第十一話

「お前…………躊躇なくやりやがったな」

「いやいや、ここまで来て躊躇うとかないでしょ。だってこの本持ち出したの蜘蛛頭さんだし」

「おい」

「ふふん」

 引き剥がした表紙と中のページを振りながら少女はまるで悪びれた様子もなく言った。普通に性格が悪い。この歳でこの小狡さは将来が大変心配である。

 まあ――ページがばらばらになっていることに気付いたフラトも当然、次なる行動としてはこうすることを思い付いたわけで、この施設に所属している少女を巻き込めたのは渡りに船というか、部外者であるフラトだけで事を起こすよりもいくらかましだろうと、何の根拠もなく思っていたフラトもフラトだが。

 それにしてもである。

 もうちょっと――『え、どうする?』『やっちゃう?』『大丈夫かなあ』みたいなやり取りを想定していたのだが、少女の思い切りがよ過ぎた。

「取り敢えず序盤は順番通りになってるからまとめて剥がしてっと――」

 未だ、本当に大丈夫かなあ、と心配なフラトを余所に、ぶつくさ呟きながら少女の手は止まらない。

 序盤の十数ページをまとめて束にし、端っこの方をぺりぺりと剥がして渡してくる。

「お前気を付けろよ。あんまり勢いよくやって破くなよ」

「わかってるわかってるー」

 言葉が軽い軽い。

「いや、そんな心配そうにしなくても大丈夫だって鳥頭のおにーさん」

「人を忘れっぽいアホみたいなキャラにすんな」

「だってこれ、ちょっと引っ張っただけで簡単に剥がれるから。私、全然力入れてないよ」

 確かに、その軽い言動とは裏腹に、少女の手付きは慎重なそれではあった。よっぽど、魔術というものへの意気込みが強いのだろう。

「新品そうには見えないし、時間が経って糊とか劣化してんのかな」

「かもねー。ぺりぺり剥がれるの気持ちー」

 なんてことを言いながら、少女は休みなくページを剥がして剥がして、剥がしまくっていく。

「よし。んじゃ次はっと……………………えーっと、さっきの束の続きは…………あ、あったあった。ほい」

「ん」

 フラトは少女が差し出してきた紙を次々に受け取り、裏返して――奇数を下にして束に重ねていった。

「ほい、ほい。…………にしても、最初だけページ数は順番通りにしておいて、途中から滅茶苦茶なんて、意地悪だよねこんなの」

「意地悪って…………まあ、そう捉えられなくもないか」

「うわ出た」

「なんだよ」

「その意味深に別の可能性仄めかしてくるやつ。言動に性格の悪さが滲み出てますなあ」

「やかましい。性格の悪さじゃなくて多角的な視点と言え」

「あーはいはい」

「というか、お前の捉え方が浅過ぎるだけだ」

「それは言い過ぎ」

「単純な偽装にまんまと引っ掛かった言い訳にしか聞こえん」

「あああああああああああああああああああああああ、ああああ聞こえませーん。ああああ、あああ、あああ、ああああ、あああ大体まだ偽装かどうかもわかりませーん。あああ、あああ、ああああ」

 両耳を自分の両手で塞ぎながら大声を出すという荒業で少女はフラトの声を遮断しているようだが、そもそもフラトが全部喋った後なので遮断もくそもない。

 それよりも――

「おっと」

 少女が両手を耳に当てたせいで、風に吹かれて飛びそうになったページをフラトが慌てて押さえた。

「危ねえな。気を付けろって」

「ごめんごめん」

 なはは、と気軽に笑って、少女は再びページを捲って剥がしながらフラトへ渡していく作業を再会した。

「で、蜘蛛のおにーさん。この滅茶苦茶にされたページが意地悪じゃないんだったら何だって言うの?」

「まあ、一つ考えられるのは、誰かが怒ったんだよ」

「は?」

「元々は最初から最後までページは順番通りで、ただただ内容だけ白紙で作られた奇妙な本であるそれを、僕等よりも先に見つけた誰かがいて、魔術に関する本だと思って期待して手に取ったのに何にも書かれてなくて、瞬間的に怒ったその誰かはつい本を投げつけてしまいページが取れてばらばらに。慌てて戻したときにページの順番もばらばらになってしまった――とか」

