第22話 グランドルート
千歳は魔法を構築していくにしたがって、右手の指先から体がどんどん別のものになっていくのを感じた。
そして魔法を放ったとき、外見は変わっていないのにもう自分は決定的に違ってしまったと確信した。
銃の先から撃ちだされた光線が敵の心臓部に命中すると、そこからガラスのようにひび割れが広がっていく。
敵は簡単に打ち砕かれた。
そして敵がばらばらと卵の殻のような破片をこぼして崩れていくと同時に、足元へ透明な液体があふれ出してきてこの空間の底を満たしていく。
千歳は銃を落とした。指先が白くなっていて力が入らない。
宿敵だったものはただの白い破片になっていた。
あまりうまく動けなくて突っ立ったままでいると、水位があがってきて頭部まで覆われる。意外と苦しくなかった。
視界はきらきらとした美しい液体で占められている。透明に見えたけど中から見るとそうでもなく、虹色のマーブル模様のようだった。
いつのまにか、ぷかぷかと液体の中を漂っていた。それはそれで気持ちが良かった。
あの敵のような姿になるのは嫌だと思ったが、さっき聞こえていた声が響いてきて、あなたがそう思うなら変わらないと教えてくれた。
この空間には物資がなく、人間として体を維持できないから別の存在になるしかないのだそうだ。周りを取り巻く液体は、そのエネルギー源のようなものらしい。
体が動かないのが怖い、と思うと、そのうち慣れれば自在に動かせるようになるから大丈夫だと言われる。ただし動く必要もなくなるけど。
こんな状態になっても、現実味がなくてふわふわしていてあまり怖くなかった。きっと恐ろしくなるのは、もう少ししてからなのだろう。
ぼんやり浮かんでいたとき、視界の中心に小さな光のようなものが差し込んだ。
なんだろうか、と見つめているとそれがどんどん近づいてくる。
その過程で、それが刀の切っ先だと気付いた。
「千歳くん!」
その声を聞いた瞬間、マーブル模様だった液体が一斉に真っ青に染まる。深い海のようで綺麗だった。
その海の中に、諧が浮かんでいる。
「か、……諧ちゃん!」
死ぬ気で力を入れると口が動く。水の中なのに抵抗なくしゃべれるし相手の声も聞こえるのは変な感じだ。
諧は動けるようで、水をかき分けるようにしてこちらに近づいてくる。
千歳も全力を出したら右手だけ動かせたので、もう真っ白になったその手を伸ばす。
指先が触れあったはずだが感触がない。諧に掴んでもらって、それを弱々しく握り返すことしかできなかった。それだけで十分嬉しい。
「良かった……宿敵に勝てたんだね」
ここにいるなら、勝利を収めエンディングを迎えたのだろう。
きっと彼女なら大丈夫だと思っていたがさすがだ。それが一番気にかかっていたことなので、知れてよかった。
諧は泣きそうに顔をくしゅっと歪める。
「良くないよ! 千歳くんこれ……どうなってるの?」
彼女は刀をしまって、空いた手でそっと千歳の右手を撫でた。そこは石膏のように白くなっていて、二の腕のあたりまで浸食してきている。
千歳はこれまでの経緯を説明した。
終わると、諧は硬く目をつむる。
「あー……もう、絶対こんなことになってると思った!」
初めに言われたのがそれだったので面食らった。
もっと感傷的な流れになるかなと思っていたが、彼女が露わにしたのは怒りだ。
「ご、ごめん……。俺、駄目だったよ」
「駄目じゃない。大丈夫、絶対に助ける」
諧は、はっきりとそう言い切った。真剣なまなざしで、慰めでも願望でもないと訴えてくる。
絶対に無理だ、と思ったのになぜか心底安堵した。彼女なら助けてくれると素直に信じられる。
それでも、それにすがるわけにはいかない。
「いいよいいよ。なんか俺が神的なやつを引き継がないとまずいらしいから」
「千歳くんが良くても私が良くないんだけど」
キレている。当たり前か。
気にしすぎてほしくなくて軽い調子で言ったのも多分失敗だっただろう。
