしさ…………最後は私に、やらせてよっ!」
言いながら、元々手にしていた魔剣を一閃――『10』と描かれた柱を切断した。
ごり、と重苦しい音を立てながら切断面がずれ、重力に従って落下。
それが重苦しい音を立てて床に衝突してすぐ、柱は床に沈むように消えていった。
「っしゃぁ」
喜びの気合と共に、エンカは柱を切った魔剣を頭上に放り投げ、すかさず亜空間収納を起動して、靄の中に落とした。
当然、蜘蛛糸製の小剣に絡みつかれていた方の剣も霧散して消えている。
いつの間にか、蜘蛛の周りには飛んでいったはずの、糸で作り上げた小剣が戻ってきていて、ひょろひょろ浮遊していたが、それもすぐに一本一本の糸にばらけ、蜘蛛の下へ収納された。
「さて、『10』の柱が斬れてリセットされなかったってことは、蜘蛛ちゃんもちゃんと順番通りに柱を破壊してくれて、仕掛けを解くことに成功したと思うんだけど――」
と
「トバクさん、退いてください!」
「っ!」
急に叫んだナナメの言葉を確認するでもなく、エンカは瞬時にその場から飛び退いた。
「っと、うわー……………………何か、気持ち悪ぅー」
柱があった場所周辺の床からぼこぼこと、真っ黒な液体が溢れるように床にこぼれ出していた。
すぐに、床に水溜まりを作り出したその真っ黒な液体は、今度は歪に立ち昇り始め、二メートル程の高さの長方形を形成。
「扉、のようにも見えますね…………」
「扉ってか、門って感じじゃない? まあ、真っ黒で奥とかも見えないけど」
「一応、この迷路は攻略したってことになるんでしょうか」
「だろうね」
「ってことは蜘蛛さん、本当に七本の柱を壊してくれたんですね。しかも順番通りに」
「ほんと、まじで常識外れ過ぎて規格外だよねその蜘蛛ちゃん。――というわけで、この遺跡を無事に出れても、この蜘蛛ちゃんのこと他にはあんまり喋らないでね」
エンカが、ナナメとトウロウに向かって立てた人差し指を、自身の唇の前に当てるような仕草をしながら言った。
「約束します」
すぐさまナナメが答え、トウロウを見上げる。
「はっ。ここを出れたら、なんて気が早っったああああああああああ!」
ナナメの振り上げた右足のつま先が、トウロウの脛に突き刺さった。
「わかったわかった。もしこのまま無事に出れたらな。ま、出るまでにその蜘蛛がおっ死んじまったら意味ねぇええええええええええええっ!」
逆の足の脛にもつま先が突き刺さった。
本当に学習をしない。
最早、わざと言葉にすることで、身体を張ってこちらの気を引き締めようとする、とんでもなく器のでかい優しさなのかとさえ思えてくる。
多分、というかまあ間違いなく違うのだろうが。
「ま、よろしくね」
言いながらエンカは亜空間収納を起動し、中から拳大の石を取り出した。
それを雑に真っ黒な長方形へ投擲。
石は、ぐにゃり、と埋まるようにして飲み込まれ、消えた。
「裏側に…………突き抜けたわけでもないですね」
回り込んで確認したナナメが言う。
「矢張り、どこか別の場所へ繋がる『扉』、或いは『門』のような役割を果たしているのでしょう。まあこの場合――別の場所、というより次の仕掛けなわけですが」
「ふむ」
と少し考えるような素振りを見せるエンカに、フラトが話し掛ける。
「なあトバク」
「ん?」
「今魔剣使ってたけど、それって燃費悪いんだろ? このままこれ通って次の仕掛けに挑めるか? 一応ここまでの仕掛けって、こっちが何もしてないのにいきなり襲ってくるようなものはなかったけど、だからってこれを通ったらいきなり攻撃される、なんてことがないとは言えないと思うが…………」
「うーん……………………そうだね、ホウツキの言う通りかな。ってことでごめん、折角これから行こうって動き出そうとしたばっかりなのに、足は止めたくないんだけどさあ…………」
「いや、止めましょう」
力強く言ったのはナナメだった。
「本当はここから三日程掛かるはずだった道程が一気に省略出来たんです。それを思えば、ここで再びゆっくりと休憩を取ってもお釣りが来るくらいかと。寧ろこれから未知の、次の仕掛けに飛び込もうというときに、この部隊の要であるトバクさんが不十分な状態である方が避けるべき状況かと思いますし。消費したのが魔力だけであっても、しっかりと回復させましょう」
「ん。わかった。失った分の魔力を回復させるだけなら、そこまで時間は掛からないだろうと思うから、休憩取ろう」
ご飯食べてちょっと仮眠するわ、とエンカが言い、フラトも早速亜空間収納から丸太を取り出していた。
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