第三十三話
それからというもの。
あちこちに罠の仕掛けてある迷路を歩きに歩いて、歩き回って。
計十個の――『1』から『10』の数字が描かれた柱を見つけ出すのに、フラト達はおよそ三日間を要した。
ナナメの持ってきていた懐中時計が正確に時を刻んでいたのなら、という前提はあるが、まあ、フラトやナナメの体内時計ともそこまでズレは感じられなかった。
七十八時間オーバー。
改めて数字にすれば長いし、本人達の体感はもっと長かった。
どこでどんな罠が発動するかわからない――それを警戒する緊張感、ストレス。
早くしなければ、遺跡そのもののリセットが掛かるかもしれないという焦燥感。
気を抜けば、冗談なんかではなく狂ってしまいそうな、真綿で首を絞め続けられるような息苦しさの中、柱のある小部屋に辿りつく度に小まめに休息を入れることで騙し騙し気を紛らわせながらひたすら歩き回って――ようやく、である。
フラト達は、十個目の柱がある小部屋に到着したのだった。
四人は『全ての柱の位置を特定する』という第一関門を突破した。
「これでようやく、一応の折り返しだな」
疲弊した声音で、言葉にしにくいことをトウロウがさらりと口にした。
「…………」
まあいつだったか彼が言ったように、現状を言葉にして共有するのは大事だ。
それが――三日間も掛けてようやくの折り返しだという、心底うんざりしてしまうような事実だとしても。
「折り返しかあ」
しみじみと、疲れを吐き出すように、フラトも自身の中でその事実を噛み砕くように、言葉にしてこぼした。飲み込み切れなかったとも言う。
「正直、食糧があるって事実というか、そこに気を配らなくていい、細かく配分を気にし続けなくていいってのが、ここまで気持を軽くしてくれるもんだとは思わなかったよ」
とトウロウ。
「長旅は何度かしたことがあるし、食糧の大事さも理解しているつもりではあったが、痛感するってのはこういうことなのかね。今だってかなりしんどいっちゃしんどいけど、これで食糧まで尽き掛けてて、餓死するかもしれない、なんて不安の中、食べるものがなくならないようちまちまま配分してたんじゃあ、それこそ気が狂ってただろうな」
食糧の残りに関しては、ここまでの道中、どこかの柱のある小部屋で一度確認してある。
フラトもまだ亜空間収納の中に残しているし、ほとんど手を付けていないエンカの亜空間収納の中にも、沢山あると言っていた。
それに加え、一応ナナメとトウロウも、長く日数が掛かる可能性を考慮して、保存食を持ってきているとのことだった。
食べ物だけじゃなく、勿論、飲み物もまだまだ豊富にある。
この空間でただ『生きるだけ』なら、まだまだ余裕はあった。
「こんな四方八方を材質不明のやたらめったらに硬い壁や床、天井に覆われた迷路のような階層では、野生の植物なんて育ちようがありませんし、ここまで道具による罠ばかりで魔獣の類が全く出てこなかったのは、万が一にも、こちらの食糧事情の助けになるようなことはしない、という徹底した嫌がらせの一環なのかもしれないですね」
外に取りに帰るなんてできませんしね、とナナメ。
「こりゃ、亜空間収納の魔具持ちが引っ張りだこになる理由もわかるってもんだよな。食糧の有無を心配しなくていいから気が狂わずに済んでる、なんて言ったが、同時に、毎回美味しくて温かい食事が摂れたってのもでかいよな。この遺跡を進めば進む程、時間が経てば経つ程、そういう何気ないことでも、ちゃんと気が休まってほっとしてるのを実感してるよ」
「わかります」
「わかります」
フラトとナナメもうんうん、と力強く頷いて同意していた。
「気が休まるっていうならタナさんとザラメも凄かったじゃん」
「凄かった、ですか? 私達が?」
エンカの言葉に心底不思議そうにナナメが首を傾げた。
「そうそう。あのお風呂だよ」
「あー、確かに。あれも凄かった。まさかこんな場所でお風呂に這入れるなんて僕も思わなかったし」
フラトは相槌を打ちながら、思い出す。
温かなお風呂に浸かれた至福の時間を。
あれは確か、トウロウがエンカに『しっかりしろ』みたいなことを言い、休憩を提案したすぐ後のことだった。
予め休憩を取るという話をしていたからか、柱のある小部屋に這入り、罠の類がないことを確認してすぐに、ナナメが行動を開始したのだ。
「すみません、今から魔力を無駄遣いします!」
などと力強く宣誓して。
「ってことでザラメやりますよ」
「うぇー、はいはい」
何やらザラメもナナメが何のことを言っているのかは理解しているようで、億劫そうにしながらも、小部屋の角の方まで歩いて行って屈み、どこからともなく取り出したペンで床に魔術陣を描き、その上に小ぶりの宝石――魔鉱宝石だろう――を置いた。
それを計四ヵ所――いや、否。
ひし形の、頂点に当たる四ヵ所にそうした処置を施した後、そのひし形の真ん中にも同様に、魔術陣を描き宝石を置いていたので――計五カ所である。
果たして何をするつもりなのかと、好奇心をくすぐられたフラトとエンカも近付いて見物する中、トウロウは真ん中の魔術陣に魔力を送り、その場から退いた。
と。
「おー!」
「へえ」
中央の魔術陣から淡い光の線が四本伸び、それぞれの頂点の魔術陣に接続されてすぐ――大きなお椀のような形を、恐らく気流の類によるもので形成していた。
次いで、その器の方へナナメが手を翳すと、あっという間に器の上に水の玉が形成され、そこからどばどばと水が注がれ、器に溜まっていく。
こぼれたり、或いは激流となって弾けたりすることもなく、静かに水嵩を増していっている。
「これってもしかして――」
「もしかしなくても風呂さ」
「すげー! すげーっていうかえげつなっ! こんな器でちゃんと綺麗に水溜まってんだけど! これちゃんと人入れるの? 気流に当たったところから千切れ飛んだりしない!?」
エンカが目を輝かせて叫んだ。
不吉なことを。
「しねえよ、怖いこと言うな。そんな威力あったら入れた水がもっと激しく動いてるだろうが」
「それもそうか…………へえ、うん、安定してるねえ。これは凄いわ」
「散々試行錯誤したからなあ、これ」
「凄い魔力使ってそうな見た目ですけど、大丈夫なんですか?」
先程のナナメの言葉――魔力を無駄遣いするとかなんとかいう言葉を思い出して、フラトが訊く。
「俺が自身の魔力を使ったのは、最初の起動時に少しだけだからな。それ以降、あの魔術の維持は魔鉱宝石の中の、予め溜めておいた奴使ってるし。これに関しては、そこの魔術オタクと散々話し合って、何度も何度も試行錯誤を繰り返して、効率化と実用性をとことんまで追及して作ったからな、大して質がいいわけでもないあの魔鉱宝石でも、満杯の状態なら三時間くらいは起動しっぱなしにしておける。無駄遣いっつったのはどちらかというと、あっちでやってる、そこらの水分片っ端から集めまくって凝縮して、どぼどぼ落としてるあれの方がよっぽど魔力使ってんじゃないか?」
「…………大丈夫なんですか、それ?」
「大丈夫じゃあねえだろうな。ま、だからこそ無駄遣いなんだろ。それに女の子ってのは、定期的にお風呂に入らないと死ぬ生き物らしいぜ」
「え? そうなの?」
不思議そうに訊き返したのはエンカだった。
「いや……………………まあ、言葉の綾っつうか、ほんとに死ぬわけじゃねえだろうが、長期遠征とか、長旅で風呂に入れないストレスってのは俺もわからんでもない。多分、普通に何事もなく王都にいるときは、毎日のように入ってるから、そのせいでそんな風に思っちまうんだろうが…………崩城の、お前はどうなんだ?」
「私だって毎日入ってますう。お風呂好きだし」
「いや、そうじゃなくて、崩城だって長旅とかすることはあるだろ? そういうとき風呂はどうしてんだ?」
「ああそういうこと? それだったら私も、タナさんみたいに水を集める魔具は持ってるから、それで頭の上から降らしてる。シャワーみたいに」
「それだけ?」
「一応石鹸とかシャンプーも持ってるから、清潔には保ってるよ。長旅で病気は怖いかんね」
「あ、成程…………そういう」
「何よ」
「いや、なんていうか、アレがそもそも風呂を欲したのは身だしなみっていうか、体裁って程でもねえだろうが、『汚い自分に耐えられない』ってことでこの風呂を編み出したわけだけど、崩城のは体裁どうこうよりも、あくまで自分の命の為、それを脅かさないための措置なんだなって思って」
気分や気持どうこうではなく、十全な健康状態でいる為に必要なことだから。
「ま、私だってお風呂に浸かった方が気持ちいいし、疲れが取れる気がするのもわかるんだけどね、でも、外でそこまで気を緩めてしまう方が、どっちかと言えば危険な気がしてさ」
「確かにお前、基本的に一人だもんなあ」
「そういう理由もなきにしもあらず。だからまあ、今はこうして人数がいて、しかもこれまでないくらい気を張ってきて、これからもそういうものが必要みたいだし、今回は私もお風呂に浸かってしっかりと癒されたい所存」
「珍しくアレが我先にと、こうして風呂を作り出したのも、疲れが見えてきた崩城に入ってほしいって考えたからだろうしな。正直、どれだけ崩城の健康状態を心身共に保てるかが、この先の俺達の命を左右するとも思うし」
「おいおい、あまり頼りきられるのも困るぜ」
お道化たように言うエンカに、
「そこは弁えてるさ」
トウロウは肩を竦めて返した。
「ん。ならよろしい。んじゃ私もちょっと手伝ってこよっかな」
満足気に頷いたエンカはナナメの隣に立ち、同じようにお椀の中に水を注ぎ始めた。
流石と言うかなんというか、エンカの生み出した水量の方が多いのは一目瞭然で、ナナメもそれに驚いていた。
「ま、本当に面倒なのは、浴槽を作る魔術の起動でも、ああして水を集めるのでもなくて、その後なんだけどな」
「その後、ですか?」
「ああ。まだ中の水は冷たいからな。本当は、予め焚火とかして十分に熱した石を用意できれば、それ突っ込んでお湯にできるから魔力の調節になったりするんだが、まあ、あいつがいればその必要はなさそうだな……………………無茶苦茶過ぎ」
トウロウが呆れ半分でそう呟くように、水がいい具合に溜まったお風呂には、今エンカが片手を突っ込んで中で炎を生み出していた。
水の中に炎って…………。
それは多分、普段目にできる機会なんて滅多にない神秘的な光景なんじゃないかと、フラトはちょっと感動すらしたが、当人はお風呂のお湯を沸かしているだけなのがなんともまあ…………感動が削がれる思いである。
あまり時間も掛からず、水から湯気が立ち昇り始めた。
「ふむ…………なら」
と自分だけ何もしないのもなあと思い立ち、フラトも動く。
まず向かい合った壁にそれぞれ一つずつ丸太を立て掛け、更に立て掛けた丸太の、自分よりも少し高い位置にナイフで切れ目を入れる。
切れ目に引っ掛かるようにロープを結び、片方の丸太からもう片方の丸太へぴんと真っ直ぐにロープを張る。
それから、
「トバク、なんか、兎に角でかい布って持ってない?」
「ん、あるよー。ほいっ」
エンカはすぐに亜空間収納を起動し、中から丸めた布を取り出すと、フラトの意図を察したのか、布を大きく振って広げつつ、張ったロープに引っ掻けてくれた。
丁度、お風呂の目隠しになるように。
「うわあ、ありがとうございますホウツキさん、トバクさん」
ナナメが嬉しそうに感謝の声を上げた。
「んじゃ、先に私達女子組が一緒に入るから、そっちは適当に休んでて」
というエンカの言葉に、嬉しそうな表情から一転して、ナナメがぎょっとして振り向いた。
「私、達…………ですか?」
「え? うん、そうだけど、嫌だった?」
「いえいえいえいえいえいえいえいえ、嫌だなんてそんな、全然嫌じゃないです。寧ろ良いんでしょうか、私が御一緒しても」
「いいでしょ。このお風呂結構大きいし。二人なら入れそうじゃん」
「では…………お言葉に甘えまして」
などときゃっきゃとしたやり取りをする女性二人をその場に残し、自然とフラトとトウロウは仕切りの向こう側へ移動した。
あまり近すぎるのも、と思い更に少し距離を取ったところで、フラトが要領よく焚火を作りながらなんとなくトウロウの方へ顔を向けると。
「…………」
渋い顔で首を横に振られた。
うん。乗り気じゃなくて良かった。
ということで女性二人の後はフラトが先に入り、トウロウが最後に入ったのだった。
しかも、である。
入浴後、トウロウの指示で、四人はそれぞれの汚れてしまった衣類をお風呂に投入。
その中にナナメが白い粉末を入れていると、しゃがみ込んで、お風呂を作っていた魔術陣に何やら細工をしていたトウロウが身体を起こすのと同時――中の水が徐々に渦を巻き、右回転、左回転、右回転、左回転、と繰り返すような動きをし出して、洗濯が始まった。
「効率化と実用性…………成程」
素直に感心するしかなかった。
と、いうことで。
そんなわけで。
数日に渡るこの迷路内の探索において、どんな罠にもしっかりと、丁寧に対処するだけの気力を保つことができたのは、このお風呂の存在も間違いなく大きかった。
突発的な『何か』との戦闘であれば、汚れているとか、多少の空腹なんかは集中力で忘れることが出来るかもしれないが、一日を通して罠に気を張り続けながら、あちこちを歩き回らなければいけないという状況では、そうもいかない。
普段身綺麗にしているから尚のこと、ちょっとした汚れや臭いなんかも気になってしまうだろう。そういう心配をなくせたのは、かなりの効果だった筈である。
だからこそ――まともな心で、まともな思考で、これからのおよそ三日に及ぶ、更なる道程を苦々しく思うことが出来ている。
苦々しく思うくらいで済んでいる。
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