第四話

 フラトは小走りで公園の出入口から飛び出し、その背中に声を掛けた。

「あのー、すみませーん」

「…………」

 声に反応して立ち止まり、ラフなワンピースと一本に結われた黒髪を翻して振り返ってくれた女性はしかし、不審気に目を細めてフラトを見据えた。

 ワンピースの下にはタイトなパンツを穿き、足下は編み込みでところどころ素足が覗く簡素な履物。片手には食材のはみ出た袋を握っており、これから夕飯の支度をするには少し遅いような気もするが、服装のラフさから見るに買い出しの帰りといったところだろうか。

 怪しまれてはいるものの、暗くなった人気のないところで突然声を掛けられればそれも当然の反応だろうと、女性からの訝しみを通り越して若干刺すような視線をフラトは受け流しつつ、咄嗟に声を掛けた女性が外部からの来訪者ではなく、この町に住んでいる住人のようで良かったと、フラトは安心した。

「突然すみません」

 会釈の様に軽く頭を下げて謝意を示しつつ、フラトは何も持っていない両手を上げて暗がりでも情勢から見えやすいようにした。

 武器の類は持っておらず――少なくともすぐに手にできる状況にはなく、害意はないのだと暗がりで暗に示す。そんなフラトの思惑を理解してくれたのかどうかはわからないが、女性は口を開いてくれた。

「私?」

「はい」

「何かしら?」

「お訊きしたいことがありまして…………いいでしょうか?」

「いいわよ」

 明らかにフラトを怪しんでいる割には、落ち着いた声が返ってくる。

 その声音には怯えや焦りのようなものは見られない。ただただ『怪しい奴に声を掛けられた』という風で、ただフラトを純粋に怪しんでいるだけのように見える。聞こえる。

 純粋に怪しむというのも変な語感だが。

「今日この町に来たんですけど、この公園って野宿とかしても大丈夫でしょうか?」

「野宿?」

「あの、その、あれです…………野宿と言っても別にテントとか広げようって話ではなくて、ベンチを使って寝るくらいなんですが…………どうでしょう?」

「どうでしょう、と言われても私は別にこの公園の管理をしているわけじゃないからね。でもまあ、別にそれくらいなら大丈夫なんじゃないかしら」

「見つかって罰金とか、あったりしません?」

「やたら汚したりとか設備を壊したりとか、そういうことしなければ大丈夫でしょ。公に『野宿をしたら罰金』なんて決まり、私は聞いたことないし」

「そうですか。良かった」

 良かった、などと呟きながら安堵の溜息を吐き出すフラトだったが、思考の片隅にはまだ安心できない要素として――質問を投げかけている女性がもしかしたらこの町に住み始めたばかりで規則などをよく知らない可能性、或いは実は外部からの来訪者で、たまたま食材の買い出しの為にここの住人と遜色ない簡素な服装を身に纏っているだけの可能性がちらちらと蠢いていたが、疲労とそれに伴う眠気に負けて細かい精査は打っ棄った。

 それにそこまで尋ねようと思ったら、もう少し女性の個人情報に踏み込まねばならず、より怪しまれるだろう。そんな中女性の警戒心を和らげるようなコントロールをしつつ、上手いこと自分の望む情報を引き出すような、頭と精神を使うような事をするだけの気力はなかった。

 一応『現地住民と思われる人に確認を取った』という事実があればまあいいかと、お礼の一つでも言ってそそくさと公園の中に戻ろうとしたフラトだが、予想外にも女性の方から声を掛けられた。

