第22話 誤算
「兄さんは、本当に貴族様を見に行かないの?」
今日は、お偉い貴族家の人間が、この村へ訪れる日である。噂が立ち、正確な日程が決まってから、この村では半分お祭り騒ぎのような状態となっている。学校でもその話題で持ちきりであったし、俺の生活圏で貴族という単語を聞かない日はなかった。なんせこの村に、領主関連以外の貴族が来るなんて初めてのことであるらしい上に、それが五大貴族なんて大物だと言うのだ。正確にはその息子であるが、お偉いさんとは無縁の田舎人が、盛り上がらない筈はなかった。一眼でも見ておきたいと考える者たちは、この村の住人たちの中でもかなり多いそうだ。そんな村人ミーハー一味の中には、我が家族の者も含まれていた。ミルカである。
「俺は行かないよ。見るだけでご利益あるなら見てやってもいいけどな」
ミルカの誘いを断った俺は、それとは関係なしに外出の準備をする。貴族の行列なんか見る気はせんが、修行する気は大いにある。俺は一日も早く自分の力を使いこなすために、自らを鍛えるのを欠かさないのだ。
「ふーん。じゃあ、私は友だちと一緒に行くから」
ミルカはそう言い残して、俺の部屋から出て行った。すっかり兄離れが進んだ妹である。昔は四六時中一緒にいたというのに。と言ってもほんの二、三年前だが。子供にとって数年は、心変わりするには十分な時間ということだろうか。ブラコンなのは変わってないが。主に弟に対しての。
一人身支度を整えた俺は、いつもの如く弁当を手に入れて、両親に行ってきますをして外に出た。今日は休日だ。だからこうして学校行かずとも、誰にも怒られないのである。貴族様が平民の都合に合わせて訪れる日時を決めたわけではない。今日が特別に休日となったのだ。休みかどうかなんて、勝手に決めていいのかと思ったが、大人たちには大人たちの都合があるのだろう。俺は村の意思決定なんか知らんから、なんでそうなったかは知らんが。
俺は一人、小走りという名の全力八分走で修行場を目指した。
修行場にはたどり着いた俺は、いつもはそこそこ賑わってるこの場が、今日だけはやけに静かなのを物寂しく感じていた。
「あいつらめー……」
こうして一人になってみると、孤独の辛さを実感する。最近というか、修行仲間が増えてからはずっと他に誰かいた気がする。いや、そうでもないか。結構一人で修行してた時間も多かったわ。いつものことだわ。
すぐに気を取り直した俺は、いつものように修行を開始しようとして、始めることができなかった。理由は分かっている。実を言うと、俺も生貴族を見てみたかったのだ。五大貴族と言う、この国最高クラスの権力者の一族を、見に行きたかったのだ。でもそんな俺の好奇心を、俺のプライドが押さえつけた。だってね。ミーハー気分で野次馬やるなんてさ、自分がモブになったみたいで嫌じゃん。悔しいじゃん。この世界の支配者は、主人公は自分たちだって、マジマジ見せつけられるのはムカつくじゃん。許せんじゃん。俺の方が珍しいのに。俺が最強になるのに。異世界転生したの俺だけっぽいのに。前世の記憶とか持ってるのに。家柄とか血筋とか、そういう与えられたものに胡座かいてる七光りのサラブレッドどもに、自分から膝を折るって、そういうのは嫌なんだよ。俺を屈服させたいなら俺より強くなってみろよ。最強の座を奪ってみろよ。クソったれい。
そうこう悩んでいるうちに、集中が途切れた俺は、なんかもう修行するのが嫌になった。修行に身が入らなかった。おそらくだが、今日は修行に向いていない日だったのだ。そう決められたに違いない。これは天運なのだ。
急遽本日の修行を中止した俺は、じゃあこれからどうしようかと考えて、家でゴロゴロするかと、そんなことしか思いつかなかったところで、唐突にある思考が頭の中を過った。そうだ、ダンジョンに行こう。
俺はこっそりダンジョンに行くことにした。
無事、ダンジョンの近くに辿り着きました。俺の見つけたダンジョンです。
そう、あれは俺が見つけたダンジョンなのだ。俺が第一発見者だ。俺があのダンジョンを取り上げたに等しい。俺のダンジョンなんだよ。
その俺のものを、横から誰かがかすめ取ろうとしている。金と家柄と権力で奪おうとしているのだ。許せんわ。甚だ納得しかねる。
そう思った俺は、最後に一度だけダンジョンを満喫しようと思った。満喫だけである。別に取り戻そうとか、先に攻略してやろうだとか、そんな無謀は考えていない。第一今の俺じゃ無理だろうし。超人形態ならなんとかなるだろうけど、それは封印している決めている。なら普通の状態で戦うしかないのだが、それだとほぼ間違いなく殺される。俺はそこまで馬鹿でも愚かでも考えなしでもない。自分の力量はちゃんと弁えているのだ。
ならどうするのかと言うと、もう一回くらい中に入りたいと思ったのだ。記念にね。これで当分は、ダンジョンとは無関係な生活を送らねばならなくなる。最低でも三年以上だ。それは悲しい。だから個人的なお別れ会をするのだ。ダンジョン成分を吸い収めするのだ。
俺はそこそこ離れた木々の間から、岩場の中で不自然に佇むダンジョンを視界に収める。ダンジョンそのものである大きな枠と、そこを取り囲む簡易的な柵が確認できた。木製の杭に縄がかけられた、中より外からの侵入を抑制する、その程度の柵だ。見張りはどうやらいない。予想通りだ。このダンジョンはできてまもない。調査員とやらが中の魔物を間引いてるだろうから、現体化は起き得ない。ここは森の奥にある。いちいち足を運ぶにも苦労するだろう。無断でダンジョンに入る者もいるだろうが、大人は理性的だから入らない。子供はここに来るのはまず無理。どこからか聞きつけた無法者には、多少の見張りじゃ殺されるだけ。そいつらがいても、ダンジョンの魔物に殺してもらえばいい。だから見張りを置くメリットはない。まあ、五大貴族の家の子が来るらしいから、そういう意味で段取りや手際のために、数日間だけ設置することは考えられたが、どうやら俺は賭けに勝ったらしい。すごすご帰らずに済んだ。
とはいえ俺は油断しない。もしかしたら離れた場所から隠れて見張っている者がいないとも限らない。言うまでもなく、ダンジョンへの無断侵入は犯罪だ。初犯のため、それを知る者が身内しかいないため、俺は見過ごされている状態だが、理解してやるのでは擁護不可だ。バレれは俺の経歴にペケがつくだろう。最悪殺されるかもしれん。そん時は国外逃亡するのだが、ならないならそれに越したことはない。俺は慎重なのだ。
ダンジョンの周囲だけでなく、さらにその外側にも警戒の目を向ける。ここは閉地だ。見晴らしは決して良くない。そのための位置どりは限られている。五感を研ぎ澄まし、隠れ人を探した。
「……うん、いないな」
俺はそう断定した。多分おそらく間違いない。
俺の本気の察知能力は結構すごい。プロの技術は持っていないが、魔力があるから無問題だ。全体的に強化された視力は、百メートル先の小動物だろうと見逃さない。ギリースーツでも纏って本気の擬態隠蔽とかしてなきゃ見つけられると思う。所詮村人の見張りとか敵じゃない。
監視がいないことを確信した俺は、そのまま素早い動きでダンジョンに近づいた。こうとなったらほう自重する意味はない。いつ一行様がここに来るかは分からんし、さっさと入って出来るだけ楽しんで、帰るとしよう。記念に土とか持って帰ろう。定番だしね。
そして俺は、何日振りかの、再度になる、ダンジョンに侵入を果たした。
「ダンジョンよ! 私は帰ってきた!」
俺は入って早々両腕を突き上げて、堂々と帰還の宣言をした。よく知らないが、待望の地に戻った時、こう言うのがどこかの作法なのだ。多分。
ダンジョン内は、記憶にある光景と僅かたりとも変わっていない。地面には、外とはまるで異なる緑のカーペットが広がり、空には夏のような清々しい青空が広がっている。雲量は四割程度の見事な晴れ日和だ。たまに風も吹いている。
やはり不思議だ。一体ここは何なのだろうか。前世の価値観を持つ俺にとって、ここはあまりに突飛すぎる。奇想天外だ。どうして枠一つでここまで世界が違うのだろうか。こっちの方が異世界みたいだ。まさにアンビリーバブルだ。そういえば、このダンジョンってシームレスと言えるのかな。ロードを挟まないからそうか。
前回のように、ここから離れた位置には動く影が点々と見える。前回は失敗したけど、あれって全部魔物なんだよな。ゲームに出てくるモブみたいな奴らなのに、全部ラナ並みに強いんだよな。やべーわ。ここにいる奴らだけで、ワンチャン前世の国滅ぼせるんじゃないか。可能性はあると思う。国民犠牲にする覚悟で挑まんと、滅亡待ったなしだろう。やっぱ前世よりどれだけ強くなったって意味ないな。
考えるのはやめて、俺はここに来た目的を果たそうとする。
「さてと、ではここ近くの草とか土とか集めてみるか」
