第23話
大きな体つきに小汚い風貌。森の中の風景と相まって、さながら未確認の類人猿が人間の前に姿を現したかのようだった。その男が真っ先に久悠の名を呼んだので、シェルター職員はだれもが引きつった顔で久悠に視線を向けた。
「竜撃ちのお前がまさかこんなところにいるなんてな。どうした。ついに廃業して竜の奴隷にでもなったのか」
とはいえ泥まみれか糞まみれの違いだなと、タールスタングは不敵な笑みを浮かべる。
「その言葉はシェルター職員も侮辱してる。取り消せよ」
深く帽子を被った久悠は、そのつばの影から大男を睨みつけた。
「おぉっと、それは悪かったな。もちろん竜のために生きるシェルター職員あっての今の竜ある社会が成り立っていることはわかってる。おれはそれに敬意を払う。ただし、そこの久悠って男は負け犬なんだ。趣味は森の中をあてもなく彷徨うことらしい。時々、泥か糞かわからないが汚れて帰ってくることがあるだろうが多めに見てやってくれ」
久悠が毛を逆立てて怒りを表出しようとした瞬間、水のベールを纏ったかのようなレクトアがそれにそっと手を添えて沈めた。ごほん、とラツェッドが咳ばらいをする。
「知り合いがいましたか。まぁ、だからといって忖度が発生する状況でもなさそうだ。彼はタールスタング。竜猟師です。長年、単独猟で生計を立てている竜のスペシャリスト。彼にはここ数回シェルター監査に帯同してもらっていますが、シェルターが隠そうとしていた竜の頭数超過を何度も見破っています。彼無しでは気付けない痕跡を発見することによって、我々もようやく実のある監査を実施することができています」
「竜が生きている以上、必ずそこに生きた証がある。この考えはおれの信念だ。竜はペットフード以外は喰わないが、中には葉や枝を噛み千切って遊ぶ奴もいる。遊んでる最中、人の目を盗んでどこか物陰で糞尿をする奴もいる。そういう痕跡を探し出すことで、長年おれは森や山に隠れる竜を見つけ、斃してきた。おれの目は誤魔化せない。もしお前らが竜を思うあまり制限頭数を超過して保護しているなら早めに申告することだ。だれもおれから竜を隠せない」
レクトアが無反応ながら動揺している様子が久悠には伝わってきた。
「大丈夫だ」と、冷静さを取り戻した久悠が彼女に囁く。「痕跡は消してある。奴が気付いておれが気付かない竜の痕跡なんてない。奴はハイエナだ。リュウとアオの心配はしなくていい」
「……信じるしかないから」とレクトアは頷いた。
「では、監査をはじめたいと思います」ラツェッドが高らかに言う。「タールスタング氏が話した通り、もし竜を思うが故の違反があれば早めに相談してください。我々は懲罰を与える目的で監査をするわけではありません。すべては竜の健やかな生育のため。竜の適切な飼育環境のため、共に力になりたいと思っているのです。ご協力をお願いします」
そうしてACMSとシェルターの職員は、各々の業務に取り掛かるため散らばりはじめた。タールスタングはいつもの笑みで久悠に歩み寄り久悠もそれに向かっていこうとしたが、レクトアが久悠の手を掴んで首を振った。
「監査、忙しくなるから。あんな奴の相手なんかしてないで手伝って」
そう言う彼女に連れられて、久悠はタールスタングに背を向ける。その姿を竜撃ちの大男は腕組みを見送っていた。
「なにかあるな」とラツェッドが隣に立ちシェルター職員たちの様子を眺めながら言う。「シェルター職員たちの動揺が普通じゃなかった。もっとも、この手の牧場型シェルターは頭数超過が常態化している。その痕跡を見つけ出し突き止めるのが君の役目だ、タールスタング」
「わかってるさ。そのためにおれに声をかけたアンタたちの判断は正しかった」
「あの職員は知り合いか?」
「どうでもいい男だよ。同業者ではあるがな……しばらく猟で行き会わないと思っていたが、こんなところに引きこもっていやがった」
「引退したのか?」
「奴がそんな選択をするはずない。なにか事情があってここに身を寄せているんだろう」
「それはなんだ」
「わからない」
だがそれも探ってみるさと、タールスタングは片手を上げてシェルターのどこかへと消えていった。
「マイナ。我々も取り掛かるぞ」
「あ。はい」
妙に緊張した声を出して、マイナはラツェッドの後を追った。まずいまずいと思っていた。そう思っているうちに今日を迎えてしまっていた。もしかしたらリュウくんの存在が我々ACMSにバレてしまうかもしれない。これまでの監査方法なら、シェルター側は竜の頭数なんていくらでも誤魔化せていただろう。けれどあの男――タールスタングの勘は冴えている。奴がなにかを直感した監査は、奴自身がその何らかの根拠を見つけ出して暴き出す。ACMS職員だけでは、たとえばシェルターが保護している竜すべてのペットフード消費量など見当もつかないが、タールスタングはその消費量とシェルター側の竜の保護頭数を比較して妥当性がないか入念にチェックする。もちろんそれは監査の中にも組み込まれている作業だが、竜のことを知らない職員ではそこの数字の意味がわからずマニュアルに照らし合わせて指定数値の範囲内であるかどうかしかわからない。また、タールスタングはシェルター内の地面や植物にも気を配っている。一度、彼は足跡から頭数を割り出す神業を披露した。それに竜は植物の葉を噛み千切り、人間でいうガムのように口の中で噛み続ける癖のある個体もいるが、その食痕から竜の種類を言い当てることにも長けていた。つまりこの男は、シンプルに竜に詳しいのだ。見た目はガサツそうな男だが、彼のチェックはかなり神経質だった。
片や、シェルター側にはリュウとアオという二匹の中型竜の幼体がACMSに隠されて飼育されている。シェルターの飼育頭数上限はおおよそ二〇匹の中、現飼育頭数は一六匹。リュウとアオを加えても上限は超えないが、その二匹を隠していることがバレたらシェルターは処分を受ける。そのうえ、その二匹の竜がセレストウィングドラゴンだとラツェッドが知ったら、彼はその竜を強制的に引き取ろうとするだろう。マイナにはそのセレストウィングドラゴンにかける彼の思いが理解できない。しかしたとえラツェッドが興味を示さなくても世界中でセレストウィングドラゴンは求められている以上、リュウとアオの二匹の存在は明かせない。ACMSは監査の状況を公開し、このシェルターでセレストウィングドラゴンの幼体が保護されていることを隠さない。そうなればあの二匹を引き取りたいと希望する問い合わせがこのシェルターに殺到するだろう。シェルターは引き取り希望者を審査し、相手に特段の問題がなければ引き取りを拒否できない。しかしそれは確実にリュウとアオの不幸へと繋がっている。だとすると現状、私はシェルター側の味方――
でも、いつまで?
不意に脳裏に湧いた疑問に頭を振り、自分にできる協力はしようと、マイナはラツェッドの後に続いた。
監査は円滑に進められた。ラツェッドは事務所に居座り、実務としてなにをしていいのかわからなそうにしながらもそれをさりげなく隠す素振りでACMS職員の仕事内容を見守りながらウロウロしていた。タールスタングはその逆で、事務所にほとんど顔を見せる事なくシェルター敷地内を歩き回っていた。ことあるごとに地面にかがんで足跡を確認したり、木の葉を手に取って欠損箇所を眺めたりしていた。久悠は、ちょうどこのタイミングでバハムートが卵を産んだとのことで大型竜の飼育施設に入り浸りだった。どうやら大型竜の産卵は難産であるようで、シェルター職員の一部は監査どころではないといった騒ぎだった。でも、そんなに辛い思いをして卵を産んでも、結局それは孵化しないって可哀相――と、監査全体総括を任されたマイナは思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます