愛されたいだけ -2-

「意識朦朧もうろうとしてた二宮に聞いて、未完の物を仕上げたのは流石にしんどかった」

 骨が折れる作業を必死にやって、なんとか終了したと思ったら時計は無慈悲むじひにも十一時を指していた。

 自分の作業は片付く寸前だったから、手早く提出して退勤たいきんしようと思っていたのに。

「会社全体が遅れちゃうから、まぁやらなきゃダメだったんだけどさぁ」

 ため息を飲み込んで、おにぎりとキンキンに冷えた缶コーヒーをレジに通す。愛想あいそのいいお兄さんの接客に心温まるひと時。自分はストレスがすぐ顔にでる性格だから、こういう笑顔がこの時間帯に出せる人は素直に尊敬する。

 多分、今日二宮を助けたのは、彼女が美人で愛想もいいのも理由にあるのかもしれない。

 申し訳ないが、それくらいしか仕事に対するモチベーションを保てないのは真実だ。好感度が欲しかったとか、上司にめられたいとかくだらない理由だと言われても否定はできない。多分そうだからだ。

「うぉーし、帰るぞー」

 出口を抜けた途端に缶コーヒーを開け、半ば流し込むようにおにぎりを頬張る。

 コンビニのおにぎりを食べていていいな、と思う瞬間は、開封後すぐの海苔のりのパリパリ具合だ。

 一口目を大きくすることで、音と口一杯に入れるという二重の幸せを感じることができる。

「うはははは、俺はまだ飲めるぞー」

「もうどこも開いてませんよ!先輩!」

「いいや、開いてる!うぃ〜、この町はぁ、眠らないんだぁ!」

「ベロベロじゃないですか、帰りますよ!」

 頑張れ、後輩くん。

 心の中でそうエールを送りながら、空気に溶けるように静かに歩を進める。変に絡まれたりしたら面倒だ。

「あーあ、今からバイトかよダル」

 なんて愚痴ぐちこぼしながら歩く大学生。

「...........。」

 ヘッドホンから流れる音楽に没頭ぼっとうし、何も喋らず歩く女性。

「そうそう、それでねー?犬が喋り出したかと思ってさー」

 妙に先の展開が気になる話を通話越しの相手に話している、いわゆるガングロギャル。

 三人とすれ違う横断歩道。点滅てんめつしている青信号を横目に渡り切る寸前、何かを視界の端に捉えた。

 何が映ったのか自分の脳が解析するよりも前に動いたのは足。目の前のあったデカい柱に身をかくす。

「な、なんで隠れたんだー俺...」

 見えたのは、カラオケから出てくる男女二人組。

 もしこの目が間違っていなければ、自分の直感を信じるのであれば、女の方は自分の知り合いである。

「嘘だろ、香澄かすみ......?」

 知り合いというか、妻だ。

 十年以上も前に結婚し、小さな愛をつむぎながら、小さな幸を積みながら、小さな子を育てながら人生を共にするとちかった妻だった。

 なぜ、こんな時間に?

 なぜ、こんなところに?

 なぜ、見知らぬ男と?

 その疑問を晴らすべく、二人にバレないように柱の影から観察することにした。

「.........。」

 固唾かたずを飲むその仕草しぐさにさえ、音を立てないように細心の注意を払った。

 男のことは知っている。

 確か、香澄が務めているカフェのオーナーだ。

 年下なのに経営や接客面でいつも勉強になると話していたから、よく覚えている。

 誰か、という疑問はなくなった。

 じゃあなんでーー

 と、残りの「?」を解消しようと瞬きした視界に飛び込んできたのは、その疑問全てを一撃で晴らす光景だった。

「............ぇ」

 接吻せっぷん。要は口唇こうしん同時のキス。チューだ。

「うふふ、今日も楽しかったです」

「やめてください鈴鳴さん、あなたの方が年上なんですから」

「だって、上司は上司でしょ?」

 今日“も”ってどういうことだ?

 なんで、そんなに色気を使っているんだ?

 そんな姿、俺にすら見せないじゃないか。

「この後どうします?ホテルでもとりますか?」

「いいや、嬉しいけど、あいつが帰ってきちゃうから今日はここまで」

「そうでした、出張のときだけでしたね」

「そうそう」

 ホテル?家があるじゃないか。

 あいつ?もしかして俺のことか?

 出張の時はいいの?なんで?

 あれ、疑問はもう無くなったはずなのにおかしいな......どんどん増えていく。

「ねぇ香澄さん。ちょっと真面目な話、はやく別れた方がいいと思うんです。僕の方が香澄さんを幸せにできるし、娘さんだって大事にします!それに彼はーー」

 香澄の肩をつかんで語る男の言葉を最後まで聞かないままーーいや、聞けないまま、きびすを返して引き返す。

(もう、いい......)

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