第27話

 対する久悠は緊張した表情だった。ACMSが来るならリュウとアオを連れて早くこのシェルターを離れた方がいい。しかしレクトアから語られた内容は今後の竜にとって――いや、人工生物にとってその運命を変えてしまいかねない非常に重要なものだ。

「もっと早くに、久悠くんにこのことを伝えたらよかったと今では思うよ。監査では久悠くんがリュウとアオを隠そうとうまく対応してくれたけど、この研究のことは知らなかった。だからその諸費用についてACMSに提出した内容と辻褄の合わない齟齬が生じてしまって、彼らはそれに気付いた。完全に裏目に出ちゃったね」

「裏目? 本当にそう思うのか。なんでこんなことをしているんだ」

「なんでって。久悠くんならわかってくれるでしょ?」

「わからない。たとえ限定的とはいえ竜の〈メチルロック〉解除は竜のためにならない。おれに隠していたのは裏目なんかじゃなく正解だったかもな。この話を先に聞いていたら、おれはあんたには頼らなかった。あんたのその研究は間違ってる」

「そんなことない!」珍しくレクトアが声を荒げた。「〈メチルロック〉解除は人間の管理からの解放。それが竜のためにならないわけがない」

「ならないさ」と、対する久悠は冷静な口調を心掛けた。「〈メチルロック〉がなくなれば人間は竜を好き勝手に繁殖させる。ゲノム編集による品種改良も加速するだろう。竜は市場に溢れ、飼い主に恵まれなければ死か野生化の道しかない」

「そうかもしれない! でも野生化のなにがいけないの!」

「なにが……?」

 レクトアの思わぬ返しに久悠は戸惑った。そんなの決まっている。

 野生化した竜は――

「野生化した竜は駆除される。奴らの存在はそれだけで既存の自然システムを破壊するからな。人間社会の中で居場所を得られなかった奴らの運命は、結局のところ死しかないんだ」

 そう言ったのは久悠ではなかった。しかし久悠が言おうとしていたセリフそのままだ。汚い声質、わかりたくなくてもわかってしまう声の主。

「タールスタング」

 久悠が振り向くと、事務所の入り口に髭面の大男の姿があった。

「ハロウ、久悠」

「……どうしてお前がここにいる」

「ちょっとした勘だよ」とタールスタングはニヤリと笑った。「以前、お前が暮らす酒場に足を運んだことがあったな。覚えているか。負け犬のお前にとって、過去なんてもんは忘れたいものかもしれないがよく思い出すといい。その時にどこかの姉ちゃんに絡まれたんだが、よく見たらその女、ACMSのお嬢様だったじゃねぇかよ。びっくりしたぜ。こんな運命的な出会いがあるだなんてな。だからおれはふと思ったのさ。もしかしたらこれから実施されるACMSの強制立ち入り調査の情報が流れてるんじゃねぇかってな。そんでわざわざ少し早めに足を運んでやったってわけさ。そしたらどうだ、お前の慌てっぷりを見るにどうやらおれの勘は大当たりだったようだな」

「調子に乗ってるところ悪いが――」と久悠はタールスタングに歩み寄った。「お前はなにをACMS気取りでいるんだ。お前はただの猟師だ。賞金稼ぎだ。お前に何ら権限はない」

「ああ。だがACMSのアドバイザーだ」

「アドバイザーになにができる」

「事態の通告さ。あの姉ちゃんの通信もすでにACMSの監視下にあり、そこでの情報はおれにも共有されている」

「なにをする気だ」

 久悠はタールスタングの胸倉を掴んだが、一方のタールスタングは依然として余裕の笑みを見せていた。

「それはおれの質問だ、久悠。お前たちはこれから一体なにをする気だ。リュウとアオってのはなんのことだ。後ろの孵卵器にある卵――さっきまでの話を聞くに、まさか〈Dコード〉なしで〈メチルロック〉を解除することに成功しているのか?」

 クソ――と久悠は毒づいた。状況はかなり悪い。マイナとのやり取りはタールスタングが言うように監視され、話した内容は筒抜けだった。だとすると通信の不可解な断絶の理由も想像つく。マイナは無事だろうか。リュウとアオのことを喋ってしまっただろうか。もし仮にそうだったとしてもマイナは責められない。彼女を巻き込んだのはおれだ。様々な感情に飲まれ、久悠は少しだけ頭がくらくらした。

