第十話

「あ、来た来た。くーもーさーん」

「待たせたのはごめんだけど、僕の本体、蜘蛛の方じゃねえから」

 ベンチに座り足をぶらぶらさせながら待ってくれていた少女は、フラトの突っ込みにけらけらと楽しそうに笑った。

「けらけらけらけら」

「そのまま声に出されると妖怪みたいっていうか…………普通に不気味だな」

 ともあれ、フラトは持ってきた本をベンチの上に置き、再びベンチから離れてちょいちょいと、少女に向けて手招きする。

「あれ、また移動するの? 本いいの?」

「いいから、いいから」

「しょうがないなー」

 ほっ、と少女が勢い付けてベンチから飛び降り、フラトの下へ速足で近付いてくる――畑脇の水道。

 先程、フラトが洗濯をした場所で、近くには干した洗濯物が陽を浴び、風に揺られている。これなら今日一日で十分に乾くだろう。

「取り敢えず両手を出して下さい」

「はーい」

 少女は言われた通り、地面と水平になるような形でずばっと両手を真っ直ぐに突き出してきた。その指先――もれなく十本ともに布が巻かれており、ところどころ、血が滲んでしまっている箇所まであった。

 図書室で隣に並ばれたとき、間近に見えたその指先が、ずっと気になっていたのだ。

「雑な巻き方だな。自分で巻いたのか?」

「まあね」

「何で偉そうなんだ。下手糞だって言ってんだよ」

「なんだとぅ」

「これじゃあ、ペン持ったり、授業で使う資料を捲ったりするの、上手くできないだろ」

「よくわかったな」

「こんだけ雑に巻いてたらな」

 軽口を叩き合いながら――身長どころか、年齢も半分くらいなのではないかと思われる少女と『軽口を叩き合える』という状況が不思議と言えば不思議な感じがするが、まあ、あのクビキ・カイガイに育てられ、その影響を一身に受けているというならわからないでもないなと思いつつ、フラトは少女の指先に巻かれた布を丁寧に全て外し、水道から水を出して、指先を洗い流した。

「染みたりしてないか?」

「じび、で、ない」

 ぎゅっと目を瞑り、亀のように首から先だけを器用に仰け反らせながら言う様は『強がり』以外の何物でもなかったが、こればっかりは我慢してもらうほかない。

「これだけぼろぼろになってたら、そりゃあなあ。何したらこんなになるんだよ?」

「おいおい、乙女の秘密を暴こうって?」

「乙女舐めんな」

「蜘蛛が語んな」

「やかましい。蜘蛛が本体じゃねえって言ってんだろ」

「けらけらけらけら」

「薄気味悪い笑顔でその笑い方やめろ、怖えよ」

 ころころ表情が変わるのを、子供らしいなんて例えることがあるが、この少女の持つ表情のバリエーションは変なのばっかりである。

「で、何やらかしたんだよ」

「なんだよ不器用なんだよう。料理苦手なんだよう、悪いかよう」

「いや、別に悪くはないし、僕だって責めてるわけじゃないけど……………………料理でこんなんになってるなら、不器用ここに極まってるって感じだな」

「ときめいた?」

「純粋にその不器用さを心配してる」

 確かに、と少女はまた笑う。

 こんな風に流暢なやりとりをしているとふと忘れそうになるが、彼女はまだまだ幼いわけで、少し不器用なくらいまだ深刻に捉えるような年齢でもないだろう。

 『乙女』を名乗る者としては、笑い事ではないと思うが。

「ほれ」

 フラトは持ってきていた小さめのタオルを少女に渡しながら、蛇口を捻って水を止めた。

「血、付いちゃうかもしれないよ?」

「いいよいいよ、変な気を遣うなって」

 軽口を叩いたかと思えばけらけら笑って、かと思えば心配そうな顔で気を遣ってきて、忙しい少女である。

「これ、ここのタオルかっぱらってきてないよね? カイガイ先生にバレて怒られたりしないよね?」

「気遣いじゃなくてそっちの心配かよ。僕のタオルだよ」

「じゃ、遠慮なく。もし嘘でも、蜘蛛のおにーさんのせいにするからね」

「普通そういうことって堂々と相手に向かって言うもんじゃないと思うけど、僕のだって言ってんだろ」

 そんな風に、ごちゃごちゃ言い合いながら、二人は水道から離れ、置きっ放しにしていた本を間に挟む形でベンチに座った。

「ありがと、蜘蛛のおにーさん」

「はい。それじゃあまた両手を出して下さい」

「はーい」

 少女から受け取ったタオルを脇に置き、再び素直に突き出してきた少女の両手、その指先をフラトも両手を使って包むように覆った。

「うわー、なになに、何か温かい! これって、魔術?」

「そんな高等なものじゃないかなあ。おまじない、くらいのもの」

「おまじないかあ。へえ」

 よくわからないけど相槌を打っておこうという、相槌だった。

 自分もたまにやるからわかる。

 ただ、理解はできずとも普通とは違う感覚があるのか、少女は不思議そうに、興味深そうに視線を落としていた。

 そのまま暫く、フラトは少女の指先にを送ってから、タオルと一緒に持ってきておいた――師匠の家から持ち出してきた傷口用の軟膏を塗り、その上から特殊なテープを張り付けた。

