第十八話

 部屋から出た二人がまず向かったのは食堂だった。

 向かった、というか、部屋を出るときからフラトがイチジクの背中をぐいぐい押すようにして、連れ来たのだが。

「何で!?」

 食堂の入口まで来ておいて、連れられてきておいて、イチジクが素っ頓狂な声を上げた。

「師匠? 隣の部屋じゃなかったの?」

「いいからいいから。兎に角進みなさい」

「う、うぅ…………」

 背後からイチジクの肩を押しているフラトの両手に、進むまいとする僅かな抵抗感が返ってくるが、そんなものは無駄な足掻きである。

 意に介さずフラトはぐいぐいイチジクの身体を食堂の中へと押し込んでいった。

「カイガイさん」

 とフラトは、いつもの場所でいつものようにお茶を飲んで本を読んでいるクビキに声を掛けた。

「忘れ物…………って感じじゃなさそうね」

「はい。あの、すみませんが、ちょっとお願いしたいことがありまして」

「何かしら」

「今日整理していた物置部屋のことで。一緒に付いてきてもらってもいいでしょうか?」

「…………いいわよ。それじゃあ行きましょうか」

「ありがとうございます」

 僅かに何かを考える間があったものの、二つ返事で了承してくれたクビキがさっさと食堂を出て物置部屋へと向かい始めたので、フラトとイチジクもその後ろに並んだ。

 物置部屋の中は――日中に比べれば随分と暗いが、月明りのおかげで真っ暗というほどではない。

「あら、空っぽ。まだ戻してはいないのね」

「すみません、まだそこまでいかなくて」

「いや、いいわよ。別に急いでいることじゃないしね」

「解体してたらすっかり時間が過ぎてしまいまして…………まだ、外に敷いたシートの上に置いたままです」

「ま、雨が降りそうな天気でもないし、風も強くないし、一日くらい出しっぱなしでも問題ないでしょ。ただ――」

「ただ?」

「もしかしてあんた、急にこの部屋の整理を言い出したのって、調べる為だったの?」

「まあ…………違うと言えば嘘になりますけど、僕からはけしかけてないですよ」

「?」

 どういうことだ、という表情を向けられたので、フラトは更に続けて言う。

「ヨリギが、まだ仕掛けは終わってないんじゃないかって。報酬としてもらった光源の魔具は、また別の仕掛けを解く為のヒントなんじゃないかって言って、納得いくまで調べたいと言うので、じゃあ僕も付き合おうと思いまして」

「それじゃあもしこの子がそんなことを言い出さなかったら? その魔具をもらって、それで満足していたら?」

「そしたら、こうしてカイガイさんを呼び立てたりはしていないですよ。こっそり、この不思議な物置のことを訊いた可能性はありますが、仮にそれで何かを教えていただいたとしても、それをヨリギに告げ口するような真似はしません。因みに、この物置の中を、今日の間は空っぽにしておくような、明日に持ち越さなきゃならないような作業時間の調整とか、僕はしてませんからね」

 そもそも、処分品を最小限まで解体するような真似は、クビキに頼まれなければそこまではしていなかっただろうし。

 あくまで。

 フラトはあくまで――自分が部外者であることを忘れないようには気を付けているつもりだった。あまり好奇心に衝き動かされ過ぎて、出過ぎた真似をしないように。

 実際にそれができているかどうかは、まあ、怪しいところかもしれないが。

「あの、カイガイ先生」

 フラト達の会話がひと段落したと判断したのだろう、イチジクが一歩前――クビキの前に出て、声を掛けた。

「何かしら?」

「これを…………お願いしてもいいでしょうか」

 言いながらイチジクは、ポケットから魔具である指輪を取り出し、クビキの方へ差し出した。

「私に使えってことかしら? ここで?」

「はい」

「一応イチジクにも確認しておくけど、今こうしてここにいるのは、あなた本人の意思で間違いはない?」

「はい。それは間違いありません。どうしても、まだ終わりじゃないんじゃないかって気になっちゃって、納得するまでは調べてみたいなって、思ったんです」

「…………」

 クビキは目の前に差し出された指輪に視線を落としながら、イチジクの話を聞いてしばし無言だったが――そっと、差し出された指輪に手を添えてイチジクの方へ押し返した。

「先生?」

「それ、自分で使ってみなさい」

「え? でも…………」

「あなた昨日、問題なく起動させてたわよね? あのとき怪我した?」

「ううん」

 とイチジクは首を左右に振って両手の指先をクビキの方へ差し出した。フラトの言いつけを守って、未だその指先にはテープが貼りっぱなしなってはいるが、そこに新しく傷が生まれ、出血した跡は見られなかった。

「なら、いいわ。この場においては私が責任を持つから。ほら、指輪を着けて」

「は、はい」

 イチジクが左手の人差し指に指輪を装着する。

「こんなに怪我するまでやったってことは、イチジク、あなた自分の身体の中で魔力を動かすっていう感覚はなんとなくわかってるのよね?」

「はい、わかってる、と…………思います」

「なら、そういう怪我の原因は、まあ大体放出する前に指先で詰まっちゃってるのが原因なことが多いわ」

「詰まってる…………」

「水が流れてるホースをつまんだみたいな感じよ。上手く外へ放出できないから出力を大きくして無理に出そうとした結果、瞬間的にそこで暴発しちゃってる、みたいなね」

「それは、どうすればいいんですか?」

 縋るように、イチジクは尋ねた。

 彼女にしてみれば、誰かから、何かから、魔術や魔力に関する運用方法を教えてもらえるのはきっと初めてで、だからこそ、昨日怒られたことを引き摺ってかこれまで少しバツの悪そうな表情だったのが、一瞬で真剣なそれへと変貌していた。

