第8話

 久悠が理想とする射撃の距離は五~十五メートル。状況から、竜は崩れたブドウ棚にあるブドウを食べて生き延びている形跡がある。竜は胃が弱いので普通ならありえないことだが、もし偶然にもこの竜が普通より強い胃を持っていたのであれば、ここから離れないのも頷ける。いつもは建物の中に身を隠し、腹が減ったら外に出てブドウを食べ、すぐに建物に戻る。どうりで森に竜がいなかったはずだ。

 久悠は、廃墟からそこまでの移動を監視できる道を挟んだ土手の隙間に身を隠した。廃墟の入り口からおよそ二〇メートルの距離。ブドウ棚までは一〇メートル程度だろうか。セレストウィングドラゴンが建物から出てくれば充分仕留められる距離だ。もし久悠に対し正面を向いていた場合はあご下を、横を向いていた場合はアバラ三枚を狙う。待ち伏せ猟はあまり得意ではないが仕方ない。その上、周辺にはACMSのドローンが飛び回っているので、あからさまにうつ伏せの射撃姿勢でいれば、彼らはその様子を不審に思うだろう。久悠は木の幹に隠れ、背を預けて座り、さも休憩しているかのような姿勢を意識した。ちょうど、一台のドローンが通り過ぎていく。搭載されているカメラは竜が潜む廃屋内部も捉えているはずだが、やはり異常なしとばかりに飛び去っていった。久悠は深呼吸をして、焦る気持ちをかき消した。待ち伏せ猟は忍耐だ。しかし、いつまでも同じ姿勢でいる久悠をACMSが不審がる可能性は十分にある。そうなると飛来したドローンが蚊のように久悠の周囲に纏わりついたり、久悠が竜を発見したのだと感づいた所員が森の空気など知る由もなくやってきたりするだろう。なんにせよ久悠にとっては邪魔でしかない。そうなる前に仕留めたい。けれど焦る気持ちは森に伝わり、そうするとそれは竜にも伝わってしまう。それでも廃屋に潜伏する竜に逃げ場はないが、だからといっていたずらに追い詰めることもしたくない。そもそも単発のライフル銃一丁で接近は危険だ。至近距離で発砲して万が一急所を外した時、竜の反撃を迎え撃つ手段が久悠にはないからだ。腰にフクロナガサを一本ぶら下げているが、それは主に木の蔓や枝を切り払うもので、竜との戦闘を想定して準備したものではない。そもそも刃物一本持ったところで、殺意を持つ中型竜に人間は敵わない。タールスタングのようにショットガンを持ち、竜を竜とも思わない乱暴な狩猟をする気にもなれない。

 結局、久悠に今できるのは、潜伏する竜が外に出てくるのをジッと待つことだけだった。一時間、二時間と時間が過ぎていく。ここまで竜に動きはみられず、また久悠の存在に気付いている様子もない。ドローンもしばらく姿を見せず、久悠の気持ちも周辺の音も落ち着きはじめていた。このままなにも起こらないでほしい。竜だけがそっと外に出てきてくれれば、あとはおれが仕留めてやる。そう思い、久悠は銃を抱えたまま廃屋の様子を伺う。遠くからバイクのエンジン音が聞こえたのはその時だった。

 ……くそ。マジか。

 思わず久悠は毒づいた。

 道の先からエンジン音を響かせるバイクのヘッドライトが見えてきた。ドローンを飛ばしていたACMSが竜に気付き捕獲部隊を送ってきたのだろうか。しかしバイクは音も光も単独だったので、組織で動くと思われるACMSの線は限りなく薄い。だとしたら別の賞金稼ぎだろうか。いや、むしろそれ以外の可能性は思いつかない。なんにせよ、今この場に来られることは久悠にとって迷惑極まりないことだった。水素エンジンを動力とするモーターを使わない古い型のバイク特有の生温かい音。かつてガソリンエンジンを搭載していた時代を彷彿とさせるスクータータイプのバイク。一つ目ライトを搭載するそのレトロ風の外見には不思議と情緒あふれる印象があった。二輪のタイヤが常に地面に設置しており転倒防止機能もないため、久悠が乗っている最近トレンドの半浮遊型バイクとは全く異なる乗り物だ。