 師匠には特に許可をもらわずに持ち出してきたものだが、そもそも生傷の絶えないフラトの為に用意されたものであり、なんなら師匠が怪我をしたところなんてついぞフラトは見たことがないので、持ち出してきたところで怒られるような心配はない。

「このテープも剥がすなよ。これも優れものなんだから」

「テープも?」

「うん」

「何で?」

「何で……………………何でだろうなあ」

「いや、わからんし、むしろ不安になるんだけど」

「確かに」

 そりゃそうか、と少女の言い分に納得する。

「っても、僕も細かい構造とか原理とかはよくわかんないんだよなあ。箱の説明を読む限りじゃあ、傷口から出てくる体液を逃さずにそこで留めてくれるんだってさ」

「え…………それ、なんか汚くない?」

 フラトの説明に少女が顔をしかめ、咄嗟に引っ込めようとした手を、まだ全ての指先に処置が終わっていないのでフラトが力尽くで引き留めた。

 ぐいぐい引っ込めようとすんな。

「まあまあ、待て。その気持ちもわからなくはないけど、実際これで綺麗に治るんだよ。元々僕が実際に使ってた奴だし、効果は保証する。深く抉れたりしてなければちゃんと綺麗に、跡も残らず治るよ」

「なーんか胡散臭いなあ。顔が」

「顔は関係ないだろ。黙れ」

「おっさん臭い」

「僕はまだ十六だ。語感だけで変なこと言うな」

「むっさ臭い、むっさん臭い」

「伝わらないかもしれないと思って言い直した配慮は認めるが、そこまで強引に僕を『臭う奴』に仕立て上げようとするな」

 この町に着いたばかりならいざ知らず、今のフラトは、昨日の夜にお風呂は借りて全身くまなく洗ったし、なんなら朝もシャワーを借りて浴びたのだ。

「ったく…………別に金取るわけでもないんだし大人しく施されとけ。もし何か違和感があったらすぐ外しちゃって構わないから」

「ぅあーい」

 適当過ぎる返事だった。

「そこまで血がどばどば出てるわけじゃないし、取り敢えず三日くらい付けっぱなしにして様子見って感じかな」

「えー! 三日もお風呂に入るなと!? この乙女に!?」

「乙女舐めんなっつってんだろ」

「さっきから、乙女に一家言ありそうなの、ほんとなんなの」

「それ防水だからお風呂入っても大丈夫だよ」

「あ、そうなんだ。それはそれは、優れものだねえ蜘蛛のおにーさん」

 でも、と少女は続ける。

「そんな凄いんだったら高いでしょ? 私お金ないよ? こんなに沢山付けてもらっちゃっていいの?」

「いいんだよ。僕が勝手に気になっただけだから」

「しょうがない、身体で払うか」

「話聞いてたかよ。請求しねえって言ってんだろ」

「もうちょっと大人になって色気むんむんになってからね。出世払いってやつ」

「何でお前の方がちょっと乗り気なんだよ。やめろ」

 しかも『もうちょっと』でそんな風になる頭の悪い目算はどこから来るのだろうか。

「あれ、もしかして今くらいが蜘蛛のおにーさんの性癖? ぶっささり?」

 なんてことを小首を傾げ、至極真剣な表情を作って訊いてくる辺り、彼女に『根拠』とかそういうものを求めても無駄なのだろう。

 せめて、色気むんむんというのは期待薄にしろ、おつむの方はちゃんと成長しますようにと願わざるを得ない。

 まあ、見方によっては、フラトとの掛け合いというか、軽口の応酬が出来ている時点で、同じ年代の子供達より、どこか大人びているとも言えそうではあるが。

 ともあれ。

「いや、僕の性癖は僕よりも少しお姉さんで、すらっとしてて、白くて、背中の綺麗な人だから。因みに『お姉さん』っていうのは実年齢的な意味じゃなく、精神年齢的な意味合いが強いからそこのところ間違わないように」

