第41話
リュウとアオはそれぞれ左右の久悠の手を掴み、羽ばたいた。それでいい、そのままがんばって走れというように、久悠の手を引いて空を飛んだのだ。二匹合わせてもまだ久悠を持ち上げる力はない。両腕が引っ張られるので走りづらい。それでもリュウとアオは、時折振り向いて久悠の様子を確認しながら手を引き続けた。二匹にとってはただたんにそういう風に遊んでいただけなのかもしれない。それでも久悠にとってリュウとアオのその行動は、残りの体力を振り絞るに値する勇気を与えてもらえるものだった。
そうだな。このまま一緒にどこまでも走り続けていけるといいな。
本当にそれができれば、どんなにいいだろうか。
本当にそれができれば……
悔しさが溢れ、また涙になって目に溜まりはじめた。走る一歩ごとにそれが零れ、空気中へと流れていく。その後方には体力自慢の警察官が複数名迫ってきていた。前方の住宅街の合間にパトランプの光が灯り、先回りされているのだと知る。
ごめん。ごめんな。
バサバサと精一杯、翼を動かすリュウとアオ。それでもこの二匹が人一人の体重を持ち上げるなんて無理だ。成体の中型竜以上でないとそれはできない。
バサバサ。バサバサ。
しかし気付けば、その音が極端に大きくなっているように感じられた。これまでは小さな旗を小刻みに振り回す程度の音だったものが、今ではウェルメが布団のシーツをバサバサはためかせる時のような大きな音が辺りに響いている。
「久悠ちゃーん」と、彼女がベランダにいる時は、帰宅した久悠にそう声をかけてくれたものだ。その声が、今もまた聞こえたような気がした。
「こっちこっちー」
ウェルメののんびりとしたような声が、ちょうど頭上から聞こえる。夜のわずかな灯りを遮る影が久悠たちを包み、その巨大な影の主が、この大きな音を発しているのだとわかった。
影の向こうからウェルメが顔を覗かせる。
「がんばって、ジャンプ!」
ジャンプ? いやそもそもこいつは……!
「バハムート……」
レクトアのシェルターで保護されていた大型竜だ。監査の日、久悠は彼女の過酷な産卵に立ち会った。その竜とウェルメがどうして一緒に、どうしてこんなところに。さらにその竜王は、二階建ての民家と同程度の高さを飛んでいる。そんなところにまで、どうやってジャンプすればいいんだ。
すると、リュウとアオがタイミングを合わせて瞬間的に久悠の身体を引っ張った。二匹もバハムートと同じ高さにまで昇りたいようだ。これならいけるかもしれない。久悠も二匹にタイミングを合わせ、力の限りジャンプした。身体がふわりと浮いて、それはまるで月面での大跳躍のようだった。久悠は道路に沿った塀の上に着地し、そこから一軒家の二階の屋根に乗り移る。そして「いくぞ」と声をかけ、屋根の上から黒い大きな翼竜の背へと飛び移った。
「わぁ、すごい!」迎えてくれたウェルメが手を合わせてにこにこ笑う。「本当にジャンプしちゃったね」
「ウェルメさん」ハァハァと荒げた息を整えながら、久悠はきょとんとしていた。
「久しぶり、久悠ちゃん。間に合ってよかったわ」
「お久しぶりです」
「警察に追いかけられていたの?」
「はい。いろいろあって……」
「そうだったの。大変だったわね。大変といえば、こっちもいろいろあったのよ。ねぇ? レクトアちゃん」
レクトア……! 久悠は振り向いたが、しかし、そこにはだれもいなかった。
「あ、ごめんなさい。レクトアちゃんはこの向こうなの」ウェルメは発光している自身の紋白端末を指す。「でももうすぐ会えるわよ」
会える。
レクトアに会える……
なにがどうなっているのか久悠にはわからなかった。
「久悠!」眼下の住宅街から声がした。ラツェッドの声だ。「どこに行っても逃げ切れないぞ! この世界に、お前たちの生きる場所はない!」
そんなことわかってる。けれど、行けるところまで行くしかないんだ。
なぁ。リュウ。アオ。
久悠は黒と青の竜の頭をそれぞれ撫でてやった。ありがとな。疲れたよな。
バハムートが羽ばたき、身体に強いGがかかり、巨体がさらに上空へと昇る。鱗に掴まって風を感じる。夜の暗いキャンバスに住宅街の灯りが星空のようにまき散らされている。振り返ると、遠くにシンジュクやヨコハマのビル群が銀河の中心地のように煌々と光り輝いている。
「ウェルメさん。この竜の飛翔許可は」
「もちろん取ってないわよ」にこにことしたいつもの口調のウェルメさん。返答内容は不穏だが、彼女の言葉は聞いていてどこかホッとする。「だって私たち、これから遠くに逃げるんですもの」
「遠く?」
