第五話

「いづぁっ!」

 いってえええええ!

 おもっくそ頭突きをかまされた。

 あまりの痛みか、それとも衝撃故か、視界が機能しなくなったその一瞬の間にも、自分の頬を挟みこんでいるクビキの両手を振り解いて、ベンチから飛び退き距離を取れたのは、これまで散々山の中で師匠から奇襲を受けた賜物なのかもしれない。

「急に何するんですか!?」

「いやさぁ――」

 あんな頭突き、かました方だって結構な反動を食らっているはずなのだが、僅かにも痛みを感じた風もなくクビキはゆらりとベンチから立ち上がり、フラトへ向き直って言う。

「それ、ずるくない?」

「は?」

「私だけ憶えてるの、ずるくない?」

「いやいやいや、ずるいとかずるくないとかじゃないと思うんですけど…………どういう理屈なんですか?」

「ずるいんだよ」

「ごり押ししてきた…………さっき、僕が生きてたからそれだけで満足だとかなんとか言ってたじゃないですか」

「それはそれ、これはこれ」

「…………面倒臭がったな」

「忘れたわ」

「雑過ぎる嘘!」

 表情を引き攣らせながら突っ込むものの、まあ人ってたまにそうやって理不尽で矛盾に塗れたどうしようもない気持ちで人に当たることあるよな、なんて十代半ば過ぎにして飲み込めるフラトも大概である。

 それを許容できるかどうかは別として。

「取り敢えずもっかいその頭、殴らせてよ」

「殴った衝撃で記憶が戻ったりなんてことはないんですよ」

「わからないじゃん」

「んなわけないでしょ」

 失った記憶を取り戻すそんな画期的な方法があるのなら、フラトは師匠との山暮らしでとっくのとうに何もかもを思い出している筈である。いったいこれまでにどれだけ殴られまくったことか――ふと遠い記憶に思いを馳せそうになるフラトに、クビキがじりじりと距離を詰めてきていた。

 フラトもじりじり退がる。

「何で逃げるのよ」

「そりゃ逃げるでしょ」

「なら、仕方ないわね」

 ため息交じりにそんなことを呟きながら屈んだクビキは、足下に落ちていた小石を拾い上げた。

「いやいやいや――っ」

「ふっ」

 振りかぶり、思いっきりぶん投げられた小石がひゅん、と風を切ってフラトの頬をかすめて後方にすっ飛んでいった。

 遅れて、皮膚が細く切れて血が垂れた感触。

「それの何が仕方ないんですか!?」

「あんたが逃げるからでしょ」

「理不尽に殴ろうとしてくる人からは普通逃げるし、食らったら重症負いそうな勢いで小石投げてくる人からも逃げますよ!?」

 重症というか、あんな勢いで、掠っただけで皮膚を引き裂いていくような小石の投擲は、当たり所が悪ければ死にすら至らしめるポテンシャルを秘めていそうだった。

「つべこべ、うるさいっ」

 ひゅん。

「あ、避けたわね!」

「そりゃあね!」

 黙って食らう筈ないでしょ、と叫ぶ。

 既に陽は沈み切り、公園内を照らす電灯が照らす箇所も局所的で、そこから離れてしまうとかなり暗い。そんな視界の悪さのせいで、飛んでくる石が小さくて目視しづらく、クビキが石を投げる動作と視線から狙っている個所を推測し、大きく動いて余裕をもって避ける必要があるのは、既に疲労の溜まった身体にはしんどい。

「くっ、ほっ、よっ」

「だから――避けるんじゃないわよ!」

 立て続けに飛んでくる小石を避けながら、果たしてどうしたものか、とフラトは悩む。

 そこらに小石が落ちてるせいで投げようと思えばいくらだって投げ続けるのは可能だろうが、この調子であればフラトの方も避け続けるのは、まあ、疲れた身体でも続けられる。しんどいが、できないことはない。

 とは言えこれだけの威力で投げられるのには何かしら魔力、魔術が使われている筈であり、気持ちどうこうの前に、いやそれをどれだけ引き摺ろうが、魔力が切れてしまえば石の投擲どころではあるまい。

 問題は、果たしてどれだけ避け続ければ魔力が切れるのかという問題ではあるが。

「ちょっと! 動きが! 速いのよ! どこでそんな鍛えられたのよ!」

 全然当たんないじゃないの、と吠えるクビキ。

 まじで悔しがっているところを見るに、まじで当てる気らしく滅茶苦茶怖い。

「…………」

 今もまたひゅん、と顔の数センチ横を風を切って吹っ飛んでいく小石を避けながら、フラトはなんとなく思考に耽る。

 クビキの言う、ずるい、という言葉。

 考えたこともなかった。

 エンカにも言ったように、フラトは本当に――本当に、記憶が戻らなくてもそれはそれで別にいいと思っている。そこに嘘偽りはない。記憶がないからこそ執着もないと言うべきか。

