最終章 竜の世界

第42話

 久悠が突然現れた巨大な翼竜に乗って逃走してから数日が経過していた。リュウとアオが盗まれたと警察に被害届を出したラツェッドは、捜査の進捗を毎日のように問い合わせていた。しかしその返答内容は決まって「まだリュウとアオは見つかっていない」「捜査の詳細は返答しかねる」というこの二点だった。もっとも、セレストウィングドラゴンの幼体二匹など今となってはどうでもいいものでもあった。僕には彼らの遺伝子が暗号化される前の鱗がある。データがある。これだけで僕は億万長者だ。とはいえ久悠に負けっぱなしというのは、どこか落ち着かないものでもあった。数日経って、ようやく警察からラツェッドに連絡があった。

「確認したいことがあるので、署に来てほしい」

 ついに久悠が捕まったのだろうとラツェッドは嬉々として警察署に向かった。都市部から辛うじて徒歩圏内の行きにくい場所にそれは建っていた。長方形の味気ないビル。古臭いながらも頑丈そうな建物だ。実際、過去の大地震も何度か耐えてきたようだった。正面の入り口から入ると、そこは免許や道路使用の許可を出すための窓口で、作業着姿の男や女が列を作っていた。このご時世に列か……と、ラツェッドは隅を通過し、建物の奥にある階段を上る。硬い制服姿の警官がすれ違う。久悠を迎えに来た時に足を運んだ刑事課を通り過ぎ、生活安全課を目指して階段を昇る。

「ACMSのラツェッドだ」と、同課窓口の新人警官にラツェッドは言った。「君たちから呼び出されて参上した。担当者を出してくれ」

 窓口対応の警官が奥に人を呼びに行く。そして連れ帰ってきた人物は、生活安全課ではなく刑事課の名札を下げていた。

「窓口を間違えたか?」

「いえ。ラツェッドさん、こちらへ」

 促されるまま刑事課警官についていくと、取調室に案内された。

「どういうことだ」

「任意の取り調べです。ご協力願います」

「取り調べ? 任意だって? 僕は同意していないが」

「ご同意いただけませんか?」刑事課警官はそう言いながら取調室のドアを閉める。「ではご同意いただけるまで説明を差し上げます」

「横暴だな。それになにより意味がわからない。セレストウィングドラゴンの幼体二匹はどうなった。見つかったから呼び出したんじゃないのか。窃盗犯を捕まえたなら、そいつと面会なんてものも多少は期待しているんだが」

「それについてですが。ラツェッドさん。あなた、セレストウィングドラゴンの幼体二匹の所有権をお持ちですか?」

「僕はACMSだ。ACMSが違法なシェルターから竜二匹を保護した。その飼育者として僕が名乗りを上げた」

「なるほど。それは正規の所有者ということですか?」

「尋問か? 僕は取り調べには同意していないぞ」

「立ち話もなんなので、座っても構いませんよ」

「断る」

 しかし刑事課の警官は部屋のドアの前にどんと立ちふさがっている。筋肉質な男だ。ラツェッドの力では引き剥がせないだろう。振り返ると簡素な部屋にデスクが一つ、パイプ椅子が二つ、デスクを挟んで向かい合う形で置かれている。

「そもそもなぜ僕に喋らせようとしているんだ。説明をしてくれるんじゃないのか?」

「そうですね。そうしますか」男の声は腹から勢いよく出されていて、それだけでどこか威圧的だった。「ACMSから当署に相談が寄せられています」

「……なに?」

「内容は二点。ACMSが保護した竜を、あなたが不当に飼育していること。そして、押収された暗号化されていない竜の遺伝子を保有する物品もまた、あなたが不当に所持しているということ」

「ちょっと待て」

 なにかおかしいぞとラツェッドは思った。僕が不当に飼育? たかが竜二匹をACMS職員が善意で引き取ることを上がそんなに問題視するだろうか。だが、今回の竜はセレストウィングドラゴンだ。非常に価値の高い竜の場合、転売の心配がないよう引き取る里親の身辺調査や念書作成などは必要に応じて実施することがある。今回もその判断ということだろうか。たしかにそういう意味でなら、僕はミスをした。しかし致命的なミスではない。正規に竜を引き取る手段なんて、今の立場を利用すればいくらでもある。

 問題は後者だ。

「〝暗号化されていない竜の遺伝子を保有する物品〟だと?」

「そうです」

 警官が頷く。

 しかしラツェッドは、久悠から受け取った鱗とメモリーカードについてはACMSに情報をあげていなかった。情報をあげると、それはラツェッドから没収されてしまうだろう。その先、上層部の利権構造の中で、この鱗とメモリーカードがどこに流れるか分かったもんじゃない。見知らぬクズの手に渡るくらいなら、僕が持っていた方が適切でありふさわしいとラツェッドは思っていた。

「……どうして知っている」

「知っているとは?」

 素知らぬ顔で警官が言うが、ラツェッドは相手にしていられなかった。身体中から汗が吹き出し、それがひんやりと纏わりついて寒気が止まらない。両拳に力が入り、肩の緊張して震えている。

「久悠だな……!」

「我々はそこまで関知していません。ACMSから当署に相談があったのです」

「うるさい黙れ」

 ラツェッドは確信した。久悠には話してしまっている。

〝暗号化されていない竜の遺伝子が存在し、その著作権者が不在であるなら、その管理は第三者には任せられない。その鱗とメモリーカードは、我々が適切に管理する必要がある〟と。

 たしかに管理するのは僕ではない。ACMSだ。そんな些細なことにあの間抜けな男が気付いたのだ。そして奴がACMSに垂れ込んだのだろう。そうに違いない。

 ……久悠め。やってくれたな。そしてそれ以上にまずい。

 まずい。

 その三文字に、ラツェッドのすべてが要約されていた。

「任意の取り調べ。応じていただけますね?」

 くそ。

 だがまだなんとかなるはずだ。ACMSにこんな風に警察に相談されてしまっては、出世の道はだいぶ遠ざかってしまっただろう。けれどまだ詰んだというわけではないはずだ。きっとまだ抜け道はある。考えろ。考えろ……

「ラツェッドさん。同意がなければ、我々は強制捜査に踏み切る予定です」

「強制捜査だって……? そんな大ごとにしなくても」

「我々もそう思います。たとえ一掴みのダイヤモンドをあなたが所属機関から持ち逃げしようとしているとしても、我々はまずあなたから話を聞きたい」

 一掴みのダイヤモンドなんてもんじゃない。リュウとアオ、そして鱗とメモリーカードは、デスクに山盛りのダイヤモンド以上の価値がある。

 そしてラツェッドはゾッとした。

 これは横領だ。それほどの価値のあるものを、僕はACMSを出し抜いて自分の物にしようとしている。そんなもの、どんなに軽くても刑事罰相当じゃないか。刑事罰の場合、今の仕事は懲戒免職処分だ。出世どころではない。

 ラツェッドはめまいがして、パイプ椅子に腰を下ろした。

「ご協力感謝します」

 警官はそう言ったが、ラツェッドはこの期に及んで首を振った。

「弁護士を呼んでくれ。それまで僕は一言も話さないぞ」

 警官はため息を吐いて、面倒臭そうにラツェッドの要請に応じた。

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