「そう。私と、シェアリアっていう私のクローンちゃんと、レクトアちゃんと」
詳しくは彼女たちに合流してからにしようと、バハムートは銀河の光を背にして羽ばたき続けた。一方、どうしておれの居場所がわかったのかと久悠はウェルメに聞いてみた。すると、白い瞳の男から連絡を受けたのだという。
「ACMSに所属しながら竜のことをなにもわかっていない人がリュウとアオを飼っているって。自分は警察に連行されると思うが、貴重な竜なのでできれば一緒に連れて行って欲しいって。ついでにその子たちの元の飼い主と思われる人もいるって聞いて、すぐにピンときた。久悠ちゃんだなって。あの人、久悠ちゃんのこと褒めていたわよ。悪い人じゃないの」
「いや。おれは殺されかけましたけど」
「あの人からもう話は聞いたかしら。私とクローンちゃん、あの人と契約をして竜の遺伝子研究に取り組んでいたの。成果はすべてあの人の手柄ってことでね。まぁ別にそれはよかったんだけど、クローンちゃんの自由が侵害されている状況だったから、一定の研究成果があがったところで私とクローンちゃんでそれを持って逃げ出しちゃったわけ。だからあの人、すごく焦っていたんだと思う。迷惑かけちゃったみたいでごめんね」
そう謝られると、許さないなんて言えっこない。「大丈夫です」と軽く頷いて、また久悠は風を感じた。バハムートは徐々に高度を下げ、住宅街から少し離れた森の中に着地した。ゴルフ場のようだった。竜の背から降り、顔を近づけてきたバハムートの頭を久悠は撫でてやる。リュウとアオは久悠に纏わりつき、いい子だった。
「さて。予定よりも人数が一人と二匹増えちゃいそうだけど、どうしようかしらね」
ウェルメがニコニコした口調で言う。それはだれかに話しかけているかのようだった。
「本人たち次第……でいいと思うな」
そう返答した声を聞いて、久悠は胸に溢れるものを感じた。久々に聞くレクトアの声。
「久しぶり、久悠くん」
「……あぁ」
声が聞こえると、纏わりついていたリュウとアオがレクトアの方めがけて飛んでいった。彼らが向かったその先に、薄明かりの中、かつて同じような薄暗闇の中で抱き合った女性の姿があった。
「リュウとアオを取り戻してくれたの? ありがとう」二匹の竜を抱きながら、レクトアは言った。「この子たちとは、できれば一緒に行きたいと思ってた。そして本当なら、私は久悠くんにも一緒についてきてほしい。もしあの時と考えが変わっていたら……だけど」
「話が見えない」と久悠は答えた。「一緒に行くって、どこへ。あの時の考えってのは、竜の野生化や〈メチルロック〉解除に関する話か」
それはさながらレクトアと仲違いし喧嘩別れとなったような、シェルターでの会話だった。〈メチルロック〉解除は人間の管理からの解放であり、それが竜のためにならないわけがないと彼女は主張していた。久悠は、それを断じていた。〈メチルロック〉解除によって竜の流通が加速すれば竜の野生化も加速する。野生化した竜は駆除される。竜は人間の管理からは逃れられないと伝えていた。
「それについて、今の久悠くんはどう考えている?」レクトアが真っ直ぐ久悠を見据えて聞いた。「その返答によって、この状況を説明できるかどうかも変わってくる」
リュウとアオが久悠の元に帰ってきた。まるで慎重に返答を考えてとでも言うかのように、彼らは久悠の腕の中に入って顔を見上げてくる。二匹の首輪は、もう捨ててきた。
「賛成だ」
久悠が答えると、暗闇の中でもレクトアがパッと明るくなったような、ホッと安堵したような様子が感じ取れた。ただ、それでも久悠には懸念があった。
「だが賛同まではできない」と、久悠は続けた。「もうこの世界に竜が生きる余白は存在していない。〈メチルロック〉解除と野生化が竜に必要だというところまでは賛成するが、だからといっておれたちにできることはなにもない」
「でも、賛成してくれただけでもよかった。ね、ウェルメさん」
「そうね」
「ねー、そろそろ時間だよ。間に合わなくなるよー」
聞き慣れない声の主は、ウェルメのクローンであるシェアリアという女の子のものだった。彼女はバハムートの首に抱き着いて、大人たちの会話を聞いていた。
レクトアが言った。「じゃあ、久悠くんも行こうか」
そして彼女は、手を伸ばす。
「行くって、どこへ」
すると彼女は星空を眺めながら、短い言葉で、こういった。
「竜の生きる余白がある世界。……竜の世界」
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