第六話

 小瓶の中身を振り掛けた少女の身体は、まるで逆再生をするかのように元に戻っていった。

 負傷している姿よりも、傷が塞がり戻っていく様の方が筆舌に尽くしがたくグロテスクだったのをフラトはよく憶えている。

 衝撃的な光景だった。

 数分もかからず、何事もなかったかのように少女は綺麗さっぱり元に戻り、服の破れやそこかしこについた血痕だけが、彼女が確かに傷を負っていたのだと物語っていた。

 掠れるようだった息も、安定した寝息へと変わっていた。

 あとはちゃんと目を覚ますかどうかが心配だったがそれも杞憂に終わった。

 小瓶の中身は、それだけ異常で、異様なものだったのだ。

 想定以上と言うか、想定外。規格外。

 流石にそれだけは少女へ渡すわけにはいかず、サバイバルに最低限は必要なナイフと一緒に持ち出してきていた。

 それを――フラトは目の前の傷だらけの女に使う。

 女の口元にあてがい、中身を少しずつ口の中に入れていく。

 今回は半分くらい余らせて、傷口にも直接振り掛けた。

 すぐさま、傷口はみるみる塞がっていき、抉れた肉が元の形に膨らんでいく。

 けれど――。

「何でだ…………」

 女に生気と呼べるものが全然戻らない。

 灰銀の少女に使ったばかりだからこそ、効果の違いが如実にわかる。

 表面だけが取り繕われて、中身が戻ってきていない。

 少女のときと何が違う?

 負傷してからの時間?

 そんなことに疑問を抱いていると。

「おい…………あんた」

 見間違いではなく、

 意味がわからない。

 どういう現象だ。

 『人』じゃあ、ないのか?

 あんな巨猪を見た後だから、突拍子もなくそんなことを思ってしまうが。

 いや、いやいや。

 と、考えるのを後回しにする。

 フラトは女性の胸元――心臓があるだろう場所に手を当て、全力で気を送り流す。

 小瓶の液体で戻らないのなら、無理矢理でも自分の中のものを送って満たそうとしてみる。

 なのに。

「何でだよ…………」

 女が、フラトの手に自分の両手を重ねて、フラトが送ったはずの『気』をそっくりそのまま――否。

 それ以上の勢いで送り返してきた。

 ぼやけた女の輪郭からは光の粒子のようなものがぷつぷつ生まれ、こぼれて、宙に拡散していく。

 復元したはずの肉体さえ、薄れて、崩れて、消えていく。

 何でだ。

 何でだ、何でだ。

 何でだ、何でだ、何でだ、何でなんだ。

 くそっ、とフラトは歯噛みする。

「涙を零したのは、ほんの少しでもまだ生きれるかもしれないと思ったからなんじゃないのか。なのにどうして――」

 どうして――助かろうとしてくれないのか。

 どうして――自分の命を手放すようなことをするのか。

 送って送り返されて。

 瀕死の相手にそんなものが長く続くはずもなく。

「ああ…………」

 遂に。

 女は霧散してしまった。

 消えてしまった。

 押し留められなかった。

 綺麗さっぱり、初めからそこに何もなかったみたいに、存在事消滅してしまった。

 死体も、流した血も、着用していた衣服すらも残さずに。

「…………」

 気を流し込み過ぎたせいか、一度流し込んだものを押し戻された反動なのか、虚脱感と気怠さが酷い。

 喪失感が全身を包む。

 相手の事情も知らず、自分勝手なのは甚だ承知の上だった。

 割と強引に意思確認のようなものはしたが、それだって女が言葉にしたわけじゃない。フラトが勝手に解釈しただけだ。

 ただ。

 どうであれ。

 見ない振りは――出来なかった。

 それはフラトの在り方の根幹に根差すもの。

 そして手を差し出した以上は、その責任を、全力で果たしたかった。

「…………」

 しばらくその場で項垂れていたが、あまり時間を無駄にしている余裕があるわけでもないのを思い出して、立ち上がる。

「すぅ……………………はぁ」

 一度深呼吸をして、気持ちを強引に立て直す。

「ん?」

 視線を上げると、女が背を預けていた木に一匹の蜘蛛がいた。

 掌大で、身体に深い緑のラインが走ったような柄の、見たこともない蜘蛛だった。

 なんとなく、蜘蛛から見られている気がして、見返してみる。

 んー。

 蜘蛛って確か肉食だし、食ったことないし、食べてもあまり身はなさそうだし、この緑の模様もどことなく毒の可能性がありそうな気がするし――なんてことが思考に浮かぶ。

 流石に食えないかと諦めて踵を返そうとしたら、服に飛びつかれ、肩によじ登られた。

 そこから更に頭の上に移動していく。

「え、何? …………そこから動かないつもりか? 何で?」

 何故か頭の上で落ち着かれてしまった。

 どころか。

 その場から動かないフラトを急かすかのように、器用に丸めた糸を別の糸で繋いで振り回してぶつけてきた。

「いたっ…………え、ほんとに割と痛いんだけど。固くねえか、その糸玉」

 文句を言う間にも、二度、三度とぶつけられるので、フラトは仕方なく歩き出す。

 少女がいた場所に戻るまでにもう少し気持ちの整理をつけたいので、食材探しを続行することにした。

「因みにお前、動物とかいる場所わかったりしない?」

 また丸めた糸をぶつけられた。

「痛いな」

 まあ、言葉を理解しているとは思えない。

 逆に言えば、丸めた糸をぶつけてくる、という蜘蛛の意図もフラトにはわからない。

 なので辺りに意識を集中し直す。

 頭の上に気を遣いつつ、気配を殺して移動して、草を掻き分け、岩を引っ繰り返す作業を再開。

 それから。

 約一時間。

 怠さの残る身体を引き摺るように山を歩き回ってようやく。

 普通のサイズの猪を一匹発見した。

 互いが気配を殺していたせいで、相互に存在を認識したのはかなりの至近距離だった。

 同時に気付き、視線がぶつかる。

 猪が先に驚いたようにパニックを起こし、闇雲に突進してきたところを、フラトは落ち着いてカウンターを合わせなんとか一撃で気絶。

 すかさず引き抜いたナイフでとどめ。

 その場で血抜きと腸抜きを済ませ、担ぐ。

 取り敢えず食糧、しかも肉の確保に成功したのでこれまで作ってきた目印を逆に辿って湖の方へ足早に歩を進めた。

 そういえばこの猪は火を吐かなかったな、なんて考えながら。

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