 間違いは正しておかなければなるまいと、細かく訂正をしたのだが、

「あ…………うん」

 少女は引いていた。

 ふざけたことを口走ったのは向こうが先のくせに。というかフラトはどこもふざけてなどおらず、真面目そのものだったというのに。

「背中…………背中かあ。そういうフェチズムもあるんだねー」

「理解を深めてくれているようで何よりだが、話を戻すぞ。その指先の治療に関して、請求はしないからな。こういうのは使えるときに使っちゃうのがいいんだから」

 それに、本当に今回のはフラトが気になったから勝手にやっただけであって、雑ではあれど、少女自身の手当のままにしておいても治るは治っただろう。ただ、少女にも手伝い、というかこの施設での仕事はあり、水仕事だって少なくないだろうに、その度に染みて痛い思いをするのは可哀相だなんて思ってしまったフラトの自己満足であり、そこに報酬や見返りは求めていない。

「太っ腹あ!」

「言いながら僕のお腹突くな」

「いや、硬すぎ。突き指するわ」

「人のお腹をそんな勢いで刺そうとするからだ」

 しかも連続で。折角痛まないように処置をしたというのに、まるで庇う気がなさそうである。

「それじゃあ、本題に移るか?」

「え?」

「お前……………………これだよこれ」

 本気で、わからない、という表情をする少女にフラトは呆れながら、二人の間に置いてある本を持ち上げて見せた。

「忘れてたな」

「なははははっ! 忘れてない忘れてない。蜘蛛のおにーさんを試しただけだよ」

「そんなわかりやすい嘘信じる奴いると思ってんのか」

「もー細かいなあ。それより、調べるってどうやって調べるのさ?」

 言いながら、少女はフラトの手から強引に本を引っ手繰ってぱらぱらと捲った。

「大体、こんなのこれ以上どう調べるつもりなの? 白紙だよ白紙」

「ちゃんとその本見たか?」

「見たって。最初から最後まで一枚ずつ捲ったよ」

「ほんとにぃ?」

 フラトが言うと、肩を殴られた。

 勢いの乗った、普通に痛いやつだった。

「腹立つ顔するからだよ」

「お前がした顔の真似だよ」

「知らん!」

 やたらと語気強く真面目な顔でふざけたことを言われた。

「取り敢えず、もう一回見直してみろよ」

「わかった」

 苛ついているような雰囲気を出す割には、素直に頷いて表紙からまた一枚ずつ捲っていく少女。

 なんだかんだ言っても、そこに何かあるなら見つけたいのだろう。魔術に関する何かしらを。

 ぱら、ぱらと丁寧に目を凝らしながら、というかほんとど睨みつけるようにして一枚、一枚捲っていく様子は真剣そのものだった。

 そうして、最後まで捲りきった少女はぱたんと本を閉じ、ゆっくりと顔を上げ、鋭い視線でフラトを睨みつけた。

「うぉい」

「何だよ」

「真っ白じゃん!」

「ほんとにぃ?」

 どん。

「痛って。さっきと同じところ殴ってくるな」

「何もないよ!」

「…………実際、内容部分は全部白紙だけど、唯一、中に書かれてるものがあるだろ。ちゃんと見ろって」

「書かれてるもの? …………もしかしてこの?」

「そうそう」

 それそれ、とフラトが頷く。

「で、それが?」

「…………」

 何も答えずにフラトが少女の手元の本を指差すと、少女は「ちぇ」と漏らして再び本に視線を落とした。

「思わせぶりだなあ。そうならそうと最初からそう言ってくれればいいのにさ。っていうかさっさと知っていることを洗いざらい全部教えてくれれば痛い思いをしないで済むのに、まったくもう、まったくもう」

 口を尖らせて、ぶつぶつと文句を言いながらも再び表紙から捲り始める少女の、その無防備な後頭部を引っ叩きたい衝動をフラトはなんとか抑えた。

「謎解きってのは少しずつ少しずつ、自分で考えて、試行錯誤して、状況が進んでいくから面白いのに…………」

「ふん。謎かどうかもわかんないじゃん」

「まあ、それはそうなんだけどな」

「だいたいページ数なんて…………そんなの普通に…………あれ?」

 少女の手が止まり、数ページ戻って、更に最初の方まで戻り、ぱらぱらとまた進めていく。

「これ…………最初の方はずっと順々にページが進んでたけど、途中からページ数が滅茶苦茶になってる」

「変だよな」

「怪しい。滅茶苦茶怪しいよ」

「な? ちょっとわくわくするよな」

 少女が好奇心に煌めく目をフラトに向け、何度も力強く頷いた。

「まあ、このあとどうす――」

 どうするかが問題なんだが――と言おうとしたところで。

「うっしゃ」

 べりべりべりべりべり。

 少女が意気揚々と、表紙と裏表紙を反対に反らせて、中のページを小口側から鷲掴みにし、一気に引き剥がしたのだった。

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