01 スランプスクランブル

小さい頃に読んだその小説は、とても悲しくって、切なくって……


僕はボロボロ泣いて、布団の中でも泣き続けた。


でも、その物語に僕は救われたんだ。


そんな僕は8年前からネットで小説を書いて投稿し続けている。


内容は昔読んだあの小説の様なバッドでもハッピーでもないお話。


そんな僕は、半年前から人生初めてのスランプに陥っていた。


僕は過去に4作品の長編を書いていて、今まで一日たりとも書かなかった事は無かった。


時間が無くとも少しは続きを書いていた僕は現在、小説のサイトにログインさえしていなかった。


スランプになった理由に心当たりは無い、全くアイディアが浮かんで来ないのだ。


「栗斗おはよう、朝から辛気臭い顔してどうしたよ?」


朝から食堂の端席で一人、アイディアを絞り出していると、大学の友人である狛野大智が話しかけてきた。


「おはよう大智、別に普通だよ」


「おい、また金欠か?学食くらい奢るぞ?」


「それは遠慮しとく、今日は俺昼で終わりだし、もう金の問題は無いから」


そう言って、1週間前からバイトを始めた僕は奢ってくれるという友人の提案を断った。


「バイト始めたん?何処だよ、俺にも教えてくんない?」


「無理だな、冷やかしは勘弁だからな」


いや実際、冷やかしとかそういう問題じゃない。とても他人に紹介できた職場じゃないのだ。


それに、僕も今のバイト先は余り知られたくなかった。


「おい、良いだろ?バイトぐらい斡旋してくれよ!」


僕は大智の頼みを「考えとくとよ……」と言って席を立ち上がった。勿論、端から僕にそんな気は無いがな。


「おい、学食もうすぐ開くぞ?食べないのか?」


「僕はコンビニで済ませたよ」


「うわっ、栄養偏るぞ!」と席から吼える大智を無視して通り過ぎ様とした。


「うわっ……」


思わず正面を通った女の子とぶつかりそうになった。


ギリギリ衝突は免れたものの、その女子は僕を睨んでから通り過ぎて行く。


「あれって白石めぐ子だよな?あの蛇睨みの……」


後ろから大智がそんな事を言い放つ。

何だその二つ名、いや確かに的を得ている。思わず怯んでしまった。


──とは言え、俺も白石めぐ子。彼女については知っている。


見た目は美人だからと釣られ、言い寄った先陣(パイオニア)達が、蛇睨まれた蛙かの如く撃沈し、墓場を築いて逝ったらしい。


通称:バジリスク…──とか呼ばれていた様な?確かに脚が竦んでしまう程の恐ろしさだった。


「白石めぐ子、やっぱり美人だな!一度良いからあんな彼女欲しい!」


確かに見た目は美人だが、性格がキツそうなのはNGだ。


やっぱり付き合うならVTuberの安曇野茉莉花ちゃんみたいなピュア天使な娘が良い。


でも白石さん、遠目でしか見た事なかったけど、近くで見ても本当に”そっくり”だった。


まぁ、そもそも僕の様な蛙は女子に近く勇気もないので、学内の女子を真近で見たのなんて殆んど無いのだが……


しかし、そんな蛙の僕が唯一、女子とお近付きになる機会がある。それが……──


「いらっしゃいませ、お嬢様」


悲しい事に僕のバイト先である。

そう、僕のバイト先は執事コンセプト風のカフェである。


勿論、お客は全員女性。偶に男性客も女性客と来る場合もあるが、やはり男性向けでは無いので、リピーターにはならない。


僕は異性との関わりが少ない分、普段は女の子と口を聞く事すらない。


そんな僕が、それでもこの店を選んだのは給料の良さだ。


それに好きな日にバイトを入れられるから、自分の趣味の時間も作れる。


それでも肝心の仕事では上手くやれるのかという不安があった。


女性相手に接客、しかも、こんなコスプレみたいな格好でだ。


しかし、この執事服を着ると、何故か自分が物語の貴族のお嬢様に仕える執事になった様な気分になり、普通に接客ができたのだ。


「かしこまりましたお嬢様、チーズケーキ、ダージリンのホットですね?」


俺はそれなりになりきって「少々お待ち下さい。」等と言いながら正気に返って恥ずかしくなる様な台詞も吐きながら仕事を熟す。


最初は何度、更衣室の天井に縄を垂らそうとした事か……


「朝田さん、すみません。チーズケーキとダージリンのホット一つずつお願いします!」


僕は厨房に居る朝田さんにオーダーを伝えて、フロアに戻る。


「分かったよ!我妻くん、余り無理しないでね!」


後ろから朝田さんの気遣いの声が聞こえてきた。


大丈夫だ、今日の僕は絶好調だ。何なら、このバイトは僕に向いているかも知れない。


「いらっしゃいませ、お嬢まaッ……」


次の瞬間、僕は思わず言葉詰まった。何と言う事だろう、まさかウチの大学の生徒が来るなんて、それも……


「──バジリスク……」


蛇睨みの白石めぐ子、大学の有名人だった。


「えっ?──」


それに白石は思わず驚きと疑問の声を上げ、不思議そうにコチラを睨む。


直ぐに慌てて僕は「お嬢様」と言い直し、席に案内する。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」


僕は限り無く知らないフリで貫こうと決意したのだが……


その決意は、「ちょっと待ちなさい。」という彼女の一言に一瞬で砕け散る事になった。


まさに蛇に睨まれた蛙、バジリスクに狙われた一茶だ。


そのまま黙っていれば平和に治まったというのに……


「何でしょうかお嬢様、もしやご注文がお決まりでしょうか?」


「アンタ、如月川大学の生徒でしょ?今日、私とぶつかりそうになった」


何で覚えてるんだ!?普通知らない奴の顔なんて見ないだろうに……


「すみません、当店に『アンタ、如月川大学の生徒でしょ?今日、私とぶつかりそうになった』というメニューはございません」


僕はファミレスの女性店員がナンパ野郎に絡まれた時の様な返しをした。


この後の反応が怖かったが、白石さんが「そう、もう行っていいわ。」と言ってきたので、僕は安心して新しく来店されたお客様の案内へと向かった。


そして今日の業務も片付けも終えて、帰宅時間となった。


それから後片付けや清掃を終えた僕は、一人残る朝田さんに挨拶をして店を出た。


「待ってたわよ、ずっとね」


自身の右側から聞こえた声に僕は身動きが取れなくなった。


「白石さん、もしかしてあれから待ってたんですか?ここで……」


「へぇ、私の名前は知ってるようね?少し二人で話さない?」


消されるッ──僕は死を悟った。


僕は言われるがまま少し離れた所にあるファミレスに連れ込まれた。


店員が僕達の元を離れて行ってから、白石さんは話を切り出した。


「それで?まず聞いておきたいのだけど貴方の名前は?」


いきなり名前を聞かれた。

そりゃそうか、僕が一方的に彼女を知っているだけで僕達は全くの初対面なのだから……


「僕は我妻栗斗、えっと一応同じ学年だけど……」


目の前の白石さんの目はまるで獲物を見定める肉食動物の様だった。


それから白石さんは「ふぅん?」と言ってから次の質問に移った。


「で、何で私の名前を知ってるの?もしかしてストーカー……──それはないわね。で、何で?」


この人、今自分から可能性を一つ消したな。


「白石さんが有名人だからかな?男子の間では特に噂されてるよ」


「私そんなに男の子の知り合いいない筈だけど、目付きが悪い根暗女とか陰口でも言われてるの?」


「いや逆、めっちゃ美人とか可愛いとか言われてる」


白石さんは不思議そうに首を傾げていた。


「私が美人?俄には信じられない話だけど……」


「あっでも、蛇睨みとかバジリスクとかってあだ名は……──あっ、やべ!」


僕は自分の墓を自分で掘った。


「そう、だからバジリスクね?」


「いや、バジリスクお嬢様だよ!」


「それ、言い訳になって、なッ──」


僕は話を遮る様にベルを押し店員を呼ぶ、ナースコールならぬ店員(クラーク)コールだった。


「君、話を誤魔化したわね?」


「いや、あの〜、まぁ……」


僕がオロオロと時間稼ぎを始めると、直ぐに店員がやって来て僕達に注文を聞いてくるが、当然だがまだ僕達は注文を決めていない。


「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」


「ロコモコ丼とコーヒーで」


あれれぇ?…えっ、白石さんはもう決まっていた様だ。


「コーヒーは食後でよろしいですか?」聞いている間に早く注文を決めなければ……


僕が急いでメニュー表を確認していると、店員は突飛な事に僕の名前を呼んだ。


「あれ?もしかして、我妻くん?」


僕は最初、聞き間違えだと思ったが、どうやら違ったらしい。


「我妻くんじゃん!久しぶり、元気にしてたぁ?」


「あっ、うん!めっちゃ元気だったけど、そっちは?……」


僕は相手の店員に見覚えなどなかったが、必死に合わせて話した。


「めちゃくちゃ元気だよ!我妻くんにこんな所で会えるなんてビックリだ!」


「僕も、びっくり……」


どうやら知人らしい。

店員とぎこちない会話をする僕を白石さんは睨んでいた。


いや、睨んでるつもりはないのだろうけど、目付きが怖い……


