第16話 療養生活
「兄はん、ひんごを食べまふか? いらはいならミルはが食べまふ」
「いや、食べるよ……って一個しかないじゃん。え? もう食べてる?」
俺のために用意された前世のリンゴっぽいリンゴを、妹のミルカはシャリシャリと音を立てて頬張っていた。いや、それ俺のだよね? 持ってきてくれたのにそれを食べるって、お前は何しに来たんだよ。俺の指摘にミルカは誤魔化すようにして、俺の口にリンゴを押し込んできた。そのまま「ごちそうさまでした、兄さん」とだけ言い残し、空の皿を持って俺の部屋から去って行った。俺はリンゴを咀嚼しながらそれを見送って、また自分のベッドの上に体を横たえた。今の俺は療養中であった。
俺が緑のデミヒューマンに圧勝した翌日、俺は自室のベッドから起き上がれないでいた。理由は体中に迸る痛みと倦怠感である。筋肉痛を更に激しくしたような苦痛が俺の全身を襲っていた。天才の俺は当然この症状の原因について心当たりがあった。緑の奴との戦いである。あの時の俺は、今まで使ったことのない莫大な力を使用した。その時は万能感から何の痛苦も感じなかったが、その代償が翌日になって訪れたのである。俺の肉体はまだ、あれだけの魔力を扱うために、器として成熟しきっていなかったのである。オーバードライルである。
兄離れしたミルカではなく、様子がおかしいと感じた母がそんな俺を発見した。最初こそ疑いの眼差しを向けていた母だったが、俺が本気で苦しそうなのを見て取ると、血相変えて階下の父にまで教えに行った。そして父と母と、ついでにミルカとテオの四人に囲まれて、俺は昨日にあったことを、ダンジョンのことは含めずに教えた。修行で無茶をし過ぎたと。それを聞いて父母は安心したのか、その場で家族会議は解散となった。念のため診療所に行くことになったが、俺はこの通り立ち上がることすらままならないため、家にお医者様を呼ぶことになった。わざわざ足を運んでくれた爺さんに礼を言って、俺は診察を受けた。それによると、極度の筋肉疲労による筋肉痛だと判断された。ついでに軽度の肋骨骨折と脇腹の打撲とも診断された。それを聞き母は慌てたが、入院治療を受けなくても安静にしてれば治ると言われ、それで安心した。骨折ってそれで治んのか? ヤブじゃねえかこの爺? 俺はもちろんそんなことは口に出さない。良い子なので。それから爺さんには診察料を払って帰ってもらった。魔法とか使わんのかな。回復魔法でパーっと治してもらうのとか期待してたのに。やっぱそういうのって貴重なのかな。貴族お抱えとか、都市の大きな病院にしかいないとか、そういう感じなのかな。回復魔法が使える宿魔の実とかすっごい高そうだし。こんな田舎なんてまともな魔法使いがいるかも怪しいしな。俺の知ってる魔法使いはたぶん全部で十人くらいだ。結構いるな。でもまあミルカが魔法使えるくらいだし、考えればこれくらいいても普通か。もっといっぱいいてもおかしくはない。俺が知らんだけで。
そんなわけで俺の入院ではなく、療養生活が始まった。
家族と医者の爺さん以外で、見舞い客として初めに現れたのは、案の定と言うべきか、俺の修行仲間の四人とオルジョ君だ。他の連中は来なかった。たくさん来られてもあれだからいいんだけど。オルジョ君は俺の弟子というわけではないが、ゴウル君やミレン君とは仲が良いので、そっち繋がりか。
来てくれた五人だが、なんと悲しいことに、彼らは俺の心配などしてくれてはいなかった。彼らが来たのは、俺がどうしてこうなったのか、それを聞きに来ただけだった。は? 人の心とか無いのかよお前ら。普通こういう時は、『心配したよライル君! 君ほどの男に何があったんだ!?』とか聞く場面だろ。聞く場面だったわ。言い方はともかく、ちゃんと聞かれたわ。いかんな。怪我のせいで頭がおかしくなっている。でも普通に心配の言葉だけ口にしてくれてもいいだろうが。
俺はダンジョンのことは隠したかったので、薄情な連中どもには修行で新技を開発してたらこんなんなったと、それっぽいことを伝えた。新技あるのは本当だし、証明しろと言われてもそれは簡単だ。この嘘がバレる心配はないだろう。俺の説明を聞いた非人情どもは、相変わらず馬鹿だとかどうしようもないアホだとか、怪我人の俺に罵倒の言葉を吐き出してから帰っていった。可愛いからって許されると思うなよサーレリちゃん。そしてミレンのカスは治ったら一度ぶん殴る。
そして俺は、一人居残ったラナと会話することになった。
「それで、本当のところは何があったの?」
何がも何も説明した通りじゃろがい。俺の言葉を信じんかい。幼馴染だろうがよ。
「だってライル君、話してるとき嘘つく特徴出てたもん」
いやいや、そんなもん出しとらんわ。とういうか何だよそれ。ラナは俺が年がら年中、口に出す言葉全てが嘘だと、そう言ってるのか? ヤバすぎだろこの女。
俺がこの女何言ってんだの目で見ると、ラナはムッとした表情を作った。
「私のは嘘じゃないから。さっきのライル君、私たちの顔を全然見なかったじゃん。ライル君って、嘘つく時は堂々と見てくることもあるけど、そういうのはすぐにバラすもん。逆に隠したいって考えてる時は。相手の顔を見ないようにしてる。違う?」
おーい。なんだよこの幼馴染。ライル検定二級でも持ってんのかよ。認定与えたことはないぞこっちは。つーかストーカーみたいなこと言うなこいつ。怖いわ。
それはさておきどうしようか。俺は迷う。ラナには全部話していい気もする。こいつは何だかんだで付き合い長いしな。信頼度も他の他人とはまるで違う。朋友クラスだ。でも話したくないっちゃないんだよな。あそこは俺のダンジョンだし。こいつのことだから、ダンジョンの存在を知れば絶対大人たちに教えるだろう。そうなれば待ってる未来は一つ。俺のダンジョン生活の終了だ。隠れてダンジョンで強化訓練とか、こっそり鍛えて最強とか、そういうのはできなくなるわけだ。
ウンウンと唸りながら、俺は迷った末に結論を出した。
「よく分かったなラナよ。確かに俺は真実のすべてを述べているわけではない。だがな、俺がこれを話さないのはお前のためでもあるのだ。これを知ればきっとお前は──」
「そういうのいいから、真実だけ教えて?」
素っ気な。素っ気ないよこの幼馴染。俺のノリ完全に無視じゃん。
「……真実って言われてもな。じゃあどこからどこまでが真実になるかって話だ。俺が真実を話してるつもりでも、お前がそれを信じなきゃどうしようもないだろ?」
「大丈夫。私ライル君のこと信じてるから」
うわー、さっき速攻で嘘だって断定してきた口で何を言ってんだよこいつは。ヤバすぎだろ。俺のラナへの信用度は爆下がり中だよ。
白々しい言葉を口にして真っ直ぐ見つめてくるこいつに、俺はそんな感想を抱きながら小さく溜息を吐いて言った。
「いいか? これから話す話は俺たち二人だけの秘密だ。他の奴には絶対に言うんじゃないぞ?」
「うん、わかった」
即座に頷くラナ。嘘かもしれんがまあいいだろう。俺はこいつに教えてやることにした。
「──というわけで、俺はそこからの帰還を果たしたのだ。おしまい」
俺はあくまでも、たまたま発見したダンジョンらしきものの中に入って、そこにいる魔物にたまたま遭遇して、たまたま戦うことになってしまった、という体で話をした。馬鹿正直にダンジョンっぽいのがあったから入りましたとは言わない。もしものことがあるからね。ダンジョンというのは発見したら即座に大人へ教えなければいけないのだ。これは初等学舎でも口を酸っぱくして言われたことだ。大変危険な上に罪に問われることもあるから絶対に中に入ってはいけないと。
俺は今回その教えを破ったことになる。本当に偶然が重なった事故な訳だが、入ったという事実は変わらない。俺はまだ十に満たない子供だから捕まりはせんと思うが、あくまでも不可抗力であったことを主張するのだ。子供は危機意識が低い上に常識も大して知らないから、これできっと許されるだろう。見せしめに殺されるなんてことはない筈だ。そうなっても抗うけどね。覚醒ライルの最強パンチでそいつらをボコボコにしてやる。
俺の説明を聞き終わったラナは、聞いてる最中に寄せていた眉間の皺を消すと神妙な態度を取った。
「ライル君、どうしてダンジョンの中に入ったの?」
「いやいやラナさんや、俺はそれがダンジョンだとは……」
「知ってたよね?」
声の圧を高めて答えを強制させてくるラナに、俺は身を縮こまらせてしまう。
「……はい」
「ならなんで入ったの? 危ないって解ってたよね? ライル君って天才なんだよね? ならそんなことも解らないはずがないよね?」
怒涛の疑問符がついた言葉の押し寄せに、俺はますます身を小さくする。うん。これはあれだ。完全に怒ってるやつだ。激おこラナーンだ。
おこおこ状態になったラナさんの言葉はまだ続く。
「学舎で教えられたでしょ? ダンジョンは危険だから、見つけても絶対に入っちゃいけないって。なんでそれを守らないの? 何度もそう言われたよね?」
「……はい」
「その怪我、ダンジョンの魔物と戦ってそうなったってことだよね? 魔物にやられたってことだよね? ねえライル君、一歩間違えてたら、そこで死んでたかもしれないんだよ? 本当に分かってる?」
頷きロボと化した俺は、ラナさんの疑問符の付いた言葉に、ひたすらに頷き続けた。上司にへこへこするうだつの上がらない部下の気分だ。
俺がはいはい返事してると、ついにラナがその言葉を言い放った。
「場所教えて」
「はい?」
「そこのダンジョンの場所を教えてって言ったの」
話す前に他言無用と言った俺のお願いを無視して、そんな要求をしてくるラナ。部下モードから復帰して少しだけ抵抗した俺であったが、圧力を増したラナさんに逆らうこともできず、渋々ダンジョンの位置を教えることになってしまった。無念だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます