第14話 しをしる
「おーい起きなよライルくーん。もうすぐ夜になりますよー」
はい、決闘に負けて八連敗を喫したライルです。俺の幼馴染がボコボコに殴りたくなるほどウザい。逆にボコボコにされたけどね。あー、あーあーあーあー。
「起きないならまた担いでっちゃうよ?」
俺は起きた。
「そんなに私とくっつくの嫌? 昔はもっと距離近かったのに」
さりげなくボディタッチしてくるラナ。くっさ。汗臭いだけだわお前なんか。マジで勘違い女みたいになってるなこいつ。やべえわ。
「あのさあ、ラナさん。あなたね。自分の汗の臭いを俺に嗅がせて──」
俺は腹をラナにぶん殴られた。唐突すぎる。おええと胃の中を吐き出しかける俺に、ラナはプンプンと怒った様子で先に帰って行ってしまった。めっちゃ足速い。野生のターボババアみたいな女だ。
俺はなんとか胃液を飲み下して、またその辺の岩や地面に八つ当たりをする。それから自分の家へと帰った。
「あんたねぇ……そりゃ、あんたが悪いわ」
俺はサーレリちゃんと修行をしながら、昨日あったことを話していた。
「言うほど俺は悪いか? 汗臭いから臭いって言ってるだけだぞ。四分の一フォレセのサーレリちゃんだって、汗の臭いはくさ──」
いきなりルール禁止の顔面攻撃が炸裂した。俺は避けきれずにそれが直撃した。痛みで鼻を抑える俺に、上からこれをやりやがった女の声が降り注ぐ。
「デリカシーなさすぎんのよ。女子のにおいとか臭いとか、そういうのは禁句だって知らないわけ?」
「し、知ってるか知らないかでは知ってる。でも臭いもんはく──」
パンチの次は蹴りが顔面に炸裂した。俺はそのまま地面に背中から倒された。お顔が痛い。
「ほんと学習しない馬鹿ねあんた。もう知らないわ」
怒ったサーレリちゃんはどこかへ行ってしまった。俺の何がそんなに悪いと言うのか。お前の汗はフローラルとでも言えと? それ嘘じゃん。言った方が辛いだけの嘘じゃん。なにも言わないのもためにならん。俺はノーと言える人間なのだ。
美少女度が増したサーレリちゃんに逃げられた俺は、仕方がないので別の修行相手と言う名の鬱憤晴らしを探す。
「よし、そこの二人! 光栄に思えよ! 俺が相手してやろう!」
俺はそこで二人仲良く修行している、ゴウル君とミレン君に話しかけた。
「いやいいよ。俺はミレンとやってるし」
「そうだ。お前はラナかサーレリに相手してもらえばいいだろ」
俺にクソ生意気な口を利く二人である。こいつらよ、俺が師匠だって忘れてるのか。尊敬と親しみを込めて、ライルさんか師父ライルと呼べよ。そんで敬語使えよ。
生意気クソ坊主ことミレン君は、大体7歳くらい、今から二年ほど前に再び修行への参加を許した。最低限の体力は身につけてたしな。俺は優しいから許してやったんだよこいつを。最初は俺にはビビリまくってたかこいつだが、なんか修行でスパルタ続けるうちに、元の生意気さを取り戻し、新たにふてぶてしさを獲得していった。髪は坊主から短髪程度になっている。もう坊主とは呼べない。また丸刈りにしてくれんかな。
「お前らよ。師匠の俺がそうしろって言ったらそうしろよ。弟子ってのは古来から師の言葉には逆らわないんだぞ。お前らの生殺与奪権は師である俺にあるんだぞ? そういうのは理解して言ってんのか? おおん?」
お師匠様に反駁するクソ弟子なんか、処刑されても文句は言えんぞ。理解して物言えやゴラァ!
チンピラみたいなキレ方を俺がしてると、クソ弟子一号のゴウル君がふざけたことをぬかした。
「ラナを呼ぶぞ?」
俺はゴラゴラ言いながら踵を返した。あいつを呼んだら俺が危ない。だから呼ばれる前に撤退するのだ。別に怖れてはいない。ただ一人でできる修行を思い出しただけだ。俺はダッシュでこの場を後にした。
俺が来たのは第二修行場である。ここは東の森を抜けた先に存在する、山脈近くの岩場地帯である。この場所を見つけてから俺は、ここを個人の修行場とすることを決めた。たまに関係ない奴が入って来るが、基本的にここは俺の貸切だ。割と遠いしね。第一修行場からここに来るのは、鍛えていてもなかなかに厳しい。それくらい奥地である。
だからこそこうして一人で集中して修行ができるのだ。俺がそうやっていつものようにその場所に到着すると、そこになんか変なのがあった。
「なんじゃありゃ」
今のいる所から少し離れだ場所に、なんか変な景色が見えた。言ってる意味が分からんと思うが、俺も分からん。なのでそっちの方へ近づくことにした。
俺がそこへ近づくとだんだんとその部分と、そこ以外の景色の違いが際立ってくる。わけもわからず気になって、俺は近づく足を早めた。
到着した俺が見たのは、なんかでかい渦だ。いや、渦というのは正確ではない。まず俺の身長の倍くらいの大きさがある四角い枠があって、その四角い枠の中で何かが渦巻いているのだ。何かというが、これに俺は既視感があった。
「これはあれか。草原か?」
下部分が緑の草っぽいのと、上部分が空の青さっぽいので、俺はその渦が草原という景色を渦巻きにしている光景に見えた。アハ体験みたいなやつだ。
これは一体なんぞや。思った俺は近くにあった石ころを、その渦の中にぶん投げてみた。そうすると俺が石を投げ入れた瞬間、謎の渦が消え去った。そしてそこには、俺が予想した通りの草原そのままの光景があった。
「いや意味わからんわ。なんだよこれ」
ようやく出てきた異世界らしい現象に、俺の頭の中は疑問で溢れかえる。だがそこは天才の俺。感じる異世界っぽさと知っている知識から、それらしい解答を導き出した。
「これはもしかして、ダンジョンか」
異世界あるある不思議空間のダンジョン。マジで不可思議すぎて、この答えにたどり着くまで苦労した。だって今までなかったものが急にポンと出てくるんだもん。そんなん判るわけないだろうが。だが俺は許す。寛大な男だからね。
「これがダンジョンってことはこの中に、あく……じゃなくて、宿魔の実があるってことか。もしかして、もしかするのか?」
え? これ今日にも宿魔の実手に入っちゃう? 魔法使いライル誕生しちゃう? ヤバくないかこれ。ってか冷静に考えたらヤバいぞ。ダンジョンって見つけたら報告義務とかあるんじゃなかったか。そんなこと学校の教師連中が言ってた気がするえ、どうしよう。これ入っちゃ駄目かな。いい気がするんだが。俺の心はいいと言っている。
真面目に考えよう。ダンジョンには発見の報告義務がある。だが俺は実物のダンジョンを見たことがない。つまりは目の前のこれがダンジョンかは証明不可能。だから俺は俺が本当にダンジョンか確かめる必要がある。よし、入ろう。
そうと決めたらそうする俺であるのだ。
抵抗もなくその草原の景色に足を踏み入れると、俺は岩場から一転、草原に足をつけていた。青い空には白い雲が僅かに漂う晴れ日和。見渡す光景はどこまでも緑色のそ──。
「なんかおる……」
俺から目算で百メートルくらい先に、なんかおった。てかそいつだけじゃないわ。一番近いのはそいつだけど、今いる所から離れた場所で、微妙に動くちっさい影がたくさん確認できる。
「あれが魔物ってことか?」
消去法的にそれしかあり得ないという結論を俺は早々に導き出した。まさかここが本当になんか知らん世界で、見える影は人や家畜って可能性はないよな。そうだったらどうしたらいいんだろ。
それを確かめる意味でも、俺は一番近いそいつに向かって近づいた。もちろん魔物であった場合に備えて、魔力で体を強化しておく。
数十メートルほど近づいた俺は、そいつが人間でも魔物でもないことに気づいた。だって肌の色が違うもん。
「怪人ハダミドリと名付けよう」
腰に布巻きを装着しただけの、半裸の変態のそいつは、見える範囲の肌の色が緑過ぎた。俺はこのとき九割ほど相手を魔物だと確信していたが、最後の一割、相手がそういう肌色の人間か、あるいは意思疎通が可能な知的生命体の可能性を考慮して、ファーストコンタクトは友好的なものにしようとした。
俺が手を振りながらそいつに近づいていくと、そいつもいつ間にか俺の方へと近づいていた。その動きは、なんだかゴキブリのように速かった。
「は?」
俺は、高速で接近してきたそいつに、いきなり殴り飛ばされた。意味もわからず俺は吹っ飛ばされて、そのまま草原の上を転がった。顔面への攻撃だったが、なんとか防御は間に合った。しかし顔を庇った筈の両腕はジンジンと痛んだ。これほどの痛みはラナとの修行でも感じたことはなかった。
まだ困惑から立ち直れない俺に、緑の肌をしたそいつは「ギャギャギャ」と気持ちの悪い笑い声を上げてきた。は? 俺はこんな変態に笑われてんのか?
キレた俺は即座に立ち上がると、魔力を全開にしてその怪人ハダミドリに殴りかかった。笑っていたハダミドリは、俺の攻撃に気づくと、横に跳ぶようにして移動した。そしてそのまま俺の体側面を片方の足で蹴り飛ばしてきた。肋骨が軋む音がした。
一度目よりも高く、遠くに、俺の体は大きく弾き飛ばされた。少しの間訪れた浮遊感を心地よく感じていると、それを台無しにするように、地面に落下する衝撃が俺を襲った。生じる衝撃と苦痛が、倒れた俺の体を無慈悲に苛んだ。
は? なに? え? どういうこと? え? 俺の頭の中は『なぜ?』の言葉で埋め尽くされた。俺は修行した。4歳からだ。ほとんど毎日、日が暮れる前まで自分を鍛えた。それを五年間続けた。俺は魔力を使える。体を強化できる。岩を砕ける。前世の世界でなら最強と呼べる存在になった。それだけ強くなった。俺は自らを鍛え上げた。俺は最強に近づいていた。
疑問の連続の後に、俺の脳裏をラナの顔が過る。幼馴染の、ずっと俺と修行を続けた女の顔が。俺より後ろにいたのに、ずっと縋り付いて、やがて追いついて、追い越していった女の顔が。
俺は異世界転生者だ。特別だ。主人公だ。だから俺は成功を宿命付けられている。最強を約束されている。その筈なんだ。なのになんだこれは。なんで俺は倒れてる。横たわっている。立ち上がれないでいる。俺は主人公じゃないのか? 世界に愛されてるんじゃないか? これは俺のために用意された現実じゃないのか? 世界は俺のためにあるんじゃないのか?
俺の耳に、土を踏む音が聞こえてくる。俺はそちらになんとか顔だけを向ける。そこにいたのは、誰でもない。俺をこのようにした緑の変態だ。そいつは地面に横たわったままの俺に、ニチャニチャと気持ちの悪い笑み浮かべている。気持ちの悪い口からは、気持ちの悪い声が漏れ出ている。緑の気持ち悪いこいつは、その気持ち悪さを全開にして、俺を殺そうとしていた。
だというのに、俺の体は動かなかった。なにをどうしようと、頭や手足の先くらいしか動かせなかった。俺は立ち上がれなかった。
俺はここで死ぬのだろうか。ことここに至って、漠然とそんな想いが浮上してくる。俺はなぜ死ぬのだろうか。ダンジョンに入ったから? 魔物と対峙したから? 逃げずに戦うことを選んだから?
本当にそうか? もっと前からこうなるのは決まってたんじゃないか。俺が強くなると決めた時から、俺が最強を志した時から、俺がこの世界に生まれた時から。
人はいつか死ぬ。俺もそうだ。前世の俺は一度死んだ。だから生まれ変わった。異世界に転生した。これは俺にとっての二度目だ。
いや、違う。二度目じゃない。これは俺の人生で、俺だけの人生だ。そこには二度目なんか存在しない。最初から最後まで、生まれてから死ぬまで、ただ一度きりの一度目なんだ。
俺はまだ何も成してない。成し遂げていない。何者にもなっていない。なれていない。
なら、だったら、俺がここにいるのは、俺が俺になるためだろう。 俺以外に、俺はいないじゃないか。俺を誰より知ってる俺が、こんなところで、俺が何かになるのを諦めてなんになる。
────俺はライル・ウォルカーだ。
緑のそいつが振り上げた足。それが俺の頭上に持ち上げられる。このまま俺が何もしなければ、俺の頭は潰れたトマトになって死ぬだろう。
ニヤつく笑みが見える。緑のそいつは笑っている。足を振り上げて、振り下ろそうとして、そうする相手である俺を見て、そいつは確かに笑っている。
何がそんなに可笑しいのだろうか。俺はそれを知れないが、そいつの思い通りにならないためにも、顔を庇うように、抵抗するように、右手を顔の上に持ち上げた。俺の腕と、そいつの足と、重なる二つの隙間から見えるそいつの顔は、浮かべる笑みがより深まったような気がした。
そして、その時が訪れた。その魔物の足が、俺に向かって振り下ろされた。俺は死ぬ。それが触れれば、俺は間違いなく死ぬだろう。だがそれは問題ない。俺はすでにもう死んだ。俺はとっくに死んでいたんだ。だから俺が死んでも問題ない。
俺は俺として、今を生きるために、その身に命を漲らせた。
「────礼を言う。お前のおかげで、俺はまた一歩、最強へと近づけた」
緑の足が、俺の顔の前で止まっている。ミシミシと音を立てるように、小刻みに震える足には、俺の右手が掴まれていた。俺は手のひらで緑の足を受け止めると、掴む力を強くして、それを横へと振り投げた。
たった今まで、俺の頭上で気持ち悪い笑みを浮かべていたそいつは、一瞬にして俺の視界から消え去った。代わりに俺の右側では、何かが地面の上を激しく転がったような、そんな大きな音が聞こえた。
俺はそれに対して意識を向けず、ゆっくりと体を起こした。そして緑の変態に触れていた右手を開閉すると、その手を服で拭った。
「気持ち悪いの触っちまったな。後でちゃんと手を洗わないと」
俺は右腹部に感じる鈍痛も気にせずに立ち上がる。そしてその場で軽く跳ねると、緑の変態がいるだろう右側へと体を向けた。
そこには土に塗れた緑の変態が、右足を庇うようにして、俺へと剥き出しの敵意を向けていた。俺はそれを鼻で笑ってやった。
「今更それか。遅すぎるだろ。お前はもう死んでるぞ?」
俺はついさっきまで余裕綽々だったその馬鹿な魔物に向かって、死の宣告を与えてやった。しかし馬鹿な魔物では、俺の天才的な言葉は理解できない。無事な左足を使って地面を蹴り、両腕を大きく横に広げて、間抜けな格好で突っ込んできた。
「言っただろう。お前はもう、死んでいると」
俺の拳が、一瞬で奴の頭部に叩き込まれる。その一撃だけで、その緑の変態のブサイクな面はこの世から永久退場した。俺の攻撃の余波が、突進の勢いを相殺して、残りの胴体が背面からその場に崩れ落ちる。緑の変態は、そのままその痕跡を一切合切消し去って、その身を色の無い透明度の高い石へと変化させた。俺は戦いの余韻に浸ることなく、無造作に足元のそれを拾い上げた。
「これが魔石ってやつか。気持ち悪い奴だったが、死ねばなかなか綺麗なものに変わるもんだな。それともこれがお前の本質だったか?」
俺は消えたそいつに語りかけるように独り言を呟いた。それを聞いていたのか、その場を一陣の風が吹き抜けた気がした。
「フッ、まあいい。俺は先へ行く。お前もせいぜい、そこで俺の行く末を見守っているがいい」
俺はシニカルな笑みを浮かべて、颯爽とその場を離れるのだった。完。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます