第二十話
王家直属部隊所属の臨時駐在職員。
などという長ったらしい肩書をクビキが口にしたが、それを聞いた直後には、フラトもイチジクも、その名称を思い出せなくなっていた。
「臨時、駐在?」
急に何だ、とフラトとイチジクが揃って首を傾げる。
「元々私は王都の路地裏で親に捨てられ、家もなく、ごみを漁るような毎日を過ごしていたところをね、王家直属部隊の人に拾われて、育てられて――この町には、情報収集も兼ねて派遣されたのよ」
「「へえー」」
フラトとイチジクの平坦な声が重なった。
「…………ねえ、なんか反応薄くない? 何でそんな興味なさげなのよ」
肩透かしを食らったように、期待していた反応を見ることが出来ず残念そうに、クビキは訝し気に目を細めて訊いてきた。
「いや、なんか複雑そうな話であまり深入りしたくないなって思って」
何か暗そうだし、とフラト。
「私はよく意味がわからなくて」
とイチジク。
「…………あっそう」
呆れやら諦めやら、そんな風に言われてしまえば、これ以上自分からあれやこれや説明する気も起きないのだろう「調子狂うな」と、クビキが溜息を吐いたところで、
「あ、でも、それじゃあ一つ、僕から質問いいですか?」
フラトが手を上げて言った。
「ん? はい、どうぞ」
「商人が定期的にこの町を訪れるくらいには、安定した販路が既に確立されてるってことは、この町の『売り』が王都の飲食店やら販売店に広まり始めたのってもっと、かなり前ですよね。というか再建そのものに女王様が関わっている話を考慮しても、王都側はもしかして、魔獣による壊滅以前からこの町に目を付けていたのでしょうか? それで、自然と自分達が介入できる機会、この町に対して恩を売れるような機会を窺っていた、なんてことはありますか?」
「あー」
フラトの質問の、更にその先が意味するところ、皮肉とも非難とも捉えられるような物言いを素早く理解してしまったクビキは、顔を歪めた。
「つまり、王都に介入の機会を与える為に、私が十年前の魔獣による奇襲を画策、先導したんじゃないかってこと?」
「まあ、ふと、思ったので」
「んー、証拠とかそういうのを求められると困るんだけど、それは逆、と私からは言いたいわね」
「逆?」
「確かに王都はここの食材の美味しさを知って、どうにか自分のところに流せるようにできないか、その為の体制を整えることは出来ないか、そういう機会は伺っていたし、町の長と話し合いの場も設けていたわ。まあ、その為には野菜の栽培や家畜の飼育規模の大幅な拡大をしないといけなくて、大規模な町の改修が必須だったんだけど、古くから住んでいる人は、どうもそれで街並みが変わってしまうのが、思い出が失われてしまうようで嫌だったらしくてね、状況は膠着していたみたいだったけど」
「じゃあ、尚更――」
「そうね。そういう状況なら尚更私が膠着状態を崩すために強引な手段に出たと思われても仕方ないかもしれないわね。けど、言った通り逆よ。町はそういう理由で王都の介入をあまり良しとはできなかった。でも一方で、封鎖地域の山が近くにある影響でここの周辺は狂暴な魔獣が出やすく、その対応と対処に当たる人員は常に不足していた」
だから、とクビキは続ける。
「だから――私は大切なこの場所を守るために派遣されたのよ」
「大切、ですか」
「まあ当然『王都の経済を更に潤わせる為に』大切って意味もあるけど、それだってここで野菜を育てて、家畜を育てる住人がいてこその話だからね。この立地での野菜の育て方、家畜の育て方のノウハウはここの人にしかわからないもの。だからここの土地は勿論、そこに住まう人もひっくるめて王都側は大事にしたいと考えていたのよ」
「成程」
「実際、定期的に王都から町の周辺に見回りの部隊も出て来てたしね。王都側は、ここの住人が少しでも傷ついてしまうのを良しとはしていなかったわ。だからほんとに…………ほんとに、十年前のあの日は、何もかもタイミングが最悪だったのよ」
「そうでしたか…………失礼しました」
「何、こんな言葉だけで信じるの?」
「いや、ちょっと思い付いた皮肉程度の言葉が思わぬシリアスな話に展開しそうでびっくりというか、そんなの想定してなかったですし、なんか暗くなりそうなのでここらで止めておきたいかなと思いまして」
「……………………あんたねえ」
「と、いうのはまあ半分冗談として、カイガイさんが悪さをした側の人間ならわざわざここで自分が王都側の人間だと明かす意味がわからないですから」
それにここ数日の子供達や職員に対する接し方を見てきているから――なんてことまでは、わざわざ口には出さなかったが、兎も角そういうわけで、フラトは元から疑っていない。本当に思い付きの皮肉くらいの意味しかなかったのだ。
「イチジクはどうなの?」
クビキが視線をフラトから移し、話を振る。
「いや、どうもなにも…………何を話しているのかさっぱり」
「…………」
「私は、カイガイ先生が魔術を教えてくれるならもうそれで満足というか、まあそんな感じで、難しい話はわかりません」
そんな、イチジクの返答に、ぶれないなあとフラトは感心し、クビキは苦虫を噛み潰したような渋り切った顔をしていた。
果たして彼女の胸中や如何に。
「ま、わかったわ。何にしても魔術の授業は明日からよ。しばらくはこの夜の時間だけね。他の子達に見つかって押し掛けられても困るし」
「わかりました。よろしくお願いしますカイガイ先生」
待ってました、そういう話をこそ聞きたかったとばかりにイチジクは嬉しそうな笑顔を浮かべて頭を下げた。
「浮かれ過ぎないようにねイチジク。…………それじゃあ、今日はここまでで一旦戻りましょうか」
イチジクに釘を差してからクビキはフラト達の脇を抜けて実技訓練室から出て、魔術図書室を更に出口まで真っ直ぐ歩いていく後ろに、フラト達も続いた――その際、イチジクだけは図書室できょろきょろ忙しなく視線を動かし、後ろ髪を引かれるように、まだまだこの場に残って見ていたい雰囲気を全身から遠慮なく発していたが、問答無用でフラトが腕をがっちり掴んで、再び引き摺るように連行した。
「…………」
出口付近で二人を待っていたクビキは、そんな様子のイチジクに苦笑しながら、フラト達に先に行くよう促し、イチジクを先頭にして階段を昇っていく。
流石がにここまで来ればイチジクもいちいち背後を振り返ったりはせずに、スムーズに進んでいくのだが、
「あ」
階段を登り切る手前で小さく声を上げて、イチジクがその足を止めた。
階段と物置部屋を繋いでいたスライド開閉式の床――現在階段にいるフラト達から見れば天井だが――その出入口が塞がってしまっていた。
「そりゃあ、いつまでも開けっ放しじゃ、簡単に見つかっちゃうでしょ」
イチジクが足を止めた先で何があったのか、簡単に予想できたのであろう最後尾のクビキから声が届いた。
クビキは更に続けて言う。
「イチジク、手首に魔術陣が刻印されてる左手を翳しなさい」
「はい」
素直にイチジクが従って天井――床の裏側に左手を触れさせると、また『がこり』と僅かに沈んでスライドして道が開けた。
「その契約とやら、出入りの鍵にもなってるのか。あれこれてんこ盛りだな」
フラトが、素直にその汎用性に驚いていると、
「下にある扉は全部この要領で開くようになってるし、ある条件下での記憶干渉もするからね、これ、魔術陣や魔術に対する造詣が深ければ深いほど驚ける代物なのよ」
有体に、滅茶苦茶凄いものなのだと、階段を昇り、床に開いた出入口から身を乗り出しながらクビキが説明してくれた。
正に――正真正銘、女王様からの文句のつけようもない『サプライズ』。
因みに、床の出入口は時間経過がなくとも、イチジクがその左手を翳すことで閉じた。
「さて」
クビキが改めてイチジクの方へ振り返る。
「イチジク、あなたは確かにあらゆる危険を自己責任として負うことで魔術を習う権利を得たけれど、それはここでのこれまでの生活が前提よ。みんなと一緒にここでの仕事は全うして、その上でやらなきゃいけない。さぼることは許されないし、そっちが疎かになるなら私は何も教えないわ。いい?」
それを聞いて、イチジクは何度も力強く頷いた。
「わかってます。頑張ります」
「よろしい。それじゃあ今日はもう寝なさい。これから一層体調管理は気を付けなさい。食事と睡眠は特にね」
「はい。師匠も、おやすみなさい。これ、お願いね」
最後の最後、イチジクはちゃっかりフラトに本を押し付けてから嬉しそうに部屋を出て行った。
その嬉しさのあまり、今はどうしようもなく浮かれていて、その為にクビキの忠告にも勢いで頷いていた――なんてことは、あんなにも自分の指がぼろぼろになるまで一人で黙々と頑張ったあの少女においては、ないだろう。モチベーションも、そして覚悟も既に十分な筈だ。
強いて言えば、寧ろそれ故に――頑張り過ぎてしまいそうで怖いが。
「あんたは明日、外に置きっぱなしの家具類、ここの出入口が消えないように戻しておいてね」
残ったフラトにクビキが言う。
「はい。ここまでやっておいて置きっぱなしにはしませんよ。ただ、その前に、明日でいいので見て欲しいものがあるんですけど」
「え、何よ」
「そんな面倒臭そうな顔しなくても」
あからさまに顔を顰められた。
「だって明日から本読む時間なくなっちゃうんだもの。更にまだ何か面倒をさせる気なの?」
「面倒って…………。っていうかそれ、振りじゃなかったんですね」
「ちょっと、振りって何よ聞き捨てならないわね」
すぅっとクビキの目が細められ一瞬にして剣呑な雰囲気が漂い始めたのを感じて、フラトは慌てて、言い訳をするように口を開いた。
「いや、食堂にあったあの魔術的仕掛けを解かないとここには辿り着かないわけですし、なんかカイガイさんがここの管理を任されているみたいな感じだったので、それを察知できるように、本を読んだりしてるのはカモフラージュ的な何かなのかなって」
「ほおう。私には本が読めないと」
「それは解釈が極端過ぎやしませんか?」
「でも、少なくともあんたには、私が本を読んでいる姿というのは、似合ってなかったってことなのね」
「…………まあ、そういうことにいだっ!」
叫んでフラトは自分の額を抑えた。
直後に、からん、と足元で硬質な音が鳴り、一枚の硬貨が落ちているのが見えた。フラトがそれを、額をさすりながら訝し気に拾い上げ、
「もしかして今これ、指で弾いたんですか?」
訊くと――クビキが無言で、こんな風に、と弾く仕草を見せてきた。
硬貨を取り出すような仕草も予備動作も見られなかったが、クビキは暗器使いか何かなのだろうか。
王家直属部隊というのはそんなことまで教えるような場所なのか、或いは、一人でこの地に送り出されたクビキだからこそ身に付けさせられた技術なのか。兎も角、そう思うと、ここで投げられたのがナイフのような刃物の類でなく、殺傷能力の低い硬貨だったのはクビキの優しさと捉えるべきだろう。
いや、本当にそうか?
数日前の夜に、殺す勢いで石を投擲されたのだから、硬貨だって同じくらいの速度で投げられるだろう。単に勢いの問題だけで、刃であるかどうかは多分関係ないのでは?
普通にこの硬貨一枚でも人を殺せそうな気はする。
「ま、最初はあんたが言うように『振り』だったんだけどね、何となく手持無沙汰で適当に紙を捲ってるだけだったけど、なんとなくそれにも飽きて、なんとなく読んでたら、なんとなく中の話が気になるようになって、今となっては読書も趣味よ」
「さいですか…………」
そこまで『なんとなく』尽くしで、しかも最初は本当に『振り』だったのなら、フラトの言い分だって半分くらいは当たっているわけで、だったら硬貨を顔面にぶち当てられなくても良かったのではないだろうか、と思うも、口に出さなかった。
「で、明日私に用って何かしら?」
「いえ、処分する家具類の中にはまだばらせば使えるパーツとかあったので、そういうのを再利用して一部駄目になっているものとかと入れ替えてみたんです。また使えるようになったと思うので、実際に再利用するかどうか確認して欲しいなあと思いまして」
「あんた…………そんなことしてたの? まあそういうことならわかったわ。買い出しに行く前に確認するから」
「お願いします。それとすみません、もう一ついいですか?」
「何よ」
「いやあ、ここまで来ておいてなんですが、下の部屋とか僕が這入ってもよかったのかなって、今更ながら思いまして」
「…………本当に今更ね。ま、いいわよ。ここの子供達に言いふらしたりしないでしょ、あんた」
「それは勿論しませんが」
「だったら、形はどうあれ、イチジクと一緒に謎解きしたんだし、先に何があるのか、目にする権利くらいはあるでしょ」
「ですか」
「そうよ。まだ他にも何か?」
「いえ。それじゃあ僕も、おやすみなさい」
「待ちなさい」
フラトが踵を返して廊下へと続く扉の方へ歩いていこうとしたところを、呼び止められた。
「その本はこっちに寄越しなさいな」
「あ、はい」
言われた通り、イチジクに押し付けられた本を渡す。
「また元に戻して図書室に戻しておかなきゃいけないんだから」
「それ、再利用可能なんですね」
「可能も何も、そもそも今回だって再利用よ」
「そうでしたか」
通りでページ毎に簡単に引き剥がせたわけだ。
毎度、糊を新たに付けているにせよ、劣化した糊はどうしたって残るわけだし接着の効果は悪くなるだろう。
「この施設が再建されてもう十年よ。これまでに何人か仕掛けを解いた子がいて、面倒を見たわ」
考えてみればそれもそうか、と納得する。
イチジクのようにあの年であれだけ自分の将来を真摯に見つめている子供も珍しいだろうが、それは珍しいだけで、決して彼女一人の特別な話ではない。
他にそういう子供がいてもおかしくはない。
「自分の身に自分で責任を持てるようになってから…………ですか」
「何よ」
「いえ、カイガイさんが、魔具の指輪を手に入れたヨリギに言っていた言葉です」
――独り立ちして自分で魔術を使えるようになるか、自分の身に自分で責任を持てるようになってから――と。
「今になって考えてみれば、独り立ちする事と、自分の身に責任を持てるようになる事、この二つを切り離して言っていたのも『まだこの先に仕掛けがある』『この場にいて魔術を習える先がある』と伝えてくれていたのかな、と、ふと思いまして」
「さて、どうだかね」
肩を竦めるクビキ。
「ま、何であれ今回みたいに外部の人間が関わった事例は初めてだったわ」
「それは…………何かすみません。ちょっと僕も楽しくなってしまって」
「いいわよ、別に。必要以上に手助けしてる節もなかったし」
「できるだけ弁えたつもりなんですけどね」
そう言ってフラトは苦笑いを見せる。正直、これまでのイチジクとのやり取りを思い返すに本当に弁えられていたのかは怪しい。
どうしたって好奇心が先行し、悩むイチジクを先導してしまった場面はあったかもしれない。決して、決定的なことはしていないと、願いたいが。
「さっき下で、光が見せた文章――『命を懸ける』なんて物々しい、大仰なことを言ってましたけど、ここで魔術を習うことは本当にそこまでリスクの高い事なんですか?」
「まさか」
「これまでこの仕掛けを見つけて魔術を習った子供の中で死亡者は?」
「いないわよ」
でも、とクビキは続ける。
「でも――可能性がまったくのゼロというわけじゃないの」
「…………」
「未熟な魔力の運用が、その失敗が、どういう作用を起こすのかはわからない。どれだけ可能性が低かろうと『有る』のであればその覚悟はしてもらわないといけないし、その覚悟の有る無しで本人の慎重さや注意力も違ってくるでしょ」
「確かに。全部、子供の為なんですね」
「当たり前でしょ。ここは子供の為の学び舎なのよ」
「でしたね。失礼しました。じゃあ今度こそ、おやすみなさいカイガイさん」
「はいはい、おやすみ」
雑に手を振って見送られた。
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