第5話

 久悠は、シェアハウスで生活していながらもウェルメ以外の他の住人たちとの交流がほとんどない。夜の団欒の時間にも顔を出すことはなく、先のようにウェルメに誘われてもこれまで頷いたことはない。久悠が喫茶竜のシェアハウスで暮らしている理由は、賃料が安いこととシェアハウスながら他者からの干渉が及ばないこと、それに朝起きてすぐに竜の散歩ボランティアに携われることだった。よく知らない他人と馴れ合うつもりはない。ましてや相手は酔っ払いだ。銃のメンテナンスを手早く済ませ、夕食を求めて街に出る。けれどこの日、バーとして営業を開始した喫茶竜には久悠を呼び止める人物が二人もいた。一人は久悠と同じシェアハウスに暮らすマイナという若い女性だった。

「あ、久悠さん」

 すでに呂律が怪しい口調で明るく手を振っている。彼女はよく同じ職場の女性を連れて上司への愚痴を肴に酒を飲み、泥酔状態になった頃にバーの二階にある自室に運び込まれている。

「なんだと? 久悠だと?」

 そして別の席でそう反応したのは、久悠が最も嫌いな人物――タールスタングというひげ面でガラの悪い大男だった。彼は久悠と同じ竜の討伐を主な仕事としている賞金稼ぎだ。

「ハロウ、久悠」

 久悠が無視して隅から店を出ようとしたところを、タールスタングはビールジョッキを手にしたまま立ちふさがった。

「そうか、お前はここの二階に住んでいるんだったな。久々にその陰湿な顔を見ることができてうれしいぜ」

「邪魔だよ、タールスタング。おれはこれから出かけるんだ」

「連れない反応だな。だがその気持ちもわかるぜ。なにせおれがここにいるってことは、お前が次の獲物を撃ち損なう可能性があるってことだからな」

 フフンと自慢げに鼻を鳴らすタールスタング。

 その言葉に、久悠はピリッとした刺激を返した。

「今まで一度だってそんなことがあったか?」

「いつものことだろう」とタールスタングは余裕の笑顔で久悠を見下す。「この間ホッカイドウでソラテラス竜をやった時もそうだった。おれは街で一杯ひっかけてから森に入ったが、そしたら偶然、目の前に弱った竜がいるじゃねぇか。これは運がいいと思ってショットガンをブチかましてやったさ。そしたら遅れてボロボロのお前が雑草の中から顔を出してよ。あれにはビビったぜ。まさかあんな森で泥遊びしているマヌケがいたなんてな。あるいは、まさかとは思うが、お前もソラテラス竜を狙っていたってことだったのか?」

 そしてタールスタングは大笑いした。

「どけよタールスタング。おれはおれのやり方で竜を撃っている。それを知っているお前はおれから獲物を奪うことしかできないハイエナだ」

「なんとでも言え。だが認めたな?」

「認めてない。おれは撃ち損なってなんかいない」

「残念だがそれは負け惜しみだ。少なくとも、お前はフィンベアを扱える器の男じゃねえ。あのライフル銃はおれが引き取ってやるから、さっさともってこい」

「持ってくるものか。お前はあの銃が欲しいだけだろう」

「あぁ欲しいね。伝説の骨董品だ」

 バーの隅でバチバチとしたにらみ合いがしばらく続く。その一触即発の空気の中に、フラフラのマイナが割って入ってきた。

「久悠さん! ちょっと聞いてくださいよ」

 彼女は友人らに制止されながらもそれを振りほどき、手にカラフルな色のカクテルかなにかを持ったまま久悠に顔を寄せた。

「ウチの上司がですね! ウザいんです」

 仕事で嫌なことがあると帰ってすぐに酒を飲む。マイナはいつもそうだ。

「久悠さん知ってますか。あのセレストウィングドラゴンが討伐管理簿に掲載されたんです。ACMSが管理する討伐管理簿に掲載された竜は例外なく討伐対象になると決められています。それなのにうちの上司は……!」

「おい。男同士の話に酔っ払いの女が口を挟むな。耳がキンキンして仕方ねぇ」

 タールスタングが不機嫌そうに言うと、マイナはくるりと身体を彼に向けて上目遣いに睨みつけた。

「なんですかアナタ」

「竜撃ちさ。今セレストウィングドラゴンって言ったな。おれはまさにそいつを狩りにこの街に入ったんだ」

「あっそうですか」興味なさそうな振る舞いを大げさにしてみせたマイナ。大男相手に物怖じしていないのは酒の効果だろうか。「でも無駄ですよ。セレストはACMSが賞金稼ぎたちに討伐される前に探し出して生け捕りにするそうです」

