第十五話

「そういえばさ」

 とフラトがおもむろに口を開く。

 朝食後に食器を洗い、焚火を始末して、濡れたものを乾かすのに組み立てた木材などもしっかりとばらしてから、二人で山の中に這入り小一時間ほど。

 獣道とも呼べないような険しい道を、エンカを先頭に歩き続けていた。

「んー?」

「トバクがこの山に這入ってきたことって誰も知らないのか?」

「いんや、多分そこそこの人が知ってると思うよ」

「え?」

「ん?」

 いや、それなら――。

「それなら、僕ら動かずにいた方が良かったのでは? 帰ってこないトバクを心配して捜索に出る人とかいるかもしれないし」

「あーそれはないない。変な期待はしない方がいいよ」

「断言するじゃん」

「この山、に指定されてるから」

「封鎖地域?」

「ん? ああ、そっか」

 エンカは呟いて、更に続ける。

「『組合』ってのがあってさ、魔獣対策を主にこなしていく組織のことなんだけど、たとえばあまり警備力が整っていない村なんかに魔獣の襲撃があった際、あるいは、これからそういうことがあると予測できるとき。あとは…………商人が街から街へ向かう際の護衛なんかもそうだね。そういった対魔獣の依頼の窓口であり、遂行する人、部隊が所属するのが、組合ってところなんだよ」

「ふむ」

「んで、いくつかの山や洞窟なんかに強力な魔獣が多く生息する場所があるんだけど、この山がその一つ、『封鎖地域』に指定されてるサワスクナ山。基本的にその場所には組合の『華の位』の者しか入れないことになってる。ま、言ってもがばがばだけどね」

 なんて肩を竦めてエンカが言う。

 相変わらず険しい山道をすいすい登りながら。

「そういえば自己紹介のときも言ってよな、その『華の位』っての」

 まずは魔素だの魔力だの魔術だの魔獣だの。

 自信の身にも降りかかりそうな要素から知りたかったから後回しにしていた。

「組合に所属する人間の格付けみたいなもので序列を表すもの。基本的には依頼の難しさに応じて、序列別に受けられる依頼を分けたりするのに使われてるかな」

「依頼の難しさっていうと、対処しなきゃいけない魔獣が強いかどうかってこと?」

「簡単に言うとね。あとはまあ数とかも基準に含まれるけど」

「成程。因みに序列って他にはどんなのが?」

「んーっと――一番数が多くてほとんどの組合員が所属してるのが『概の位がいのい』って序列ね。魔獣対処には複数人で部隊を作って当たらないと勝てないレベルだから、この序列で一人だけで活動してる人はほとんどいないかな。んで次が『栄の位えいのい』で、王家の兵士なんかはほとんどがこの序列、っていうか『栄の位』に所属していないと正式な王家の兵士にはなれないんだったかな」

 そこら辺の細かいことは忘れちゃったけど、とエンカはさして興味もなさそうに言う。

「『栄の位』くらいになると基本的には一般人以上の強さを持ってる感じかな。個体差や持ってる魔術の相性もあるけど、個人で魔獣を相手にできるって感じ。とはいえ、相性ってかなり大事な要素だから、単騎での戦闘が難しい場合もあるし、この基準も結構あやふやなんだよね」

「あのさ…………」

「ん? どしたん?」

「もしかしたらなんだけど、今、序列下から説明してくれてる、よね?」

「そうだけど?」

 振り返って、一体こいつは何を訊いてるんだとばかりに首を傾げられた。

「となるとトバクが所属する『華の位』って…………」

「『栄の位』の上だよ。実質の最高位。一人で複数の魔獣を相手に立ち回って五体満足で勝てる強さを持ってるって感じ」

「…………」

 まあ。

 納得というか、腑に落ちたというか。

 一応フラトも十年間――毎日稽古を重ね、地獄のような鍛錬を積み上げてきた。

 デコピン一発で人のことを数メートル吹っ飛ばしたり、横に突き出した木の枝に逆様に立ったり、ちょっと空飛んでねえかってくらい跳躍したりするような化物相手に。

 ずっと武器なしの無手で戦わされ続け、最低限自分の間合いくらいは何があろうと対応できるくらいにはなったんじゃないかと思っていたが――いい匂いがしたからふらっと来てみた、みたいな軽々しいノリで、肉の匂いにつられたエンカに簡単に背後を取られた。 正直、魔獣とやらが基準になっている序列でどうこう言われてもいまいちフラトにはわからないが、エンカ・トバクという少女が常人のラインを優に超えているのは理解できる。

 彼女もまた化物の領域に片足を突っ込んでいる存在なのだろうと。

「まあ、そんな『華の位』だけが這入ることを許されてる封鎖地域に捜索なんて、期待しない方がいいって話」

「この山、そんなに危なかったのか」

「封鎖地域なんて呼んで定めてるのも、民間人に向けて『ここは危ないから近づかないように』っていう指標であって別に誰かが見張りに立っているわけでもないし、組合の人間も封鎖地域に向かう場合は死のうがどうなろうが自己責任でってスタンスだしね。もし助けに来てもミイラ取りがミイラになりかねないし、組合側としてはそれで大事な組合員がいなくなるのも避けたいんだよ」

「因みに、何を指して『危険』って言ってるんだ? 強力な魔獣がいるってだけ?」

「んー、わかりやすいのは、やっぱりそうだね、生息してる魔獣が強力ってこと。封鎖地域に指定されてる場所は漏れなく。ああいや、それだと説明が逆か。魔素濃度が異様に濃いからこそそこが封鎖地域に指定されてるわけで、魔獣が強力なのはその魔素濃度による影響って言われてるけど」

「ってなると、あの巨猪が暴れ回って周辺から魔獣が姿を消したのは寧ろ、不幸中の幸いだったかもしれないな」

「まあそれは偶然にも崖から落ちてバカデカ猪の追撃を避けられ、しかも瀕死の人間を回復させちゃうような秘薬だか霊薬をホウツキが持っていて奇跡的にこうして二人とも五体満足でいられている結果論でしかないから素直には頷けないけど、確かに今となっちゃありがたいとも言えるかな」

 でも、とエンカは更に続ける。

「でも、この遭難が何日も続くようならアイツのせいで食糧を狩れないってことでもあるからね、ありがたいってばかりも言ってられないけど」

「流石に、草ばっかり食ってもいられないしな」

「肉食えなきゃ死ぬ。ま、そんなこんなで話を戻すと、救援は来ないものと考えるべし」

「りょーかい」

 当初の予定通り、二人で出口を探さなければならないというだけの話。

「だったらトバク、これいる?」

 がさごそと鞄の中を漁って取り出したものをエンカに差し出す。

「何これ」

「干し肉」

 別に変なものじゃないと証明する為にフラトは差し出していた干し肉を自分の口に咥え、新しく鞄から取り出して再びエンカに差し出した。

 エンカはそれを手に取り、真っ直ぐ自分の口に運び、噛み千切って咀嚼した。

「しょっぱいけど…………噛んでると美味い」

「良かった。小腹が空いてるときは丁度いいでしょ、こういうの」

「確かに、いいねこれ」

「元々師匠の家にいたときも山を歩き回るのが日常みたいなもんだったから、おやつ代わりに作ってて、放り出されるときに作ってた分まとめて鞄に突っ込んできた」

「日常的にこんなの作ってるとか、まめだねえ」

「慣れればそう難しいものでもないよ」

 慣れさえすれば。

 フラトも師匠から教えてもらってすぐは作るのが面倒臭かったが、矢張り、山の中でおやつは欲しかったからずっと作り続けていたら、いつの間にかそこまで手間には思わなくなっていた。

「っても、今食糧についての心配を話したばかりなのに簡単に食べちゃってもいいわけ?」

「まあそれは僕も考えたけどさ、結局どっちもどっちかなって」

「どういうこと?」

「この干し肉をぎりぎりまで残してこの先何日も続くかもしれない遭難に備えるか、今出来るだけお腹を空かないように、体力が落ちないようにして最大効率で出口を探すのか」

「ホウツキは後者の方がいいと?」

「んー、やっぱお腹空いてると集中力とかなくなってくるじゃん? まあ流石に崖から踏み外して転落、なんてことはないと思うけど、ちょっとした集中力の欠如から怪我に繋がるようなことなんて山じゃ馬鹿にならないほど沢山あるし、怪我はそれだけで体力を持っていかれる上に痛みに意識を割かれてストレスも溜まる。それに魔獣の類に襲われる可能性だって完全になくなってるわけじゃない。なんならこっちが昨日食糧を探したように、どこかに隠れ潜んだ魔獣も腹を空かせて僕等を襲ってくるかもしれないわけで、そういう突発的な事態に対処する為にも、食べれる内はしっかりと食べておく方がいいかなと」

「へえ。びっくりした。めちゃめちゃちゃんと考えてんだねえ」

「まあね。ってことでまだあるから欲しくなったら言ってくれ」

「ありがと」

 咥えた干し肉を噛みながらエンカは視線を前に戻し、山歩きを再開した。

 フラトもその後に続き、二人はまた無言のまま山をどんどん進む。

 繁みを掻き分け、ときたまエンカが大木の枝に登って少し先を見渡したりしながら、延々と濃い緑と土の匂いの中を歩き続けた。

 その最中もきょろきょろと辺りに視線を配ったり、大き目の岩を見つけたら引っ繰り返したりしてみたが、矢張り生き物の姿は見当たらない。

 ひたすら、不気味なほど静かな山の中を歩き回る。

 そんな折――。

「お」

 エンカが声を上げ、登った枝から飛び降りてフラトの方を見てきた。

「ん? どうした?」

「ごめんホウツキ、ちょっと寄り道してもいい?」

「いいよ」

「ありがとう!」

 嬉しそうにお礼を言われた。

 急にテンションが上がったように見えるエンカをちょっと不思議に思いながらも、とんとん、と跳ねるようにまた進み始めるエンカの後ろを付いていく。

「っ!?」

 すぐに辿り着いたのは、この鬱蒼とした繁みの中でぽっかりと開かれた空間だった。

 綺麗な円形に樹々も雑草も刈り取られていて、不自然極まりない。

 周囲を見渡しても、この空間に続く道はない。

 なのにどこか人工的な整然としたものを感じる。

 陽を遮る繁みを進んできたせいで、差し込んでくる日差しがやけに眩しい。

「うわー!」

 そんな光景を前に、一瞬息を呑んだエンカが、今度こそ、歓喜の声を上げた。

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