 捨て置けない不審者――と認識されるほどに悪印象を与えたつもりはないのだが。

「それにしても、何で野宿?」

「いや…………単純に一文無しでして」

「あら、そういうこと。ならもしかしてご飯もろくに食べてないのかしら?」

「いや、ご飯はついさっき――」

 食べましたけれど、と話すフラトの言葉を聞いているのかいないのか、女性は持っていた買い物袋をごそごそと漁り出した。

「今日の夜にでもつまもうと思って買ったお菓子だけど、まあ、ちょっとは空腹を紛らわせられるんじゃないかしら」

 なんて言いながら、あれほど訝しんでおきながら、買い物袋から取り出したお菓子の箱を手にあっさりと近付いてい来る。

 フラトは差し出されたお菓子の箱に手を伸ばす――受け取る為ではなく、先程ご飯を食べたから必要ないのだと押し返す為に。

「ほら、これ。あげるわ…………よ」

 しかし押し返そうとしたお菓子の箱はびくともしなかった…………というか、女性がフラトの顔を凝視したまま固まっていた。

「…………嘘でしょ」

「何がでしょう?」

 何かに酷く驚いたように目を見開く女性にフラトはあくまで冷静に返しながら、お菓子の箱を押し返す手に更に力を込めてみているのだが、まるで微動だにしなかった。

 固まっているというか、ここまできたら絶対に、向こうもフラトが押してくる力に合わせて力を込めて調整し、押し返してきているに違いない。

「君、もしかして■●▲■■▲●?」

 不意に放たれた言葉はしかし、まるで聞き馴染みがなくて、フラトには上手く聞き取れなかった。

 それが――人の名前だということ以外は。

「もしかして、この顔に見覚えあります?」

 フラトはお菓子の箱を押している手とは逆の手で自分の顔を指差しながら、ちょっと困ったように言った。

「見覚えっていうか、面影っていうか…………」

「面影、ですか」

 そういうことなら。

「あの、僕――」

「待って」

 切り出そうとしたところを遮られ、女性が公園の中のベンチを指差し、自分で先に中へ這入って行ったのでフラトも黙ってその後ろに続いた。

 まあ、確かに突っ立ったまま話すような内容でもないかもな、とは客観的に思うものの、ここで――魔獣の襲撃を受ける前にあったこの町での記憶がフラトには欠片も戻ってきていないので、いまいち真剣味にも欠けるというか、別に座り直すほどのことでもないないような気もしてしまうのだった。

 ともあれまあ、差し出されていたお菓子の箱をここで女性が引っ込めてくれたのにはちょっと安堵した。

 女性は、ベンチの端に置いてあったフラトの鞄をわざわざ中央に移動させ、その隣に自分の荷物も置いて端に腰掛け、反対側の端を指差してフラトを見た。

 素直に従ってフラトも腰掛ける。

「で、何を言い掛けてたのかしら?」

「えっと――」

 促されフラトが改めて口を開く。

 折角こうしてわざわざ腰を落ち着けて改まった雰囲気を作ったのだから、お膳立てしてくれたのだから丁寧に、まずは――約十年前、尖狼に追われて山を逃げていたところを助けてもらい、そのままその人に育ててもらって山で暮らしていた事。

 尖狼に追われる以前の記憶がなくなっている事を話した。

 話している途中で引っ込めた筈のお菓子をまた引っ張り出して中身を取り出し、ぽりぽり食べだしたのを見たときはもしかして飽きてきてるいのではないだろうかと思って話すのをやめようかと思ったものだが、そこはぐっとこらえてフラトは最後まで話し切った。

「そういうわけで、これまで十年間ほどフラト・ホウツキとして生きてきて、これからもこの名前を手放すつもりはないので、それでお願いします」

 仮にフラトが失ってしまっている過去の頃を知る人なのであればそれは伝えておかねばならないことだった。

「ホウツキ、ね。わかったわ」

 お菓子を食べ終え親指と人差し指を舐め取りながら頷く女性。

 果たして本当にこうして場所を変えて腰を落ち着ける必要はあったのだろうかと、フラトは首を捻らずにはいられなかった。

「私はクビキ・カイガイ。それで…………その恩人の方のところから家出でもしてきたの?」

「いやあ、家出というかその逆と言いますか?」

「逆?」

「まあなんやかんやありまして、旅に出ることになったんですよ」

「ふうん」

 怪しまれているのか大して興味がないのか、記憶の戻っていないフラトにとっては今あったばかりの女性の心情は判別できなかった。。

「山の麓まで降りたときにたまたま人に出会いまして、その人にこの町の事を教えてもらったんです」

 遺跡なんて貴重なものの調査をしていたエンカについては言及せずに避けておく。

 僅かであれどういう形であれ、折角彼女が見つけた遺跡に関する情報を自分から辿られるわけにはいかないという保身から。

「子供だった自分が山で一人尖狼に追われていたこと、同時期にこの町が魔獣に襲撃されて一度壊滅してしまったこと…………関連性があるんじゃないかなあと思いまして」

「成程ね」

「まあ、この町に近寄ってみても、こうして中に這入って色々と歩き回って見て回ってみても特に思い出す事とかなかったんですけどね」

「そりゃあ、再建で昔の名残なんてほとんど残ってないからねえ。昔のこの町はもっと小さかったし。思い出す切っ掛けになるような物なんてないでしょうよ」

「ですか」

「でも、人は違うでしょう?」

「?」

「襲撃があったときの話、聞く?」

「いいんですか? その気持ち的なところもそうですが、お時間とか…………」

「いいのいいの。で、聞きたい?」

「えっと、もしお聞かせ頂けるのでしたら、はい」

 それじゃあ、と女性はベンチの背もたれに思い切り体重を預けて寄り掛かり、暗くなった空を見上げ、

「切っ掛けは、しょうもないことだったのよ」

 と切り出した。

 フラトが真剣に過去語りをしている間にお菓子をぼりぼり食べて、終いには親指と人差し指を舐めていた人物とは思えない、雰囲気の醸し出し方だった。

「…………」

「その日の夜間警備の人間が一人、見張り台で見張りをせずに酔い潰れていたの」

 たったそれだけよ、とクビキ。

 たったそれだけのことが壊滅の引き金になってしまった。

「何か嫌なことでもあってやけ酒をかっ食らったのか、あるいは逆で、酒で祝わずにはいられないほど良いことがあったのか。当時、今よりも町を囲む塀は低く、強度だって全然脆かったのよ。だからこそ、人の目、耳――五感を使った警備が大切だったのにねえ」

「…………」

「曲りなりにもこんなところに町を作って住もうってんだから、勿論、村には魔獣を相手にできる人間がいて、接近がわかっていれば、問題なく対処できるはずだったんだけどさ。あのときだって予め気付いてれば阻止できたと思うのよ」

 声音から悔しさが滲み出る。

「そもそもこんな見晴らしのいい立地だからね、基本的に近付かれる前に遠距離で出来るだけ魔獣の数を減らす、減らし切れなくても弱らせる、威嚇で引き返らせる。これが町の防衛においての鉄則だったんだけど、それができないだけでああも簡単に蹂躙されちゃうとは、そこそこ長いこと私も町にいたんだけど、驚いたよ」

「その…………町に住んでいた人達は」

「いち早く魔獣の接近に気付けたのが私だったから、私が村の入り口にある警鐘を全力で鳴らしてね、魔獣の相手が出来る人間がどうにか時間を稼いでいる内に、町の地下に作ったシェルターに急いで住民を非難させて、魔獣の相手をしていた人達も少しずつ前線を下げながら、町そのものを犠牲にしながら、シェルターに逃げ込んで、どうにかやり過ごしたわ。酔い潰れていた奴以外はね…………」

「そう、でしたか」

「んでね、そもそも門番でもない私が魔獣の接近に気付けたのはあんたのおかげなのよ、ホウツキ」

「え? 僕、ですか?」

「そ。夕方になってもあんたが孤児院に帰ってこないから、万が一町の外にでも出てやしないかと、最悪の可能性を潰す為の確認として門番に話を聞きに行こうと思ったのよ」

「そう、でしたか…………」

 クビキの言葉を聞きながらフラトは考える。

 孤児院――自分がそこにいたんだと知って、どこか少し安心していた。両親や兄弟、そういう家族が、家が、自分にないことに安堵した。

 仮に、失ってしまっている幼少期の記憶が戻ったところで、師匠と一緒に過ごした記憶が鮮烈過ぎる。

 育ててもらって、鍛えてもらった。

 苦しくてしんどかった事もあったけれど…………いや、まあ、かなり辛かったし、なんなら鍛錬だの修行だの死にそうな思いばっかりしていたような気もするが、それでも感謝の念に堪えない。