「ごめん!つい嬉しくて話しちゃった!注文どうする?」


「えっ、えっとじゃあオムライスとコーラで……」


店員は僕達の注文を繰り返してから厨房の方へ向かって行った。


「今の子は、知り合い?」


「らしいけど、心当たりない」


「向こうだけが我妻くんを覚えてるって事?」


「うん、僕は女の子の名前とかどんだけ聞いても苗字すら覚えられない」


またしても僕は自分の墓石を建てた。


「じゃあ、何で私の名前を覚えているのかしら?」


「えっ、それは……」


僕は本当の事を言うかどうか迷った。いや、無理!言えない!言ったら多分、引かれる。


「多分、言ったら引かれる……」


「良いわよ、もう引きようがないから」


僕はその言葉が少し引っかかったけど、軽蔑の眼差しを向けられないのならと理由を話始めた。


「僕、昔から小説を書いてるんだ。ネットで…」


「ん?それが私の名前を覚えてる事と

どう関係があるの?」


「えっと…そのヒロインが、君にそっくりだったから……」


僕は顔を赤面させながら話した。どうやら白石さんはポカンとしている。


「自分の書いた小説のヒロインに似てたから私の名前を?」


「そうです、別に白石さんをモデルにした訳ではないです……」


そう、僕が書いた小説のヒロインの一人である夜桜鈴芽に彼女の容姿がそっくりだった。


それで僕は必要以上に白石さんに興味が湧いていたのだ。


それに僕が書いた作品のヒロイン達は皆んな好きなアニメやゲームのキャラをモデルに書いていた。


なので僕は白石さんに人として興味を持っていたのだった。


「何それ…まぁ、私をモデルにした訳じゃないんなら良いけどさ?」


…と、白石さんは呆れた様子で話を続ける。白石さんが話せと言ったのに…あれ?言ってない?


「それより約束して、私があのお店に居た事は内緒ね?言ったら殺すから」


どうやら本題はこっちらしい。というかそれは約束ではない脅迫だ強制だ。


「うん、言わないけど…まさか白石さんもああいう店行くんだね?もしや常連とか?」


「あら我妻くん、貴方早死したいようね?」


どうやら、うちのバイト先関係の話はNGらしい。


「すみません。そう言えば……」


「えっ、何?これ以上何の質問を?死にたいの?」


「いやっ、うちのバイト先とは関係ないから!ただ──」


気になったのは、白石さんは店の中でノートパソコンを開いて何か悩んでいる様だったから気になっていたのだ。


もしかして僕と同じく小説とか書いてるのか?とか…いや、多分だけど大学関係だろうけどさ。


「あぁ、少し行き詰まっててね?絵を描いてるんだけど……」


なるほど、絵か……

でも、絵ってノートパソコンで描けるんだろうか?


デジタル絵とかって専用の何かタブレットぽいやつ使うんじゃ……


「まぁ私、今スランプってヤツで息抜きにあの店には行ったの」


「なるほど、て事は執事とか好きなんだ?」


「おい、スコップ買って来いよ」


何故かスコップを買いに行くパシリとして命令されたんだが?


「えっ?そのスコップは何に……」


「山奥に穴を掘るのよ。だから早く買って来てよ」


僕は何かヤバい事を手伝わされるのか?何だ?いったいその穴に何を埋めるんだ?ドッキリ用の落とし穴か?


そういや、恋愛サスペンス小説に好きになった娘に命令されて、死体遺棄に加担する話があった様な……


「勿論、掘るのも埋められるのも我妻くんよ?」


あぁ、何だ僕か……

なら僕は犯罪に手を染めなくて済むな……


ん?あれれ?僕、生き埋めにされるの!?


「という冗談はさておき、この食事を終えたら私達の関係は終わりだから。そこも理解しておいてね?」


つまり、これからは『もう私に関わらないで。』欲しいという事だろう


分かってる、久々な女子との会話が楽しかったからって僕は味を占めるつもりは一切ない。


「うん、分かってるよ」


肝に命じておこう、僕だって生き埋めにされるのは御免だしな……


それに童貞である僕にそんな度胸は無い。その後は会話など無くスランプの僕と白石さんは気まずい雰囲気だった。


先程とは違う店員さんが持って来た料理を僕達は食べ、そして会計を済ませ外に出た。


僕の推しをモデルにしたヒロインと似た少女との会話は女友達とふざけている様で楽しかった。


でも、それも終わりである。

明日からはまた退屈ないつも通りの日々が始まるのだ。


『しかし、これが僕らのプロローグになる事を、今はまだ誰も知らない。

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