第7話

 ベースキャンプに戻り、薪を集めて火を起こす。朱色の炎が揺らめいて、一人用の小さなテントやバイクの輪郭を明滅させる。ベースキャンプといってもテントやツェルトを張っているわけではない。寒い季節でもないので、久悠はツェルトをバイクの横に敷き、その上に座っていた。圧縮したシュラフを枕替わりにして、眠くなったらそのまま横になればいい。周囲には〝サンズナワ〟を渡してある。露営ビバーグする時は念のために膝丈ほどの高さに縄を張り、周囲を取り囲む。そうするとどういうわけか、野生動物たちはその中に入ることをためらうようになるのだ。

 竜に繋がる決定的な成果はなかったが、それでも今日一日で得られた情報は多い。動物は、森の中ではできるだけ楽をして移動したいと考える。それは竜も同様だ。そのため周辺の地理を自分の身体で体感し、地図からは読み取れない歩きやすいルートを把握することで、竜の行動をある程度絞り込むことができる。この一日の探索で、久悠はそれを頭の中のマップに追記することができていた。歩きやすそうな緩やかな勾配。平坦な谷間。登りやすい崖。水が飲みやすい沢の位置や、竜でも食べることができそうな植物の群生地などなど。加えて無遠慮な同業者かだれかが森を踏み荒らしているから、その影響も考慮しつつ竜の行動の予測をつけていく。こういった探索と予測を繰り返していくことで、確実に竜に近づいていくことができるのだ。

 竜を見つけ出すために最も重要なことは、その命を連想することだ。竜はこの森で必死に生きようともがいている。捨てられた絶望、夜のとばりの恐怖。夜が明けてはじまる耐えがたい新たな一日に震えながらも、竜は健気に生きるために最善を尽くす。そしてその痕跡を見逃さないよう、久悠は細心の注意を払っていた。

 しかし――いや、だからこそ、久悠は考えていた。

 セレストウィングドラゴンは、本当にこの森にいるのだろうか。

 焚火に薪をくべ、ステンレス製のカップで熱々の紅茶を警戒しながら啜る。そして案の定、舌を少しだけ火傷した。

 まだ竜の痕跡を見つけることはできていない。けれど森に入って一日目ではよくあることだ。たった一日痕跡が見つからなかったからと言って竜がこの森にいないかもしれないと考えるのは早計だ。連日、なんの痕跡も見つけられず心が折れそうになることだってある。それでも懲りずに森に入り、きっとどこかに身を潜めているだろう竜の息吹を想像しながら、自分が追いかける命との距離を詰めていく。それは時に一週間。長い時は一ヶ月にわたることもある。とにかく地道にひたむきに探索を続けていくことが、竜への近道なのだ。

 ところがこの森は、どうも竜の命がと久悠は感じていた。

 というのは久悠自身にとっても不思議な感覚であり、なにか根拠があるものではなかった。ただ、とにかくこの森に竜はいないのだという漠然とした直感が久悠に訴えかけるのだ。そして多くの場合、久悠のその直感は当たっていた。森では、竜はすでに他の土地に移動していたり、他の同業者に討伐された後だったり、自然の中で息絶えていたりする。自分の直感を疑うことも疎かにはしないが、こうした時は並行して別の可能性も考えることにしていた。すなわち、竜がこの森にいないとしたらどこにいるのか。紅茶を飲み干してから、久悠はその場に横になった。地面に敷いたツェルトがガサリと音を立て、竜のことを考えているうちに、久悠はそのままそれにくるまって眠りについた。

 翌日も久悠は同じ森を探索していた。この日の森は少しだけ騒がしかった。久悠が森を歩いていると、その頭上を複数台の小型ドローンがヒュンヒュンと通り過ぎていった。側面にACMSのロゴが記載されていて、彼らも未だ竜を捜索中のようだ。ドローンにはおそらく竜を探知するための装置――十中八九、赤外線カメラが搭載されていると思われるが、竜を討伐する賞金稼ぎからすると、それはあまりに滑稽な探索方法だった。というのも、変温生物である竜が潜伏している場合、その体温は周辺の温度と一致していることが多い。まして竜は体中が厚い鱗に覆われており、それがさらに周辺環境に熱的に同化することで赤外線上での擬態効果を生み出している。決して検出が不可能というわけではないが、効率としては可視光による目視が最も彼らを見つけやすい。ACMSが泥臭い人海戦術を嫌がっているうちは、先を越されることはないだろう。

 タールスタングにも行き会った。それはこの狩りの中で最も不運な出来事だった。

「ハロウ、久悠」

 そうニヤリと笑って近寄ってくる大男は乱雑に森を歩き、自然は彼を警戒していた。ショットガンを背に背負っているが、それでは銃の具合を逐一把握することができず、いざという時に不発に終わる危険もある。しかしこの男は、そういった細かいことには気が回らないがさつな人間なのだ。

「お前がここにいるってことは、なるほど。この森に獲物はいないかもしれないな。間抜けなお前はよくなにもいない森を探検している。分不相応なライフル銃を首に下げてな。全く、どうしてお前の手元にそれがあるんだ」

この銃フィンベアがどうした。貸してほしいのか?」

「そいつがお前の所有物だってのが腑に落ちないのさ」

「欲しいのか? わからないな。どうしてこんなものが欲しい。ただの古臭いガラクタ銃だ。あちこちのフレームがイカレてる。欲しいですと物乞いされれば考えなくもない」

「お前に乞う真似なんてしないさ。だが、お前には不釣り合いの銃だ。その銃の価値はおれにしかわからない。伝説の剣みたいなものだ」

 大げさな、と久悠は笑い飛ばした。タールスタングは元々、大げさな男なのだ。

「銃はともあれ、獲物についてはおれも同感だ。おれの勘も竜はこの森にいないと言っている。確証はないけどな」

「ほう、それはいいことを聞いたぜ。だったらもう少しこの森を探索してみるとするかな」

 タールスタングは笑って久悠のバッグパックを叩き森の中へと消えていった。本当に気分が悪くなる男だ。

 次いで、久悠はまだ若いツキノワグマに遭遇した。クマは久悠と目が合うと、すぐに背を向けて走り去った。シカの親子が遠くの藪の中から久悠を見つめている場面もあった。久悠が特に気を払わずにいると、親子も構わず足元の草を食べていた。リスが木の幹を勢いよく登り、なにかの木の実を両手で転がしている。ACMSのドローンによってかき回された森の演奏会は、いつもとは違う興奮に包まれていた。それは異様な雰囲気であらゆる生物たちを多動気味にさせていたが、しかし、やはりその世界に竜はいなかった。竜が存在する余白すら、この森には残されていないようだった。

 この日、久悠は一つ小さな山を越えて、ベースキャンプとは別の廃村にたどり着いていた。これは事前に地図でキャンプ地として候補に挙げていた場所で、近くには沢もある。運よく魚がいるようなら、そこで食料を調達しながら数日粘ってみようと考えていた。腐葉土を踏みしめる足が、徐々に地面に人工的な硬さを捉えはじめる。緑の蔦で覆われた朽ちた木造住宅と瓦屋根が現れ、何軒か通り過ぎたところで久悠は足を止めた。

 ……いる。

 久悠はその場に身をかがめ、身体の前に下げていたライフル銃に手をかけた。視界はほとんどが木や藪や古い建物で閉ざされているが、森の中に比べたら空は開けている。かつてはアスファルトで舗装された道だったのだろうが、今は積年降り積もった落ち葉によって厚く覆い隠されている。古い建物の庭と思われる場所には、かつては立派なブドウ棚だったのだろうと思われるブドウの木が網目状に組まれた鉄パイプごと地面に倒れ、そのまま生い茂っていた。黄緑色で粒の小さいブドウが点々と実っているが、一部、不自然に実が全くなっていない部分があった。野生動物が食べた可能性もあるが、しかし、それにしてはこの廃村からは音がしない。シカのリズムを意識して歩き、死角となっている建物の向こう側を覗き見る。そして久悠は、ついに発見した。

 竜だ。

 廃墟化した民家の中に、爽やかな空のような青い鱗を纏う生き物がいる。羽を畳んで横になり、休んでいるようだ。朽ちた窓の隙間から辛うじてその姿が見えるだけなのでどれほどの大きさかはわからないが、その美しい鱗からして種はセレストウィングドラゴンで間違いないだろう。ACMSが公表している当該竜の推定生息エリアは外れていないことから、この竜は討伐対象のセレストウィングドラゴンであると断定することができる。

 それにしても珍しいことだった。捨てられた竜が人間の存在を思い起こすような場所で生きているなんて。

 久悠が覗く位置から見えるのは竜の背や羽だけで、まだその頭部や全貌は伺えない。たとえ小さな窓から顔が見えたとしても急所が隠れている場合もある。そのため久悠は廃墟の入り口側に回り込み、竜が外に出てくるのを待ち伏せすることにした。

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