 ともあれ――だけれど。

 自分の記憶が戻らないことを、形はどうあれ――死の可能性すら脳裏を掠めるほどの威力で石を投げてきているという暴力的に過ぎる衝動はどうあれ――不満に思う人がいるなんてのは考えたことがなかった。

 面倒を、見てくれていたらしい。

 口振りから心配してくれていただろうこともわかるし、先程説明をしてくれたときの声音から、フラトの捜索を打ち切り避難に移ったことに対する後悔のような感情も見え隠れしていた。

 命がどうこう、正しい間違っているというのは置いておくとして。

 記憶が戻っていないこと自体は本当だから偽れないし、偽ろうものならすぐにでも看破されてしまうのだろうが、そんな人に向かって『失ってしまった記憶が別に戻らなくてもいい』なんて言うのは憚られた。

 見ようによっては、表現方法はアレだが――こうまでする程にクビキにとってフラトの失くしてしまった記憶というのは、その頃の生活というのは大事なものなのかもしれない。

 記憶がないからといって、執着がないからといって、流石に蔑ろに考えすぎてしまっていたかもしれないとフラトは反省した。

 だから。

 償いとか、謝罪とか――多分そういうのとは違うのだろうけれど、ちょっとした埋め合わせくらいはできないだろうかと考え、

「あの!」

 と横っ飛びに大きく場所を移動しながら口を開く。

「何よ!」

 ひゅん。

 呼吸するように小石が飛んでくる。爆速で。

「提案があるんですけど!」

「提案!?」

 ひゅん――訊き返しの言葉と共に投げられた小石を避けると、背後の樹に衝突して硬そうな樹皮を弾き飛ばしていた。

 その間にも次の小石を拾い上げ、いつでも投げられるよう振りかぶった状態でクビキは動きを止め、フラトを見据えてきている。さっさとその提案とやらを話してみろと催促されているのだろう。

 フラトは取り敢えずその提案事項の前に、一つ、確認を口にした。

「カイガイさんは、今も孤児院で働かれているんですよね?」

「…………まあね」

 食材がはみ出し、お菓子一つ探すのにやたらがさごそ漁らなければならないほどぱんぱんになった買い物袋の中身は、作り置きなどを考慮するとしても、一人で食べる分としては多すぎた。

「なら、僕がそこの手伝いをするというので、気を収めてはもらえませんかね?」

「手伝いですって?」

「人手が足りない部分とかあれば、数日でも指示に従って手伝いをするというのはどうでしょうか? その、さっきも言いましたが僕は文無しなので、正直簡素でも屋根と寝床があると助かると言いますか…………どうです?」

「…………ふむ」

 クビキが振りかぶっていた体勢を解き、握っていた小石を地面に落として、顎に手を添えて考えること十数秒。

「なら、まあ…………いいか」

 あれだけ執拗に小石を投げてきた人物とは思えないほどあっさりとフラトの提案が受け入れられた。

 女性の情緒というものが全然わからなくて怖過ぎる。

「じゃあそこの食材持ってきてね」

 言うなりクビキは踵を返して公園の出入口へと歩き出したので、フラトも言われた通り、ベンチに戻って自分の鞄を背負い直し、買い物袋を手に小走りでクビキの隣に並んだ。

「何きょろきょろしてんのよ」

「え、いや…………果物とか実ってないかなとか」

「んなもん公園にないわよ。ほんとにお金ないのね、あんた」

「ええ、まあ…………」

 ここでこれ以上怪しまれるのは避けたいが、さてどうしたものかと思いつつ、公園の出口に差し掛かった丁度そのときだった。

 ぽとり、と。

 フラトの頭の上に軽く何かが落ちた感触があったので、ほっと安心したのも束の間。

「きゃっ」

 隣から可愛らしい悲鳴が上がった。

「…………」

「…………取り敢えず殴っていいかしら」

「やめて下さい。今殴ってきたらこの買い物袋で防御しますからね」

 流石に食材を無駄にはできないと思ったのか、クビキは振り上げかけていた拳を下げてくれた。あれだけ石を投げ続け小規模森林破壊を繰り返していた人の「殴っていいか」という問いを冗談なんかとは思わない。

「ねえ」

「何ですか?」

「何ですか、じゃないわよ。何それ」

「何それ、とは?」

「まるですっかり馴染み切った定位置かのようにあんたの頭上にいるそれよ」

 こいつ――まるですっかり馴染み切った定位置かのような雰囲気を醸し出していやがるのかとフラトは少しだけ視線を頭上の方へ上げた。

「これ、お洒落ですよね」

「は?」

「お洒落ですよね」

「……………………はあ。まあいいわよ。あんたがそれでいいなら」

 やはり珍しがられるものの、あまり脅威とは見做されないらしい。

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