第二章 狩猟
第6話
久悠は
タールスタングに絡まれた夜から数日後。久悠はまだ朝霧が立ち込める遠方の森を訪れていた。そこは前回の獲物であったイエロースパイニードラゴンを駆除した森から数百キロほどさらに山奥へと進んだ土地だった。人口減少が著しい国内において、都市部と辺境の環境は完全に二極化している。途中にいくつかの集落があったが、すでに人の姿はない。所狭しと生い茂る植物は森から溢れ出し、人工物を包んで飲み込んでいた。
森の中は静かだがやかましい。いつもと同じ景色がいつまでも続くが、それが全く同じ景色になることは二度とない。鳥やキリギリスが鳴き、耳元を蜂か虻の羽音がかすめていく。白い霧が視界を塞ぎ、茶色い木の幹が人影のように立ち並ぶ。
緑の笹薮は久悠をこの森に入れまいとしているかのようだった。はじめのうちは無理に進むことはしないで、森の中でも歩きやすい場所を探す。当該のセレストウィングドラゴンが行方不明になってから二十日ほど経つ。飼い主はACMSが地域活動の一環として開催する竜と飼い主の定期交流会に参加せず、その理由を追及されて竜を逃がしたことを打ち明けたらしい。ペットの遺棄は犯罪だ。その上、捨てられたペットに幸福が訪れることはありえない。ましてやセレストウィングドラゴンは貴重な竜なので飼い主を募れば手をあげる小金持ちは少なくないはずだが……一体どうしてだれもが不幸になる選択を飼い主がしたのか、久悠には疑問だった。
ザクザクと腐葉土を踏みしめながら森の中を歩き回る。その後のACMSの調査により、当該の竜がこの森に放たれた可能性が高い。その痕跡を探るべく、久悠はバイクを置いた廃村にベースキャンプを設置し探索をはじめていた。森に入って数日で獲物を見つけ出せるとは思っていない。
竜は頭がいい生き物だ。そのため竜たちは自分が捨てられたことも理解する。自分たちを捨てた人間がまた自分に近づこうとしていることを知った時、竜はその様子を伺うために基本的に身を潜める行動をする。その後、極度の飢餓状態であればその人間を襲うだろうし、そうでなければその人間がどこかに行くまでじっとしてやり過ごそうとする。いずれにせよ間違っても〝自分を迎えに来てくれた〟なんて思い違いはしない。
竜は自分から獲物に近づく狩りは苦手だが、かくれんぼや待ち伏せは達人級だ。たとえば体長五メートルを超える中型竜が高さたった五十センチに満たない笹薮に身体を埋めて隠れることもできたりする。無警戒で歩いていて隠れていた竜の尻尾を踏み襲われる賞金稼ぎの被害も稀に聞かれる話だ。そういった予期せぬ遭遇を防ぐためにも、竜の痕跡は見逃せない。中でも特に重要な痕跡が食痕と嘔吐物と糞だ。竜は専用の
途中、久悠はおそらく同業者だろう人間の足跡を発見した。腐葉土を踏んだ足跡はその形状から見るに複数人が同時に歩いていて、みなスパイク付きの高価な登山靴を使っていることがわかった。どれも歩幅が広く足跡は深いので、ズカズカと遠慮なしにこの森を闊歩していったのだろう。古くはないが、新しいものでもない。この時期にこの森にいるということは間違いなくセレストウィングドラゴンを狙うだれかのものだろうが、その足跡を見ただけでもお粗末な奴らであることがよくわかる。無遠慮に森へと踏み入り乱暴に探し回るだけでは、竜は絶対に姿を現さない。森は異質な音を嫌う。森の反応は気配として周囲に溢れ、竜もそれに容易く気付く。もちろん生き物である以上、動けば音が出るのも必然だ。しかしその音をいかに自然に紛れ込ませるかが重要であり、人間も野生生物もそれこそが狩猟の極意と言える。久悠は森の中で移動する際は音の立て方をシカに似せるよう意識しており、それによって森の日常的な音の中に自分を紛れ込ませるよう工夫していた。森にはシカが多くいる。シカが立てる音は森の中の日常だ。シカの歩き方、葉の音のリズム。そういったものに似せて森を歩き、探索を続ける。逆に久悠は、森すらも気付かないほんのわずかな異音に耳を澄ませていた。森の中では目で見るよりも耳で聞いた方が周囲の様子を把握できる。森は音に満ちているが、時に合理的でない音が鳴る。カサカサと笹薮の葉が風とは違う揺れ方をしていて、しばらく様子を見ているとリスが飛び出して木の幹に飛び移り、高い位置にある枝へと移動していった。こういった音すべてに注意を払い、決して聞き流してしまう音が無いよう気を配る。
そうして丸一日、森の中を歩き回ってみたが、この日は竜の痕跡を見つけることはできなかった。陽が傾いて木々の先にある空は赤くなり、森の雰囲気が変わっていく。昼虫の音に夜虫の涼しさが肌寒い空気と共に混ざりはじめ、木は重い音で揺らめいて葉の波音を鳴らす。またこの時間帯になると、辺りが鬱蒼と暗くなりはじめるためか、自分が一人で森にいるという孤独感が強く強調され、無性に不安な気持ちが湧き上がる。仄かな恐怖心が心の中に生じ、カラスの鳴き声が響く。その声は、さながら天狗が高笑いしているかのようだった。
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