第八話

 エンカが円の中へ足を踏み入れた途端、甲冑が僅かに剣を上げ、明らかに自身の領域への侵入者を感知した反応を見せたが、エンカは気にも留めずにずんずん進む。

 しゃら、と剣を抜き、片手でだらりと持ったまま接近。

 そして――間合いに一歩、踏み入れた瞬間。

 甲冑の腕の一本が、それが握る剣が――空気を切り裂きながらとんでもないスピードでエンカの頭上に振り下ろされた。

「っ!」

 そんな化物じみた速度の攻撃を、エンカもまた並外れた反応速度で横に飛び回避するが、その回避を見越していたかのような、甲冑からの二撃目がまたしてもエンカの脳天を狙う。

 迫る刃に、しかしエンカは笑顔を崩すことなく、一度目の回避の勢いのまま流れるように身体を回し、手に持った剣を使うことなく、すれすれで躱してみせた。

 そんな光景は――楽しそうなエンカに反し、円の外から見守っている側からすれば、今の二撃目は直撃したかのように見えたし、かなり肝が冷える。

 自分が戦っているわけでもないのに、心臓が締め付けられたように痛む。

「ふっ!」

 エンカが短く息を吐きながら床を踏みしめ、蹴り出し、甲冑との間合いを一気に詰める。

 甲冑の胴に向けて真正面から飛び掛かり、自身の間合いに這入るのと同時に両手に持ち直していた剣を振るが、手前で差し込まれた甲冑の剣にその攻撃は阻まれ、エンカは身体ごと後方に弾かれた。

「ちっ。やっぱり腕が十本もあっちゃ、二つ避けたくらいで簡単に攻撃を食らってくれたりはしないか」

 舌打ちして愚痴りながらも、空中でくるんと一回転しながら姿勢を整えて着地。

 同時――回避不可のタイミングを見計らったような追撃、甲冑の剣が振り下ろされる。

「っ!」

 が、エンカもこのタイミングで追撃がこないわけがないとでも思っていたのか、いつの間にか自身の魔力――赤みを帯びた光を纏わせた剣を振り上げ、甲冑の剣を受け止めていた。

 あんな速さで振り下ろされる長大な剣を真っ向から受け止めるとは、エンカの剣が帯びた魔力が凄いのか、はたまた剣自体がとんでもない業物なのか。

 或いは――エンカの技量が為せる業なのか。

 肝を冷やし、息を呑み、見る側ですら命を擦り減らすようなそんなやり取りだが、それすら小手調べ程度でしかなかったとでも言うように――ごずん、と。

 エンカが受け止めていた甲冑の剣を自分の脇に弾いて落とした次の瞬間――。

 攻防は更に激化した。

 甲冑が持つ十本の腕、十本の剣から繰り出される剣閃の豪雨。

 離れた円の外から見ているフラトには、振るわれた剣の残像による軌跡を追うのがやっとみたいな、そんな馬鹿げた速度で、しかも何連撃とあらゆる角度から撃ち込まれる甲冑の剣。

 それを――防戦一方とは言え、その場から一歩も動くことなく、引くことなく、怯むことなく、恐れることなく――エンカは自身の持つ一本の剣のみで全てを受け止め、弾き、いなしていた。

 まさしく化物の御業。

 正しく化物同士の死合。

 そんなものを見ている気にさせられた。



 ただ見てるだけで圧倒され、呼吸を忘れ、息も詰まるようなやり取りに、フラトの隣から感嘆めいた声がこぼれた。

「正直、侮ってました」

 ナナメが言う。

「侮ってたって?」

「いえ、侮っていたと言いますか、私の想像力が足りていなかったと言いますか…………序列『華の位』は言ってしまえば超級、化物級、人外級なんて言われ方をするくらいですから、とんでもない力を持つ人なんだってのはわかっているつもりだったのですが――」

「華の位ってそんな言われ方してんですか」

 無茶苦茶だなあ、と呆れるが、目の前の光景を現実のものとしてしまえるだけの実力を目の当たりにすれば、まあそんな称号が付けられてもおかしくはないか、と納得もしてしまった。

「本当にそれが『つもり』なだけだったんだなって…………目の当たりにすると圧倒されるというか、驚愕し過ぎて、感想なんてものを言葉にしてしまうとそのどれもが陳腐に感じるくらい、あの凄まじさは形容できるようなものではないな、なんて」