 ここで血の繋がった家族がいるとか、実家があるとか、そんなことを言われても正直困っただろう。

「そんでいざ門まで行ってみたら話を聞く状況になくてね、外を確認したら魔獣まで接近してて…………私は、何よりもまず、町の中で暮らしている人達の命を優先したのよ」

 少しだけ、ほんの少しだけ、クビキの声のトーンが落ちたような気がした。

 気がしただけかもしれない――勝手にいなくなったその少年を見捨て、町の皆の命を優先させたことは、それはだって、当たり前のことなのだから。

 それにそのときはまだ、少年が町の中にいるかもしれない可能性だってあったわけだし。

「でもまあ、それが僕だったのかどうかはわからないですけどね」

 慰めというわけではなく、フォローですらなく、ただなんとなく、ちょっとだけしんみりした空気が変わればと思って言ってみた言葉だったのだが、

「何言ってんのよ」

 馬鹿じゃないの、と暴言と共にフラトの言葉は一蹴された。

 ちょっと言ってみただけなのに思いのほか強い言葉で否定されて面食らう。

「たった数年だろうと四六時中一緒に生活してたのよ。その右目の下の二つ並んだ小さな黒子とか、特徴も一致してるし面影も残ってる。それに、記憶をなくしたのが十年前で、最後の記憶がそこの山だったんでしょ? なら疑う方がおかしいでしょ」

「まあ…………それもそうですよねえ」

 矢継ぎ早に畳みかけられ、曖昧に相槌を打つくらいしか出来ないフラトだった。

 ちょっと言ってみただけなのに。

「まあ正直さ、あんたに疑問がないわけじゃないのよね」

「疑問ですか?」

「その助けてくれた人と山で一緒に暮らしてたなんて言うけど、『封鎖地域』なんかに指定されてるあのサワスクナ山で? しかもそこから一人で降りてきた? そんな山の麓でたまたま親切な人に出会った?」

「…………」

 当然の疑問、疑念、疑惑。確かに端折ってしまった部分も多くあり、そりゃあ怪しまれるというものだが、だからって何から何まで説明したところで多分怪しいことには変わらないような気もするので、どっちにしろフラトにとっては八方塞がりでもある

「けどまあいいわ、言及はしない。無事にこうして五体満足で生きてるってのがわかっただけで、ええ、今の私はそれだけで満足だから」

「……………………すみません」

「私がいいって言ってるんだから謝らなくていいのよ。それで、どう?」

「え? …………どう、とは?」

 何やらクビキに真っ直ぐ見られていた。

「あんたは今の話を聞いて、私に会って、何か思い出したりしないのって話よ」

 再建され名残のなくなってしまった町は駄目でも、昔から住んでいた人は、その人の語る昔話は、何かしらの切っ掛けにならないだろうか。

「それは、全然」

 あっけらかんと、フラトは即答して首を横に振った。

「ふうん。全く、何も?」

 クビキの両手がフラトの顔へと伸ばされ、頬を挟まれて頭を固定され、クビキの顔が間近にまで近付けられて、問われる。

 至近距離で、恐らく小さい頃自分のことを孤児院で面倒を見てくれていたであろう女性の顔をまじまじと見つめる。彼女がフラトに見出したように、クビキにだって当時の面影は残っているのだろうが、フラトの記憶を刺激するには至らなかった。

「…………何も」

「そっかあ」

 言いながらクビキがフラトの頬を挟んだまま残念そうに天を仰ぎ。

 そして――その頭が思い切り振り下ろされた。

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