「魔力を放出するときのコツはね、放出する身体の部位を意識するんじゃなくて、それを流し込む先までを自分の身体の一部のようにイメージして、そこに『通す』のよ」

「自分の身体の様に…………通す」

「そ。あなたみたいに指先に怪我をしちゃうのは、指先から外に魔力を出そう出そうって意識が強くて力んじゃってることが多いから」

 言われてイチジクがテープ塗れの自分の指先を見つめる。

「基本的な意識を変えなさい。魔力は放出することが目的ではなく、放出した先、魔術の使用が目的であれば、その発動の為に魔術陣や魔具に『通す』あるいは『流す』ことが目的なのよ」

「…………はい」

 言われたことを自分なりに噛み砕き、必死に理解しようとするように、イチジクは頷いた。

「魔力は動かして終わりじゃなくて『伝えて』初めて意味を成す。伝える先を明確にイメージして、自分の中でその『先』に対して、回路を組み上げなさいな」

「回路…………魔力を通す回路」

「そう。必ず、魔力の通りやすい場所が人それぞれあって、それはもう感覚で掴んでいくしかないからなんとも言えないけど、でも絶対、あなたの中にもそれがあるはずだから」

「…………わかりました」

 イチジクはゆっくりと目を閉じる。

 すぅ、と息を吸い込みながら指輪を嵌めた左手を水平に持ち上げ、息を吐き出す。

 フラトとクビキがじっと見守る中――しばらくの静寂。

「…………」

 イチジクの装着した指輪の透明な球体部分が、ちり、ちり、と点滅。

 そしてじんわりと、しかし安定して球体内の光が光量を増し、眩い光を生んだ。

「おー」

 フラトが感嘆の声を上げると、つられてイチジクも目を開き、自分が発動した魔術による光を見て嬉しそうに笑った。

「わー! やった! 昨日より上手くできた! 点いた点いた。指から血が出てないし、傷もいたくない。凄い」

「あなたは…………まずそれが普通だと思えるようにならないとね」

 呆れ顔でクビキが呟く。

「けどまあ、今の私の言葉だけで違いを実感できたなら、恐らくそれはあなたの感覚が鋭いからかもね。これまで指を血塗れにしてきた意味はあったってところかしら」

 ここで、心底から喜ぶイチジクの姿に絆されてしまったかのように、彼女が規則を破っていたことを肯定的に言ってしまうのは、クビキの優しさなのだろう。

 問答無用で頭突きをかまし、石をぶん投げてきた人と同一人物とは思えない慈愛の心である。

 いや――優しさとは?

 そんなことを考えていると、フラトの視界が真っ白になってきた。

「ちょ…………あの、あのー。ヨリギさーん。眩しいんですけど!? もう何も見えないんですけどっ!?」

 もはや目を開けていられない。

 ただ周囲を照らすだけの魔具だなんてとんでもない、この光を瞬時に生み出せるようになれば、戦闘中も立派に目くらましとして使えるだろう。

 まあ、これだけの眩しさを自分は食らわないように避けられるのなら、だが。

「イチジク、魔力量を調節しなさい。それ、素材がいいから普通に起動出来てるけど、一般に出回ってるものだと、そんな使い方すればすぐに壊れちゃうわよ」

「は、はい。…………ふぅ」

 慌てたような返事の後、少し強張った様子のイチジクの息遣いが聞こえ、段々と、目を閉じていても眩しいくらいに感じていた明るさが、落ち着いてきた。

 というか今度は暗くなり過ぎて…………けどまた明るくなっていって、眩しくなって。

 なんてことを幾度か繰り返し、行ったり来たりしている内に明暗の幅は狭くなり、今度こそ、安定した。

「出来たわね。もし今私が教えた感覚でやりやすければそのままでいいし、少しでも違和感があったら、自分に合うように魔力操作の感覚を調節していくといいわ」

「はい。ありがとうございますカイガイ先生!」

 がばり、とイチジクは頭を下げてお礼を言った。

 魔術に触れている、教えてもらっているということが本当に嬉しいのだろう。

「どこか痛んだりはしない?」

「特には…………ないです」

 指先を見て、少し動かしてみて、確認しながらイチジクが言う。

「なら本当に大丈夫そうね。上手くできたわよ」

 その言葉にほぅ、と安堵の息を吐き出すイチジクに、今度はフラトが声を掛ける。

「なあヨリギ」

「何、師匠?」

「そこ」

 と、フラトが丁度イチジクが立っている床を指差した。

「え、え、うわ。師匠! 師匠! これ!」

 イチジクが興奮したように自分の足下とフラトの顔に視線を向けた。

「見つかったな」

 イチジクの足元には――これまでなかったはずの魔術陣が浮かび上がっていた。

 指輪からの光に共鳴するように淡く発光している。

「師匠、これ本捲ったところに新しく浮かび上がってきたやつと一緒なんじゃ?」

「だな。じゃあ――」

 取ってくるよ、とフラトが言おうとしたときにはイチジクが部屋を飛び出していた。

 光源がなくなってしまったために、同時に魔術陣も消えた。

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