第十九話

「戻ったあ!」

 どたどたどた、と足音を響かせてイチジクが戻ってくると、消えてしまった魔術陣が再度浮かび上がった。

 …………この少女、ずっと魔具を起動しっぱなしで走り回っていたらしい。

 夜とはいえ、他の子供達に見つかったらどうするつもりなのか…………、とかはまあ、嬉しさのあまり考えていないのだろう。

 しかし考えようによっては、既に無意識で魔具を起動しっぱなしにできているということで、クビキが言っていたようにこれまでの無断練習が功を奏しているのか、生来より途轍もなく飲み込みが早いのか。

「師匠、やってもいい?」

 握りしめた本をフラトに見せながら、興奮冷めやらない様子で訊いてくるので、フラトは「勿論」と頷いて返した。

「やった」

 イチジクは魔術陣の上にしゃがみ込み、本のページを捲り、大きさは違うものの同じ魔術陣同士を、丁寧な手付きで重ねた。

「わ……………………あれ?」

 一瞬だけ床の魔術陣が強い光を発したものの――それは、魔術陣事消えてしまった。

 しかし、直後。

 がこん、と足下で音が鳴るのと同時、

「おわっ」

 クビキが素早くイチジクの襟首を掴んで自分の方に引き寄せた。

「危ないわよ」

 クビキの言う通り、イチジクがしゃがみ込んでいた床が、正方形に僅かに沈み、スライドして、下へと続く階段が姿を現した。

 クビキがイチジクを引き寄せなければ転がり落ちていただろう。



 長く続く階段は数段ごとに『段』そのものが淡く輝くことで照明となっており、イチジク、フラト、クビキの順番で降りていたところ、

「あ、師匠、扉あった」

 降り切ったところで、イチジクがフラトの方を振り返りながら言った。

「うん」

 当然、イチジクの後ろにいたフラトも、身長差の関係でそれは見えていた。

 というか――階段を降り切った先には、扉しかなかった。

「この扉…………取っ手ないね」

 イチジクの言う通り、扉には取っ手が取り付けられていないが、代わりに、魔術陣が直接彫り込まれていた。

「起動してみなさいな」

「はい」

 最後尾から掛けられたクビキの言葉にイチジクは小さく答え、静かに左手を魔術陣に触れさせてから数秒――扉そのものが淡く発光したかと思えば、扉から光の粒子がこぼれるように溢れて浮遊し、それらはイチジクの前にふよふよと集まって文字を形成し、文章と成った。

 ――『ここまでたどり着いた君に、まずは、おめでとう』と。

 そうして綴られた文は、子供でもしっかりと読み切れるだけの時間留まった後、再び粒子へと戻ってから、また別の文章へと形を変えていった。

 それらの言葉を、もしかしたら読み切れない可能性を考慮してか、背後からクビキが声に出して読み上げた。

「必死に考えて、色々と試行錯誤して、それでも諦めずにここに来てくれたのでしょう。仕掛けた人間として、嬉しい限りです。ありがとう。さて本題ですが――ここから先にはきっと貴方の望むものがある。けれど、それを得たいと願うなら――命懸けです。言葉通り、文字通り、貴方は貴方のその一つしかない命を懸けなければなりません。魔術の失敗にはリスクが付いて回りますから。これは勿論、貴方の覚悟が試されていることでもありますし、もう一つは、こちらが安全を提供できないというどうしようもない事実があります。それに関しては誠に申し訳ございません。ただそれが現実なのです。もし得たいものの為に命を懸ける気持ちがあるのでしたら、扉に魔力を注ぎ続けて下さい。一定時間起動し続ければ、起動者との契約が完了する仕組みになっています。この先へ進む権利を得ることができます。ただ、もしも『魔術』というものにそこまでの興味がないのでしたら、踵を返して引き返し、ここのことは忘れた方がいいでしょう。因みに、もしここで契約しないのでしたら、上へ戻った瞬間にここの記憶は失われます。この先へ進む場合は、他者へここのことを話せなくなる契約も同時に結ぶことになります。もっと厳密に言えば、他者へここのことを話そうとした瞬間に、貴方はこの先へ進む権利を手放し、この場所の記憶も失うことになるのです。もう一度本の仕掛けから解き直したとしても、同じ人間の二度目の契約はできません」

 ここまでの仕掛けを解いたのです、達成感があるでしょう。

 高揚感に包まれているかもしれません。

 だからどうか――一つ深呼吸をして、自分自身に問うて欲しい。

 貴方の将来に、今魔術の習得が必要なのかどうか。

 そこに命を懸ける価値があるのか。

 そう――締めくくられて、浮かび上がる文字はなくなった。

「凄いな…………」

 感嘆したように呟くフラトの傍ら、扉に手を翳したままのイチジクから、深呼吸する息遣いが聞こえてきた。

 そんな彼女の手に、一度は収束したはずの光の粒子が再びこぼれて纏わり付き、ぐるぐると円を描くようイチジクの手首を包み込んだかと思えば、消えた。

 イチジクの手首に小さな魔術陣を残して。

 それが契約の証、ということなのだろう。

「迷わないのね」

 そっとイチジクの隣に立ったクビキが、静かに言うと、

「はい!」

 イチジクはクビキを見上げ、にー、ととても清々しい笑顔で答えた。

「迷う理由はないですカイガイ先生。私、ずっと魔術を勉強したかったんだもん。今はなくてもいいけど、ここを出たら絶対に必要になると思う。失ってしまうのが当然だった命をここまで育ててもらったこと、無駄にしたくないから。ちゃんと、自分が求める生き方で、苦労しながら、挫折しながらそれでも、幸せに生きていると、いつかここにまた遊びに来たときに言いたいんです」

「…………そう」

 クビキが温かく微笑んでイチジクの頭に手を置く。

「あんた、そんなちっさいのにそこまで考えてたのね」

 わしゃわしゃと髪を撫でた。

「それじゃ、手首に魔術陣が描かれたその左手、もう一度扉に翳して魔力を少しでいいから注ぎなさいな」

「はい」

 言われた通りにイチジクが左手を翳すと、扉がスライドするように開いた。

「それじゃあ続きはこの奥で」

 するりと、クビキが先頭に立って扉を潜り、二人もその後に続いた。

 扉の先は、大きな本棚がいくつか並び、そこに収められている本は、ぱっとフラトがタイトルを流し読みしただけでも、全て魔術関連の書籍で埋め尽くされているようだった。

「…………」

 部屋に足を踏み入れたイチジクは息を飲み、これ以上ないくらいきらきらした瞳で本棚を眺め回している。

 クビキはそんなイチジクの様子に苦笑しながらも、足を止めずに更に奥へ歩いていき、扉を開けて進んでいくので、フラトは慌ててイチジクの腕を掴み、

「あ、師匠、何をっ、あ、あ、あーん」

「変な声上げんな」

 その場に留まりたがるイチジクを、引き摺るようにして連れて行った。

 二人が扉を潜った奥の部屋は――何もなかった。

 部屋と呼ぶには流石に大き過ぎる、何もない、広大な立方体の空間だった。

「ここが実技訓練場。この空間はちょっとやそっとの魔術が暴発しても壊れないようになってるの。勿論、直撃しても壊れないし、振動や音が上に伝わるのも防いでくれる。因みにさっき通ってきた場所が魔術図書室ね」

 そう説明してくれたクビキが、二人の少し先でくるっと振り返り、向かい合う。

 そして、改まった表情をして言う。

「改めまして、私は王家直属部隊所属の臨時駐在職員――クビキ・カイガイよ」

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