第28話

 猟銃やリュックなど、すぐ手に取れる荷物を肩に下げ、久悠は小型竜たちが走り回って遊ぶシェルターの庭でリュウとアオを捕まえた。

「急に悪いが、今から引っ越しだ。少しだけ我慢してくれ」

 久悠はそう語りかけ、二匹に首輪を巻きつけようとした。しかし久しく束縛されたことのない二匹にとって首に回されるそれは鬱陶しいものでしかなく、身体をよじってその装着を嫌がった。

「時間がないんだよ! 言うことを聞け!」

 久悠が力を込めると、逆にリュウとアオはそれぞれ久悠の腕を振りほどいて逃げ出してしまった。二匹が走る先で、仁王立ちしたタールスタングが大きく目を見開いていた。

「こいつは驚いた……」

 二匹はタールスタングの存在に驚いてまた別の方向へと走っていく。それを久悠は追いかけて、リュウとアオをようやく再び抱き上げた。

「セレストウィングドラゴンの幼体か。生後数ヶ月ってところだな。これは一体どういうことだ」

「お前に教える義理なんてないね」

「そうか。まぁ別にいいさ。おれは細かいことは気にしない男だ。セレストウィングドラゴンなんかにも興味はねぇ」

 だったら見逃してくれないか。タールスタングにお願いをするなんて屈辱でしかなかったが、背に腹は代えられない。その言葉が久悠の喉元にまで来た時、「だが、しかし」とタールスタングが言った。

「今この状況をおれの雇い主に伝えたら、ひっくり返ったような声を出してがなり立ててきたよ。その二匹のセレストウィングドラゴンは絶対に逃がすなと言っている。しかも、信じられるか? あのラツェッドという男、命令口調だ。このおれに対してな。これは高くつくぜ。なにせおれは奴の部下でもなんでもねぇ――スペシャリストとしてのアドバイザーだ。……まぁそれはいい」

 手の甲を見せ、白く光る紋白端末をとんとんと指し示す。

「つまりこういうことだ。キリガミネ高原牧場ドラゴンシェルターは竜の頭数上限超過違反及び虚偽申告等により、追って行政処分が下される。同時に保護申告のなかったセレストウィングドラゴンと思われる中型竜の幼体二匹については、限度頭数超過シェルターにおいて必要な飼育環境を整えられない理由から、ACMSによってその身柄を保護し安全確保を実施することが適当と思料される」

 おそらく網膜内に投影された通知文を読み上げているのだろう。教養のないタールスタングがそれらの言葉の意味を理解して話しているとは思えない。しかしそれは彼の話が本当であるという証でもあった。

「久悠」とタールスタングは言った。「おれたち竜撃ちの仕事は単純だ。捨てられた竜を撃って、賞金を得る。それだけだ。それだけの人生だったはずだ。なにか面倒ごとに巻き込まれてる様子だが、お前らしくねぇって感じるぜ。さっさとこっちに戻ってこい」

 タールスタングにしては穏やかな口調だった。久悠を説得しようとしているかのような優しさを垣間見せ、久悠に手を差し出す。しかし、久悠は言った。

「この竜は渡せない。特に黒い方の飼い主はおれだ」

「その申請はしてあるのか。してねぇだろう。だとしたらその二匹の竜は野生竜とみなすこともできる。ACMSの機嫌しだいだがな」

「野生竜の認定はされないさ。この二匹はお前が思っている以上にこの世界にとって貴重な存在だ。竜と人間の未来、その両方を担ってる」

「よくわからねぇが、だとしたら、お前がそうやって抱えていられるのも時間の問題だな」

 妙に腹の立つ言動だったが、タールスタングの目的は時間稼ぎだろう。おしゃべりをしながらACMSの到着を待とうって魂胆が見え透いている。

「だからってACMSに任せようって気にはなれないね」

 久悠はタールスタングを避けて走り出した。森の中に入り斜面を抜ければ、シェルターの車がある。それに二匹を乗せてこの場から逃げるんだ。どこへ向かえばいいかなんてわからないが、とにかく今はここから離れないとダメだ。このままではリュウとアオはACMSに捕まってしまう。セレストウィングドラゴンの卵が孵化した事実が世界に知れ渡れば、その原因を探りたい欲求に駆られた科学者たちがリュウとアオのあちこちから細胞を採取し、運が悪ければ二匹の命は軽んじられることになる。運が良くても無数の飼い主の元を転々とする、人間の富と名誉を証明するためだけの物として生きることになるだろう。しかし、木々の枝をかき分け斜面を下る久悠は、ふと思った。中型以上の竜はだいたいがその後者の目的で作り出されているから、その運命に抗うことなど無意味ではないだろうか。頭を振って、その考えをかき消した。

 しばらく森の中を移動すると、遠くにシェルターの車が見えてきた。鍵がついていることを願うが、しかし、そこに人影がある。彼らはスーツ姿で、首に名札を下げている。シェルターの職員ではない。ACMSはまだ到着していないはずだが、タールスタングは仲間を連れてきていたのだ。しばらく身を潜めていればどこかへ行ってくれるだろうか。あるいは強行突破はできないだろうか。本能的に久悠は自身の背にある猟銃を意識した。

 いや。それだけはだめだ。

 久悠はリュウとアオを下ろし、シーと口に人差し指を当てながら、それぞれの頭を撫でてやった。事態を理解しているのか二匹は大人しく身体を丸め、その場にうずくまった。……いい子だ。けれど久悠が首輪を二つ取り出すと、二匹は警戒した様子で顔を上げた。

 いざという時に逃げられてしまっても困る。頼むからつけさせてくれ。

 しかし二匹は首を振って首輪を嫌がり、焦る久悠の手つきが荒くなると、その手を振り払って逃げ出してしまった。

「待て! ……こんな時に逃げるな!」

 二匹は森の斜面を駆け上り、久悠はそれを追いかける。まだ幼体の二匹は簡単に久悠に捕まったが、久悠がまた首輪をつけようとすると信じられない力で久悠の腕をほどき、また逃げ出した。

「そっちに行くな!」

 二匹が逃げた先は森の出口だった。その先はシェルターの開けた庭になる。二匹がそこに飛び出したとほぼ同時に、上空に浮遊自動車が止まった。ハチソン機関の一部となるテスラコイルが可視電光を青白く光らせ、ゆっくりと庭に着陸する。扉が開くと、中から金髪巻き毛の細身の男が現れた。監査の時にも見た顔――ラツェッドだ。その後ろからマイナも姿を見せた。泣きはらしたかのような赤い目で、俯いている。

「リュウ! アオ!」

 久悠の声で、二匹が足をとめて振り向いた。ラツェッドとマイナも、森の中の久悠の存在と、その手前にいる二匹のセレストウィングドラゴンの幼体に気付いた。

「おおおお……。本当に実在していたのか」ラツェッドが興奮気味に手を震わせた。「セレストウィングドラゴンの幼体だ! 素晴らしい!」

 久悠は構わずに続けた。

「こっちに戻ってこい。じゃないとおれは。……おれは、お前たちを守れない」

 リュウとアオはラツェッドへの怯えもあり、半ば踵を返しかけた。しかし依然として久悠が手に持つ首輪を見ると、一気にマイナの元へと走り寄った。

「セレストウィングドラゴン! 片方は鱗が黒いが、それでも間違いない!」

 マイナが抱きしめた二匹の頭を強引に掴み、その瞳を確認するラツェッド。二匹は警戒する声を発するが、彼がそれに気を留めている様子はなかった。

「この二匹の竜は我々が保護する。さっさと連れて帰るぞ! マイナ! それにあの久悠という男に――」

 ラツェッドが言いかけ視線を流したところで、「ひあ!」と叫び声を上げて尻もちをついた。なんて無様な挙動だとマイナは思ったが、久悠を見ると、彼の反応もなるほど納得だった。しかし、その久悠の行動は納得からは程遠い。

「久悠さん……」

なんてことを。

 それは決して言い逃れのできない、取り返しのつかない、シェルターの限度頭数超過や虚偽申告などとは重さの違う犯罪行為だった。久悠も自分自身、なにをしているのか途中まで気付かなかった。ボルトアクション式、フィンベア338口径マグナム。全長一一四〇ミリの銃身に装着されたスコープの照準線レティクルの交差がラツェッドのこめかみを指し示し、彼がこちらを向いて尻もちをついたところで、ようやく自分がなにをしているのかに気付いた。

 久悠は猟銃を構え、それをラツェッドへと向けていた。

 銃を人に向けていた。

「あ……」

 久悠は正気に戻り、腕から力が抜け、銃が地面に落ちる。その様子を何人ものシェルターやACMSの職員が目撃していた。

「バカ野郎が」

 タールスタングの小さな呟きが響く。森も人も竜たちも、この世界の異質な存在を感じて音をなくしていた。

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