「……………………んむぃー」

 手を止めた少女が何とも言えない、本当に何とも言えない表情をフラトに向けて唸っていた。

 気持は理解出来る、何なら自分もそうしようと何度思ったことか、しかしそうだとしたら今自分がやっている作業は徒労に終わり、この先、ただ本のページを戻しただけで『魔術』に関するものはなにもないということになってしまって、感情の置きどころがわからない――みたいな心情だろうか。

「人の表情からそこまで詳細に心情を読み取られると、凄い、の前に、キモいがくるよね」

「お前の表情が読みやす過ぎるだけだろ。事あるごとに僕を罵倒するなよ」

 臭かったり、キモかったり――散々である。

 そんなフラトに、べー、と舌を出してから、少女は止まってしまっていた手を再び動かし始めた。

「他には? 可能性、一つじゃないみたいな言い方だったけど」

「もう一つは、そのページがばらばらなのが意図的に作られた可能性。ちゃんと魔術について調べようとしてる人が、わかりやすく目に付く部分だけじゃなく、何かないかって、なんとしてでも魔術について知りたいって思って調べたときにその違和感に気付けるように」

「ふん。私だって滅茶苦茶魔術について知りたいもん」

「ほんとにぃ? …………………………………………わかった。すまんって、お前が魔術に対して本気なのはわかったから、こっち睨みながら呪詛めいたものを唱えるな」

 『言語』かどうかもわからない音の羅列を、ぶつぶつと口早に唱える様子は、得も言われぬ不気味さがあった。

 呪文と言えば、まあ呪文めいた雰囲気もあったが。

「そんなに――魔術を覚えたいのか?」

「そりゃあ、覚えたいよ。何としても」

 作業の手を止めないままに力強い言葉が返ってきた。

「そんなにか」

「そうでもしないと、私達に先の未来はないからね」

 力強いというか、深刻そうな言葉だった。

 しかも『私達』ときてる。

「今は幸運にも――本当に幸運にもここで育ててもらって、色々と勉強もさせてもらってるけど、いずれここを出なくちゃいけなくなるんだよ」

 お前誰だよ、と思わず突っ込みたくなるような急な大人びた口調だったが、割と真剣な声音だったのでフラトは――

「誰だよお前、さっきと全然雰囲気違うんだけど。急に深刻になってどした?」

 敢えて言及した。

 どん。

 言及して、肩を殴られた。

「…………ここ出なきゃって、この町をってこと?」

「うん…………ああいや、でも、中にはこの町の人と結婚したり、運よく雇ってもらえたりするのかもしれないけど、そんなのは少数に決まってるから」

「随分と、断言するな」

「調べようと思ったらすぐにわかることだしね。この町には、この施設出身の人凄く少ないもん。勿論この町が一度壊滅しちゃう前の、孤児院だった頃も含めての話ね」

「ふうん」

 年齢的には当事者でないだろうに、壊滅したことは教えられているらしい。

「それに、外から人が来るっていっても、それはこの町の規模に対して割と多いってだけで、それこそ王都みたいに溢れるほど沢山の人が行き交ってるわけじゃないから、多くの従業員を雇える程の大きなお店なんてものもないし、必然的に今この町にあるお店を継ぐのはそこの子供になるでしょ。所詮、余所者の私達はここでは定職に就くことは期待しない方がいいんだよ」

「余所者って、お前…………」

「ん? あ、いやいやいや違う違う。みんな良くしてくれるよ。ここが町の学び舎として機能してるからっていうのもあるのかもしれないけど、ここに来る子達も、そのお母さんお父さん達も凄く優しいんだよ。食材もいっぱい持ってきてくれるし」