「へー、魔物とは戦わないのかい?」
その声に、俺は反射的に地を蹴り、距離をとった。
「おー、思ったよりもいい反応、と言いたいけど、ここまで接近して気づかないのは致命的だね。見える範囲にしか気を配れないのかな?」
急激に拍動を高めた心臓の音を意識させられながら、俺は十メートルほど離れた位置から、対面に置いたその人物をはっきりと視界に収めた。そいつは男だ。年齢はさほど感じない。高くても三十は超えていないが、二十代前半に見える外見をしている。髪は黒いが目は琥珀色。前世の西洋人に近い容姿だ。服装は簡素で、ローブとかマントとかは身につけていない。黒いコートとダークグレーのシャツを着ている。ズボンも黒めだ。見える限りでは、武器らしき物は携帯していない。
そんな優男が微笑を湛えたまま、さりとて僅かの油断もない視線で、確実に俺の姿を捉えていた。
「……あなたは誰ですか?」
「それはこっちのセリフだよ。ここは立ち入り禁止領域だよ。君は誰の許可を得てここにいるのかな?」
誰のって、俺の許可に決まってんだろ。俺の見つけたダンジョンなんだから。
そう思っても、決して口には出さない。いつもの冗談とかではなく、真面目な話としてだ。俺の天才的な直感が言ってる。こいつはヤバいと。血の匂いがするとか、危険な雰囲気を感じるとか、そういう明らかなヤバさじゃない。何も感じないヤバさだ。得体が知れなくてヤバい。
こいつは、俺に一切悟らせず背後を取った。多少油断してたとはいえ、何かが近づく気配や物音に気づかないほど、俺は昼行灯としていない。それに、俺はここに入る瞬間も、周囲に誰かがいないか最大限警戒していた。魔力で感覚を強化してだ。なのに、俺はこいつの気配を全く感じなかった。つまりはそういうことだ。こいつは絶対に俺より強い。それも普通状態ではなく、おそらく究極状態の俺よりも。今の俺は端的に言って、人生一番目か二番目の危機だ。なんでこんなのと序盤でエンカウントするんだよ。普通に敵の幹部クラスとかだろ絶対。
そんなヤバいヤバい状況だから、俺は相手を逆なでないように、敬語モードで対応した。
「それを言うなら、あなたとて同様ではないですか?」
「責任の追及を行ったところで、君の罪が消えるわけじゃないよ。まあ、僕の方はちゃんと許可を得ているから問題ないけどね。それで改めて聞くけど、君の方は?」
ヤバいよー。めっちゃヤバいよー。人生最大のピンチだよ。これ返答誤ったら絶対牢獄コースだよ。捕まっちゃうよ。最強どころじゃないよ。異世界生活終了だよ。
俺が必死に表情を取り繕って、さりとて内心では絶体絶命に悲愴を感じていると、男は変わらない笑みで発言を続けた。
「ああ、ごめんね。困らせる気は無かったんだ。ただ、もし許可を得ていたのなら、僕がとやかく言うことではないと思って、その確認をさせてもらっただけだよ。君がここに入る資格を得ているのなら、何も問題はないことだからね」
あー、これはあかんやつかも知れん。言い逃れ不可避の状況かも。でももしかしたら大丈夫かもしれない。俺にはそういう思いもあった。だって序盤で出会う強敵って、大抵主人公のこと見逃すからね。俺は多分死なない。と思っておこう。物語と現実の区別がつかないヤバい奴になるの流石にヤバい。だけど現実逃避する余裕を持つのは大事だ。うん。
何はともあれ、状況の改善を期待して、取り敢えず謝ってみることにした。
「申し訳ありませんでした! 許可なんて得ていません! 許して──」
直後、俺の腹部に衝撃が訪れた。視界には一瞬だけ黒い何かが映った。
脳が痛みを自覚する。その最中、俺は数メートルほど中を飛び、受け身も取れず背中から地面に着地した。強い痛みと、弱い痛みを、前後から同時に感じた。地面に転がった俺は、苦痛に顔をしかめて、すぐさま上体を起こした。数秒前まで俺が立っていたと思われる場所には、いつ間にか例の男が佇んでいた。
その顔には、やはり微笑が浮かんでいたが、両の目に、その色は生じていなかった。
「ダンジョンへの無断侵入は重罪だ。この国は、他国と比べ多数のそれを抱えているけど、罰そのものが軽いことなど決してない。それが子供であろうと、謝れば許されるなんて、そんな甘い話は存在しないんだよ」
俺は腹部を抑えながら、魔力で身体を強化しつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「それでも、ここが協会の管理するダンジョンなら、罰は軽度で済んだだろう。だけどね。このダンジョンは、アルバーニュ公爵家が正式に攻略権を買い取ったものだ。つまりは、既にして公爵家の所有物だ。そこに許可なく足を踏み入れて、中の財物を持ち出そうとして、──許される筈がないだろう」
ああ、やはりそうか。都合よくここに強い奴が現れたかと思ったが、こいつは今日来る貴族家の関係者だったのか。道理でヤバそうなわけだ。
納得した俺は、同時に自分の甘さを痛感した。貴族がクソなのは理解していた。理不尽なのも予想していた。ならば、これは予想できたことなのだ。今日だけは、大人しくしているべきだったのだ。今のこの状況は、俺が貴族という存在を、見くびっていた代償なのだ。
普通の子供なら、ちびりそうなほど冷酷な視線で、男は俺に告げてくる。
「アルバーニュ家の敵対者である君を、主君に代わり、僕がこの場で断罪しよう」
ここで初めて、男の体から武威が発せられた。それは静かでいて、強烈な殺気だった。
それを間近で浴びて、俺は理解した。やっぱりこいつは、めちゃくちゃに強い。俺が八連敗しているラナよりも、少し前に惨敗したシュタットよりも、こいつは数段上の強さを持っている。仮にシュタットが十人いても、こいつには敵わないかもしれない。もしかしたら、こいつこそが白金か虹の攻略者とやらなのかもしれない。
そんな文字通り次元の違う実力を、俺は戦う前から察していた。
俺は今日、死ぬかもしれない。多分これは避けようがない。俺はこいつに敵わない。俺の頭は当然の事実として、それを理解していた。
だが、俺は黙ってこいつに殺される気はない。死ぬつもりもない。俺は生きて、この先を生きることを、絶対に諦めはしない。勝機はある。ごくごく僅かだが、確かにある。こいつは俺を知らない。俺の力を知らない。ならそこにだけ付け入る隙がある。俺の勝利の、生き残る道がある。
万が一こいつを殺せても、事態は全く改善しないかもしれない。もっと悪化することだってあり得る。俺がここで大人しく殺されれば、少なくとも家族は無事かもしれない。本格的に、公爵家を敵に回すことはないかもしれない。
だが、俺はそんな道は選ばない。戦わずに頭を垂れるなんて、そんな格好悪い道は選ばない。生きるにしても、死ぬにしても、俺は俺の生き方を貫く。それで大切な誰かに類が及ぼうと、これが俺の生き方なのだ。俺という存在なのだ。
俺は身体に魔力を漲らせて、男に戦う意思を見せた。
「……大人しく殺されるつもりはないか。なまじ力を得たばかりに、愚かな選択だよ」
こちらを非難するような口振りであるが、そこには確かに喜悦の感情があった。この男は、この状況を楽しんでいる。ムカつくことに。戦闘狂かよ。
しかしありがたい。それならそれで、俺の方がやりやすい。こいつが善意の執行者なら、俺の手は鈍ったかもしれない。罪悪感に苦しまされたかもしれない。殺すのならば、悪どい方が楽でいい。憂がなくなる。
「うおおおおおおおおおお!!!」
意を決した俺は、叫んだ。大胆に、大袈裟に、力を込めて。さりとて、全ての空気は吐き出さず。
俺は走った。魔力で強化した肉体で、全力は出さず、八割の力で。俺の実力を悟らせるように、油断と警戒を交互に引き出すように。俺はラナとの訓練を思い出す動きで、男へと殴りかかった。
その時、俺は男の目に、失望の色を感じ取った。理由は分からない。なぜその感情が浮かぶのか。俺を過大評価していたのか。戦闘狂だからか。
しかし、そんなことはどうでもいい。寧ろ都合がいい。とにかくここが、ここだけが、俺にとっての活路と悟った。俺は自分の内側から、魂の奥底から、超越する力を、根元の魔力を、反動躊躇わずに引き出した。
いつかのように、急激に力が漲り、万能感が俺の身に訪れる。
俺の肉体が加速する。条理を絶する。常人の限界を突破する。一瞬で超人の域へと達した俺は、彼我の距離を、瞬きよりも早く縮めた。俺の常軌を逸した動きに、男は刹那の時間で、驚くように目を見開いた。だが遅い。手遅れだ。俺はもう止められない。
対応の遅れたそいつに、油断していたそいつに、俺は全力全開の一撃を、一切の手加減なく、容赦などなく、相手の懐に叩き込んだ。
直後、あり得ないほどの轟音が、辺り一帯に鳴り響いた。
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