第五章 思惑
第24話
監査を終え、久悠はホッと一息ついていた。事前にマイナから竜のスペシャリストと名乗る人物が帯同することを知らされていたから、入念にリュウとアオの痕跡を消すことができていた。しかしそれがまさかタールスタングだとは思わなかったので、久悠としては思わぬところで不愉快になった形だ。とはいえ、それも終わってみればどうでもいい出来事でしかなかった。そもそもタールスタングという男自体がどうでもいい存在だ。奴がなにかしたところで無意味であるということははじめからわかっていた。それよりもバハムートの産卵が監査と重なったことで、もはやシェルター職員は監査どころではなかった。久悠はレクトアが入れた紅茶を飲みながらもう一度大きく息をついた。不測の事態があったとはいえ、奴らはアオとリュウの存在を知ることはできなかった。監査はおれたちの勝ちだ。ざまあみろタールスタング。事務所の窓の外はすでに陽が落ち、室内の白い人工的な明かりが煌々と外の木々に光を零している。
「それにしても、今回は厳しい監査だったな」と、レクトアは久悠と同じ紅茶を飲みながら言った。「いつもは書面上のチェックを少しだけして、シェルターの敷地内をザッと歩き回って、それで終わりって感じだったのに」
「心当たりはあるのか?」久悠が聞く。
「……あるね。シェルターは竜にとって人間社会が作り出した最後の居場所だから。だから、もし私たちが竜の保護を受け入れなければ、その竜は処分される決まりになっている。それが嫌だと捨てる人が多いのは久悠くんも知ってのとおりだけど、私たちだって飼い主が抱えてやってきた竜の受け入れを断って見捨てるなんてできない。たとえ頭数が超過しても受け入れたい気持ちはあるし、たぶん、そういう思いを持っているのは私だけじゃない」
「竜の遺棄は増加している」
「うん。その背景にあるのは、ペット竜の過剰供給と、竜を飼えない人が増えているということ」
竜を捨てるのは、なにも飼い主だけではない。竜を市場に供給しているブリーダーもその片棒を担いでいる。
「竜の居場所は、どんどんなくなっている」
「元々、竜に居場所なんてないんだ」と久悠は同意した。「それでも竜がこの世界に存在できるのは、人間の責任感……。その上に成り立っているに過ぎない」
「その責任を今の人間は
「生みの親なんかにならなければよかったな。向いてないんだ。人間は」
「私たちは違う」
もちろん、と久悠は頷いた。シェルターを運営し竜を保護している彼女たちは、決してその責任を放棄していない。
「私たちは竜が自由に暮らせる場所が必要だと考えている。竜の居場所が必要だと考えている」
「あぁ。このシェルターの中でならそれは実現できてる。すばらしいことだ」
「そうじゃない。私たちが望むのは〝このシェルターの中でなら〟という条件を取り除くこと」
「それができれば理想だろうが、人間社会はそういう風にはできていない」
「そういう社会を私たちが作る。作らなきゃいけない」
「気持ちはわかるが、この世界では無理だ」
「そんなことわかってる! だから――」と言いかけて、レクトアは自分が興奮していることに気付いた。「ううん。ごめん。なんでもない」
紅茶をゆっくり飲んでから、大きな一息をつく。その吐息にはまだ紅茶の熱が残っていた。
「久悠くんは、これからどうするの。この世界に竜の居場所はない。リュウやアオの居場所はこのシェルターしかない。でも、いつまでもここで世話することはできないよ。中型竜二匹をいつまでも隠しておけるほどの力が私たちにはない」
「……わかってる」
つまり、いつの日かリュウとアオの存在を世間に公表し飼い主を募るか、それができなければ、人間社会の中で行き場のない竜は処分される運命がやってくるということだ。彼らのことを思うならば前者しか選ぶ道はなく、飼い主として名乗り出る人物の人間性に期待するほかない。
「ね。監査も終わったことだし、ちょっと気分転換しない?」
「気分転換?」
リュウとアオの未来に憂いを抱く久悠を前に、レクトアは明るい表情でにこにこと笑った。その詳細については語られぬまま翌朝を迎え、久悠がレクトアの言う通りシェルターの事務所で待機していると、いつもの作業着ではなく私服に着替え妙に女性らしい姿の彼女が現れた。曰く、久悠とレクトアは今日から一週間の長期出張なのだそうだ。
「なんでおれなんだ」
そう怪訝そうに返した久悠だったが、言うまでもなく彼女と出かけることになに一つ不満はなかった。リュウとアオをシェルター職員に任せ、レクトアはバイクに跨り、久悠は彼女を抱くようにしてその後ろに座った。水素エンジンが起動して、古い振動と音を立てながら高原の道路の風を切る。彼女のバイクは超速道路に乗り、自動運転の半浮遊自動車が周りを走る中、太平洋横断路へと入った。
空と海が延々と続く直線道路。時々、半浮遊動力となるハチソン機関の青白い光を放つ無数の車たちの群れに追いついて、それを抜けるとまた孤独な行路となる。太陽が真上にまで伸び、途中に休憩を挟みながら、雲行きが怪しいエリアや、超速道路の遥か眼下で青黒く荒れ狂う海、遠くの細い竜巻を眺め、二人は東へ東へと移動した。陽が暮れると、超速道路併設のモーテルに泊まった。レクトアはお金がもったいないので久悠と同じ部屋で構わないと言ったが、久悠はそれを断り、一人ベッドに横になった時にそのことを酷く後悔した。翌日も二人は太陽が照り付ける中、太平洋に走る一本の直線道路をひたすら東へと移動していた。水平線の果てにようやくなにか見えてきて、それがアメリカ大陸ではないかと久悠は思ったが、その正体はハワイ諸島だった。この日はオアフ島のイーストサイドに宿を取り、まだ陽も高かったことから、二人は近くのマカイリサーチ
「そろそろどこに向かっているか教えてくれてもバチは当たらないんじゃないか」
「もうすぐ着くから、その時までのお楽しみってことで」
「もう充分楽しんでるよ」
「それはよかった」
「もっと東に行くなんて言わないよな?」
「さぁ? 実は寝言でその答えを言っちゃいそうなんだけど、どこかのだれかさんがまた二部屋予約しちゃったしね」
レクトアがそう言ったところで料理を運んできた従業員が「彼、きっと不能なのよ。お気の毒に」と切なげな表情で言い、去っていく。
「……そうなの?」
「違う」
真剣に聞くレクトアと真剣に答える久悠。そして二人は同時に吹き出して笑い合った。
結局、この日も二人は同じ部屋で休むことなく朝を迎え、レクトアがバイクを準備し、久悠は自分の悪い予感が的中したのだと知った。レクトアの腰に腕を回し、潮風と共に彼女の髪の毛と形容できない心地いい彼女の匂いを感じつつも、表情を変えない退屈な時間が同じ景色と共に過ぎていく。今日もまたどこかで一泊だろうか。久悠がそう思いはじめた正午過ぎのことだった。
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