「それは、わかるよ」

 フラトが昼食の調理を、クビキに言われた通り裏方として最低限の手伝いだけをしていた際、職員ではない女性がクビキと親し気に話し、食材を渡しているのを目にした。

 フラトとしては、クビキとの出会いが出会いだった為に、どうしても暴力的でぶっきらぼうな印象が先行してしまうが、職員としては筒がなく運営しているようである。

 果たしてどちらが素なのかは知らないが。

「だからまあ、生きていく為のどうしようもない優先順位みたいなものだよね。たとえば、その仕事に必要な魔術や技術があったとして、それを教えられるのはどうしてもずっと一緒に暮らしている実の子供だし、子供だって小さな頃からその仕事風景を見ているんだから経営の感覚は掴みやすいだろうしさー」

「…………道理だな」

 ほんと誰なんだ、と疑いたくなるような論理的思考の展開は隙がなく、そんな風に相槌を打つしかなかった。

 恐らく、シビアに過ぎる、とも言えない全く持って現実的な考え方ではあるのだろう。

 年齢にそぐわないだけで。

 いや――否、どうなのだろう。

 王都から溢れてしまった子供を受け入れている現状を考えると、この学び舎を出なければならなくなった際の、働き口の紹介みたいな口利きくらいはしてくれるのではないだろうか。

 ただまあ、確証もないのに希望を持たせてしまうのも憚られたのでフラトはその考えを口にはしなかったが。

「でしょ。だからここを出たら私達はまず王都に行って、そこで職を探すか、それか組合に所属するのが、現実的な選択肢なんだよ」

「どういう選択肢を取るにしても、自分が出来ることは今の内に増やしておいた方がいい、って? その為に魔術を?」

「うん。王都の組合では、所属するにはまだ力が弱い子供達に、雑用とかと一緒に必要な知識を教えてくれるところもあるらしいんだけど、そこに所属するにもある程度の条件はあるみたいだし、そもそも王都で暮らすための生活力とか、ないといけないし。だったらここで力付けとかないとじゃん」

 ふうん、とフラトは相槌を返す。

「いやしかし、お前その指。魔術の前に覚えないといけないことあるだろ」

「…………」

「ここから出て、独り立ちするってなら尚更に」

「…………」

「おい」

「…………ほい」

「…………」

 差し出された用紙を受け取る。

「一人で生活していくなら最初は節約だって必要だろうし、そうなると自炊能力は必須だぞ」

「私達はさ――」

「話を変える気か?」

「私達はさ――」

「全然僕の話聞かねえじゃん」

「私達はさ――」

「おーけー。続けてどうぞ」

「私達は、外がこんなにも危険な場所で奇跡的に拾ってもらえて、幸運にもこうして不自由なく育ててもらえて、色々な勉強までさせてもらってるんだよ。だからさ――この施設を、この町を出たくらいで簡単に駄目になるような生き方はしたくないんだよね。ちゃんと死ぬまで楽しく、生きたいんだよ」

「まあ、その勉強が身に着いてるかどうかは別としてな。料理とか料理とか」

 がちん!

「あっぶな!」

 少女が予備動作もなく、突然大口を開けてフラトの肩に噛み付こうとしてきたところを、間一髪、ぎりぎりで身を引くことで躱した。

 攻撃方法に変なバリエーションを加えてきやがった。

「ま、まあ…………その考え方は格好良いと思うよ」

「だと、いいけどね」

 簡単に駄目になるような生き方はしたくない、なんて。

 矢張り年齢に似つかわしくないが、そういう話を聞いてしまうと、こうやって本をばらばらにした先に、魔術に関する何かはあってほしいなと思うフラトだった。

 ばらばらにしている本だって、タイトル『魔術』の文字が入っているわけだし。

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