「久悠くん」と、レクトアが久悠の正気を呼び戻す。「私と君の話はまた今度。ここは任せて。久悠くんは、やるべきことを、できる範囲で」

「まぁ待て。おれは二人から話を聞きたいんだ」

 タールスタングが久悠の腕を掴もうとしたが、それをレクトアが軽く払った。

「ここの責任者は私。久悠くんは竜の世話で忙しいの。邪魔しないで」

「邪魔なんてもちろんするつもりはないさ」とタールスタングは無防備であると言うように両手を上げる。「シェルター業務は常に多忙と聞いている。竜の命を守る最終ライン。それがここだ。その業務を担う職員の手を止めるわけにはいかねぇ。久悠はさっさと通常業務に戻るべきだ。もしそれ以外のなにかをしようってんなら……、もう諦めるんだ。なにをしても手遅れさ」

「黙れ」

 久悠はそう言葉を残し、事務所を飛び出した。

「全く。おれが一人で来てると思ってるのかよ」

 タールスタングのその声は、久悠には聞こえていなかった。


「今は時間が。とにかく久悠さんはリュウくんたちを――」

 ACMS管理一課が入る建物の隅にある給湯室で、そこにうずくまるマイナがそう言いかけた時だった。後ろから影に覆われ、振り返るとラツェッドと複数の管理一課職員が立っていた。

「あっ……」ラツェッド補佐。今日もお疲れ様です。

 いつものようにそう挨拶しようとしたが、声がうまく出せなかった。

 ラツェッドはマイナの正面に立ち、自身の右手の甲に刻まれた紋白端末の光を彼女の網膜の中に投射すると、そこにあった音声再生ボタンをタップした。

『久悠さん。よかった、繋がって。急いでリュウくんとアオくんを連れてシェルターから逃げてください。告知なしの強制立ち入り調査が実施されます。……少し違います。というかそのシェルター、あとレクトアさん、信用できる人ですか? 大丈夫ですか? ……今は時間が。とにかく久悠さんはリュウくんたちを――あっ』

 ラツェッドが右手を下ろす。同時に、マイナはその場にへたり込んでしまった。

「タールスタングさんに連絡を入れろ」ラツェッドが横の職員に命令を出した。「リュウとアオって奴を連れて奴らは逃げるらしい。それがなにかはわからないが、とにかく阻止させるんだ」

 そしてマイナの目線に合わせてしゃがみ込んだ。

「マイナ。今、どういうことになっているか理解できているか?」

 首を横に振りかけたマイナだったが、いつもとは別人のようなラツェッドの様子に涙が溢れ、何度かに分けて頷いた。

「ならいいんだ。お前があのシェルターの内通者だってことはすでにわかっている。だが、それにしてはお粗末な使途不明金が露呈した。ほとんどの場合、それは竜の限度頭数を超過して飼育している証拠でもある。とはいえ竜の限度頭数を超過した飼育なんて大した問題ではない。そんなシェルターは無数にある。あのシェルターの問題は、それを隠そうとしたことだ。素直に飼育頭数を申告しておけば、我々も面倒くさい立ち入り調査なんて行わなくて済む。その場で、どの種の竜を何匹飼っていて、今後どのように頭数を削減していくか我々と共に計画を立てれば、その問題はあっという間に解決する。そんなことはシェルター側もわかっているはずだ。それなのに奴らは隠したんだ。……なんで隠した。そしてお前はどうして奴らを守る。リュウとアオとは一体なんだ。答えろ、マイナ。今ならまだ処分は軽い」

 うううと泣きながらマイナは考えていた。

 私が話してしまっていいのだろうか。リュウくんとアオくんのことを。久悠さんと楽しそうに遊ぶあの小さな竜たちのことを、私はこの男に話さなければいけないのだろうか。

「久悠さんたちは……、竜を守ろうと必死です」

「そうだろうな。シェルターにいる奴らはみんなそうだ。悪意を持ってルールを犯しているわけじゃないことは理解している。しかし限度頭数を超えていてはその想いも叶えられない。ルールの設定には理由がある。それは竜と人間のためのルールだ」

「それはわかってますが……」

「答えろマイナ。おれにお前を処分させるな」

 不意に優しい口調になったラツェッドだったが、マイナは彼がセレストウィングドラゴンに固執する様をずっと見てきていた。自分がその竜の幼体が存在していることを離せば、この男はなんとしてもその二匹を手に入れようとするだろう。ラツェッドからリュウとアオを守るルールはない。だったら、無駄な抵抗であったとしても私が守らなきゃいけない。

「答え……られません」

 ラツェッドは沈黙する。

「現地で確認してください。確認できればですが」

「……そうか。わかった」

 ラツェッドが立ち上がり、背を向けて歩きはじめる。

「隠しごと次第では懲戒免職ものだぞ。少なくとも、今後はもう管理一課には居られない。残念だ」

 マイナは彼の周りにいた職員に促されて立ち上がり、その背に続くよう指示された。

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