「なんだと? そんなことしてどうするんだ」

「セレストウィングドラゴンは希少種だ。大金を払ってでも手に入れたいと考えている奴は多い」と久悠が物静かに言う。「生け捕りにして新たな飼い主を募り売り払えば莫大な利益が見込めることは間違いない。その金額は間違いなく正規の懸賞金以上だ。セレストを狙う賞金稼ぎはどいつもそれ狙いだろう。どこかのバカを除いてな」

「ヘイ、久悠。それはおれのことを言っているのか?」

 タールスタングが反応し、再び二人の間に不穏な空気が立ちこめる。しかしフッと、久悠は首を振った。

「いや。……おれのことだ」

 喧嘩を買ったつもりが不意の空振りにキョトンとするタールスタング。

「マイナが言うように捨てられた竜は駆除する決まりだ。懸賞金の額も悪くない。おれはそれで生活に困らないし、それ以上の金銭を手に入れようって気にもならない。おれはおれがすべきことをする」

「いいですね久悠さん」マイナが目を煌かせて言う。「応援してます。我々ACMSを出し抜いてサクッと討伐を終わらせちゃってください!」

「格好つけているところ悪いが――」とタールスタング。「それは難しいだろう。なぜなら久悠が狩る前におれが狩るからさ」

「でも、久悠さんはすごい撃ち手なんですよ」

「おれに比べたらそいつは負け犬さ」

「なんでそういうこと言うんですか?」

「事実だからな」

「どんな事実があるんですか! 久悠さんの凄さを私は知っています! 変なでっち上げ話なんか一切信じませんから!」

「うるさい女だな」

 面倒くさそうにするタールスタングは手にしていたビールを一気に飲み干し、手近なテーブルにドンと音を立ててジョッキを置く。怯まないマイナも持っていたカクテルを飲み干し、同じようにテーブルに叩きつけて張り合った。周囲の客たちは静まり返り、二人のやり取りに注目している。

「ねぇねぇ、マイナちゃん」と、緊迫した雰囲気の中にウェルメがふわっと入ってきた。紋白端末の光をマイナの網膜にも投射し、なんらかの画面を共有している。「お取込み中にごめんね。でも、ほらみて。火星で花が咲いたんですって。これはすごいことよね」

「火星に花ですか。え。ここ竜の爪痕マリネリス・コクーンですか?」

 マイナはコロッとウェルメの話題に食いついた。

 彼女たちが言っているのは火星地球化テラフォーミング計画の進捗を伝えるニュースについてだろうと久悠は察しをつけた。火星にはマリネリス渓谷という赤い大地を切り裂いたかのような深く広い大渓谷がある。地球に比べて重力が小さい火星はその特性上、空気を保持しにくく地球化には向かないと言われていたが、低地のそれも四方が崖に覆われた渓谷であれば平地に比べ空気が溜まりやすいとして、その渓谷の開発が開始されていた。開拓中の渓谷は〝マリネリス・コクーン〟や〝竜の爪痕〟などと呼ばれ、そこは人類による宇宙開拓の最前線だった。

「いいですねぇ。本当は私、火星地球化研究部門に配属されたかったんですよ」

 マイナのその話は久悠も知っている。彼女が酔っ払うと必ず語られる彼女の物語。上司への愚痴からこの話に移行したなら、彼女が潰れるのはもはや時間だ。彼女の友人らが彼女を二階の部屋へ運び込むための準備を開始する。

「殺される竜の管理をする部署なんてもうまっぴらです。私は昔から竜が出てくるゲームが好きなんです。討伐する系じゃないですよ、仲間にして一緒に冒険する系のゲームです。地球は前者の世界は叶えました。とても悲しい世界です。そしてなにより上司がウザい! ……あぁ、憧れの火星地球化研究部門。早く異動にならないかな」

 しまいに彼女は泣きだして、しくしくとテーブルに頭をうずめながらもう一杯くださいと酒を求める。ウェルメが頷くと、待機していた彼女の友人らが素早くマイナの両脇を抱えて二階へと連れ去った。

 その様子を黙って眺めていた久悠とタールスタングは、どうやら自分たちもウェルメの雰囲気に毒牙を抜かれたようだと互いに肩を竦め合う。

「なんにせよ明日から勝負だな、久悠」

「勝負なんかしない。だが仕留めるのはおれだ」

 腕を組んで笑うタールスタングを背に、久悠はようやく喫茶竜から解放された。腹が減ったなと、久悠は近くのコンビニへと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る