 久悠が潜む土手の目の前でスクーターバイクが止まる。麻のロングスカートにジーンズ生地のジャケットを羽織った乗り手がゴーグル付きのハーフヘルメットを外すと、長い髪の毛がふさっと姿を現した。スクーターバイクの足元に置いていたアメリカの会員制ショッピングセンターの大きなショッピングバッグを肩で背負い、竜が潜む廃屋へと向かっていく。このままではまずいと久悠は思った。見る限り彼女は銃を持っていなかったから、賞金稼ぎでないだろう。そうなると目まぐるしい都市から逃れ森の中で過ごすことに癒しを感じるキャンパーかなにかだ。廃屋を見つけ、ここで午後のお茶でも嗜もうとしているのかもしれない。これらを観察しつつ、久悠の身体は素早く動いていた。

「待て」

 後ろから手を掴んだ久悠に、女性は小さな叫び声をあげて驚いた。

「あの建物の中に中型の竜がいる。中型といっても熊と同サイズかそれ以上だ。たとえ武装していても人間が襲われたらひとたまりもない。竜はすでにこちらに気付いている。いつ襲われても不思議じゃない非常に危険な状況だ。場合によってはおれが銃で竜を威嚇するから、その隙にあんたはそのバイクで来た道を戻るんだ」

 ポケットから弾を出して銃に装填する。竜との距離は十七メートルほど。久悠のライフルはシングルアクションだ。この距離で威嚇射撃後に銃に次弾を込めて射撃準備を整える間、竜がこちらに突進してきたらもう打つ手がない。

 竜が廃屋から出てこないことを祈りながら、久悠は銃のスリングストラップを首から外した。しかし女性はバイクに戻ろうとしない。急なことで困惑しているのだろうか。

「はやく」と久悠は急かすが、女性は逆にフフッと笑い声をもらした。

「あ、笑ったりしてごめんなさい。賞金稼ぎの人……だよね」

 背に守るつもりでいた女性の思わぬ反応に、久悠は振り向いた。

「装備をみればなんとなくわかるよ。あの竜を狙ってきたんだよね。……そっかぁ。もう見つかっちゃったかぁ」

 どういうことか、すぐには久悠にはわからなかった。この女性は、ここにセレストウィングドラゴンが潜んでいることを知っている。そこにバイクで一人でやってきた。大きなショルダーバッグの中には竜のペットフードが大量に詰め込まれている。それに気付き、久悠はようやく理解した。この女性が竜を匿っていたのだ。だとすると可能性は二つ。彼女はこの竜の元飼い主か、あるいは――

「いいの? この距離で獲物から目を離して」

 彼女の笑みにゾクリとした。正面を見ると、すでに目の前に巨大な竜がいた。

 空のように鮮やかな鱗を持つセレストウィングドラゴン。中型竜だが、目の前に二本足で立たれると人間の背丈をゆうに超える。ほんのわずかな久悠の隙を見逃さず、音を森に混ぜ、こんなにも素早く距離を詰められていた。完全に失態だった。思わず死を覚悟する久悠。しかし竜の視線は女性が持つショルダーバッグに向けられていた。

「はいはい。すぐ準備するからね」

 長い首の先にある竜の小さな頭を女性が撫でる。一人と一匹は朽ちた民家に移動し、女性は水とペットフードを竜に与えはじめた。

「それにしても、変な賞金稼ぎだね」ボーっと突っ立っている久悠を見て、女性は竜に語り掛けるようにして笑った。「目の前に獲物がいて、銃まで構えておいて、それなのに〝威嚇〟って。本当にこの竜を殺すつもりできたの? それとも、この竜の希少性に目が眩んで生け捕り狙い?」

 問いかけられて、久悠はようやく頭が動き出した。

「前者だよ。威嚇を選んだのは、おれのライフルが一発ずつしか撃てないから。動く獲物の急所も狙えないことはないけど、狙いを外す可能性が極端に高くなってしまう。万が一急所を外せば竜は自身の負傷なんか気にしないで襲ってくるだろう。野生を経験した生き物は自分の命を脅かした存在を決して許さない。そうなると、ライフル一本でその勢いを止めるのは難しい。いたずらに竜は傷つけられない。威嚇が唯一、竜が遠ざかってくれるかもしれない選択だった」

「そ。じゃ、結構考えてくれてたんだね。この竜のこと」

「それなりに」

「やっぱり変だね」

「……いま説明したとおり、そんなことはないはずだけどな」

「いやいや。だって、あの状況で人間よりも竜のことを考えてた?」

 久悠の一瞬の困惑を見逃さない、彼女の笑み。

「初めまして。私はレクトア。レクトア・シイナ。キリガミネ高原牧場でドラゴンシェルターを運営中。よろしくね」

 差し出された手がなにを意味するのか、久悠にはわからなかった。

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