「ですね」

「トバクさん、たった一振りの剣で、あの剣の雨捌いてますよ」

「無茶苦茶に言われるのもわかりますよね」

「本当に、とんでもない存在なのですね」

 しみじみとナナメはそう口にした。

 とんでもない――確かにその一言に尽きるのかもしれない。

 剣の技量、その振るわれる剣に纏わされた魔力――それらのみならず、あの胆力。

 あれだけの猛攻が降り注ぐ中で苦しそうな顔も、辛そうな顔も一つとして見せず、涼しい顔で剣を振るう精神性。

 人外、化物、怪物――そう言われるだけある。

 そんなエンカの姿をフラトは素直に格好良いと思うし、自分ではあの場に立つことができないことをちょっと悔しくも思うのだった。

 隣をちらっと見ると、戦闘に釘付けになっているナナメのその金色の瞳にも憧れのようなきらきらしたものが宿っているように見えた。

 表情の読みやすい少女である。

 と――フラトが円の中から視線を外していたそんなとき。

 戦闘に突如変化が起きた。



 エンカがこれまでよりも大きく甲冑の剣を弾き、その弾かれた剣が更に別の剣を弾き、甲冑の繰り出す連撃に僅かな隙が生まれた瞬間。

 エンカは僅かに腰を落として床を蹴り、一気に甲冑に肉薄した。

「っ!」

 一閃。

 連撃の隙間を狙ったその斬撃が甲冑の腕を一本、根元から切断し宙を舞わせた。

 更にエンカは、詰めた勢いのまま通り過ぎて甲冑の背後に回り込み、後ろから接近してもう一本、今度は背中から伸びている腕を斬り飛ばし、背中を駆け上って頭を蹴り飛ばしながら正面に戻ってきた。

「ふぅ」

 と短く息を吐くエンカの視線の先。

「……………………うげぇ」

 斬り飛ばした甲冑の腕が再生していた。

 エンカは眉間に皺を寄せて苦い表情をしたまま、すぐさまその場から飛び退き円内から退場。

 追ってくる可能性も考慮してか僅かな間、剣を構えたまま甲冑の方を睨みつけていたが、静かに仁王立ちに戻った甲冑を見て、エンカは盛大に息を吐き出しながら剣を鞘に収め、フラト達の方に近寄ってきた。

「よく戻る判断残ってたな」

 フラトが言うと、細めた目でエンカに睨まれた。

「ん? 馬鹿にしてる?」

「してないしてない」

 首を横に振って否定する。本当にそんなつもりはない。

「すげー楽しそうに戦ってたから、何度も突っ込んで行って無茶苦茶な戦闘を続けるんじゃないかってさ」

 内心、結構心配していたのだ。

 だからフラトはその戦闘に割り込む準備をしていた。

 いや――準備というか覚悟というか。

 どのタイミングで突っ込み、エンカの身体を抱えて一度退かせるか、必死に頭の中でイメージを作っていたところだった。

 絶対にエンカは抵抗するだろうなあと思いながらも、流石にあんな再生能力を披露されたんじゃ無暗やたらに続けさせるべきではないだろう、とどうやって説得するべきか、なんてことも考えながら。

「まあ楽しかったのは否定しないけど、私だって別に死にたいわけじゃないし。生きてちゃんとこの遺跡を攻略したいから、無茶はするけど、無理はしないつもり」

「ふうん」

「何…………そのあまり信じてないみたいな反応」

「いや、ヒートアップしたら無理もしそうだなと思って」

「まあ、否めない」

「否め」

「兎に角今は――あの甲冑との戦闘そのものじゃなく、戦闘を介した何かしらの仕掛けの解除が目的だということはまだ念頭にあるから、大丈夫」

「…………」

 不安は消えないが、この場であの甲冑との戦闘を行えるのは間違いなくエンカのみで、だったら、自分は無理をしそうになったら引き留める役に徹しようと思うフラトだった。

「ではトバクさんも戻って下さいましたし、一旦情報の整理と共有をしましょう」

 ナナメが仕切ってくれる。

「ということで言い出しっぺの私から――今、トバクさんが仰ったように、これはただあの甲冑を倒せばいいというものではないでしょう。わざわざこうして円の中に戦闘領域を区切っていることや、あの馬鹿げた再生力を考えると」

「だねえ。ぶった切ってもあんまり手応えらしい手応えみたいなのはなかったし」

「切断した際も出血しているようには見えませんでしたから生物が召喚されたというわけではなさそうですね」

「あんな生物、いてたまるかよ」

 苦い顔で甲冑の方を見ながらトウロウがぼやいた。

「それに、トバクさんによって切断された甲冑の腕ですが、空中で光の粒子に変換され、その光の粒子が元の場所に戻るようにして腕が再生されていました。あの光の感じは魔術に類するもののように私には見えましたが…………」

 そこで言葉を区切り、ナナメはちらっと隣のトウロウを見たが、それにトウロウは苦り切った顔を返した。

「いや、こっち見られてもねえ。光の感じで魔術に類してるかどうかなんて俺にはわかんねえし。逆説的に、生き物じゃないあんなもんの存在を可能にするのは、それこそ魔術しか考えられねえからそうなんだろうなとしか」

「確かにそれもそうですね。ただ、現代の魔術であんなものの召喚なんて聞いたことありませんし、遺跡で発見される古代の魔具、あるいはこうして配置された仕掛け以外ではお目にはかかれないでしょうけれど」

「崩城とやり合えてるってだけで相当な戦力になるからな。たとえ戦闘可能領域が限られているのだとしても使いようはいくらでもあるし、あんなもんに防衛されたらまず突破できねえ」

「ですね。区切られた領域での戦闘、その特徴は明らかですし…………って、ザラメ!?」

「よっ」

 ナナメが少し驚いたように目を見張る中、トウロウが左手を右から左に振ると、その指先が描いた軌道から、可視化されるほどに圧縮され激しい流れを持つ三日月形の気流が射出された。

 真っ直ぐ甲冑へ飛んでいったそれは、精密に防具と防具の隙間、関節部に直撃したが、切断どころか傷一つ見られないた。

「ま、そりゃ駄目だよな。相手が動かない戦闘可能領域外からの攻撃なんて通る筈なくて当たり前か。恐らく、概念としてはこの空間を囲う壁とかさっき沈んだ直方体みたいなものなんだろうな」

「横紙破りは許されない、と」

「多分な。まあ俺の魔術の出力、威力が足りていないという可能性も残っちゃいるが、そんなものはあってないようなものだろうよ」

 そんなことを皮肉気に言うトウロウの横でフラトが手を上げた。

「あの、すみません。ちょっと話は脱線するんですが、そもそも生物の召喚っていうのは魔術でも可能なんですか?」

「いえ、それ自体もまず無理、だと思います」

 答えてくれたのは魔術オタクことナナメである。

 多分、これに加えて『解説魔』とか言ったら流石にキレられるだろう。

「先程は、ここが遺跡だという状況も踏まえるとそういう可能性もあるかと思って言ってみただけでして、魔術で生物を作り出すなんてことは今のところ、一般的には無理だと言われています。それと同様に、トバクさんとホウツキさんが持っている亜空間収納の魔具が古代魔術を利用した希少品だと言われているように、現代の魔術で空間そのものに作用するような魔術はまず不可能なので、別の空間や座標から呼び出したりだとかも出来ない筈です」

「成程」

「ただ、生物としての召喚はできませんが、生物の形を魔術で模して、使い魔として情報収集などに使ったりだとかは、あります」

 ナナメによると、その際によく使われる――形を模される動物は鳥類、ネズミ、猫なんかだと言う。

「ですがあの甲冑の化物は、どこかそういう魔術とも違って、もっと機械的なものに見えると言いますか」

「ふんむー…………まあ、確かに機械的と言えば機械的、かなー」

 甲冑の方を向き、エンカがぼやくように言う。

「何か引っ掛かってそうな物言いだな、トバク」

「いや引っ掛かってるっていうか、流石遺跡と言うべきかな」

「何が?」

「戦闘領域、起動条件、そういうのは確かにわかりやすく機械的、システム的だけど、だからこそ攻撃パターンなんかもあるかなって思って、しばらく動かないで同じ場所で攻撃を防ぎ続けてみたけど、そういうのはないっぽいんだよね。けどだからって『意思』みたいなものも感じられないから、攻撃のと軌道が読みづらくて仕方ない」

 防戦一方に見えていたが、どうやらそんなこともなかったらしい。

 エンカ的には、別に切羽詰まっていたわけじゃなく、それどころか、今の口振りからするにまだまだ余裕そうですらある。

「トバクさん、あれ、あまりの攻撃の多さと速さに防御するしかなかったのではなく、相手の様子を見る為に、立ち止まってわざと攻撃を受けていたんですか?」

「え? あ、うん。そうだけど」

 唖然とするナナメにエンカはなんでもないことのように頷いた。

「いやいや、別になんてことないなんて思ってないからね。ほんと、まじで。実際、攻撃を受けるたびに剣に纏わせた魔力がガンガン削られて消耗したし、簡単ではなかったよ」

「だからって俺には、崩城がキツそうには見えなかったけどな」

「頑張ってたんだよ」

「ふうん」

「やっぱり凄いですトバクさん。華の位という序列は伊達じゃないというか、いや伊達だなんて思っていないのですが、あまりに底が見えないと言いますか。剣に纏わせていた魔力一つとってもあんな密度で可視化される魔力なんてこれまで見たことないですし、その前に甲冑からの振り下ろしを避けていた動きも凄かった。全く目で追えなかったんです。いや目で追えなかったと言えばそれこそ立ち止まっての高速でのあの攻防………………………………あ、す、すみません…………思わず」

 情報の整理でしたね、と言いながらナナメは可愛らしく両手で自分の頬を軽く叩いた。

 魔術好きからすると、今のエンカの戦闘一つとっても、あの甲冑の存在一つとっても、自分の世界に入り思考に耽り込みたい要素が満載なのだろう。

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