諧は一息ついたあと、正面から千歳の顔を見据えてくる。
「いい、千歳くん? ――――私は、遊園地に行きたいの」
「……はい?」
脈絡がなさすぎて虚を突かれる。
質問を考えているうちに次の言葉が飛んできた。
「柊木くんの件で三上くんたちと行ったんでしょ? 私も行きたかった! あとハンバーガーもリベンジマッチで食べに行きたいしスイーツもいいよね、私達食ベ物の好みが合うからどこにでも一緒に行けるじゃん? それに外にも行きたいところたくさんあるからリストアップしてるし」
「そ、そうだね……俺もリストにしてる」
一体何の話だっけ、と思いつつ共通点があったのがうれしくてそこを拾ってしまう。
「やっぱりそうだよね! ……それが全部叶わないと、勝ったなんて言えないよ。千歳くんがいなきゃ、ハッピーエンドにならない」
そうか、とやっと気づく。
千歳は諧の幸せだけを願った。
でも彼女は、千歳と一緒に幸せをつかみたいと思ってくれていたのだ。
当たり前だと彼女は思っているかもしれないけど、それがとても嬉しくて胸が熱くなる。
「だからね」
諧はにっこり笑う。
「そんな世界は私が全部ぶっ壊してきてあげる」
「……え」
その言葉のあまりに冷たい響きに、驚いて変な声しか出せなかった。熱くなった胸が一瞬で冷める。
「能力を与える仕組みだけ無くなったら困るんだったら、宿敵を生み出す仕組みもなにもかも全部壊したらいいでしょ。そしたら、千歳くんだけ神様やらなくてもいいもんね。知ってるでしょ、私に斬れないものなんてないの」
刀を再び出現させ、抜き始める彼女の笑顔に恐怖を覚えた。
彼女以上に頼もしい存在はいないが、全部有言実行してしまいそうで本当に怖い。
――――さすがに全て壊すと世界への影響が大きすぎるので推奨できない。
「うぉっ、なに、今の声……声!? 千歳くん聞こえた?」
「あ、これがさっき言ってた神っぽい人の声だよ」
どうやら神の声は諧にも聞こえるらしい。
「神様か……私、超絶不満があるんですけど! なんで千歳くんだけこんなことしなきゃいけないの? 不公平だよ! 影響を考慮しつつ壊すんじゃだめなの!?」
神との対話にためらいがなさすぎてすごい。
――――それは検討したことはあるが困難であると結論付けられている。世界の仕組みは複雑に絡みあいすぎているので。
仕組みを壊す件については千歳も聞いたことだったので想定内の回答だ。
諧は悔しそうに唸った。
「本当にぃ? じゃあ……せめてこの意味深なよくわかんない空間から出られるようにできないの? ずっとここに一人なんてひどすぎるよ! せめて週休二日制にしてよ!」
頑張ってくれているのはわかるけど、週休二日だとわりとこっちにいることにならない? と突っ込みたくなってしまった。
――――出入りは基本的にできない。ここには、代替わりの候補者を招き入れる機能しかない。
神の返事はあくまで冷淡だった。
「……そういえば諧ちゃんはどうやって入ってきたの?」
候補者――――つまり千歳のように選ばれた人しか呼ぶことができないなら、諧は入ってもこられないはずではないだろうか。
「スキル使って空間斬ってたらなんか来れた」
無法すぎる。
そんなことがあっていいのか。
――――それに彼の魂はもう世界の仕組みへ組み込まれていて、ここから持ち出すことはできない。
千歳があっけに取られているうちに、神が話を進める。
魔法を発動したとき体が組み変わった感じがあったので、多分その時に組み込まれたのだろう。
もうすでに千歳の体から魂は取り出されて、この空間のどこかに取り込まれているらしい。わりと衝撃の事実だった。
「逆に言えば、魂だけ置いてけばいいってこと? 体は別にいらないの?」
諧の発想は、千歳には思いつかないもので新鮮だった。
――――肯定する。既にこの環境へ適応するため彼の体は変化しているが、それはあなたのスキルで戻せるだろう。ただし、魂が接続していなければ体は動かない。
「そっか……。そうだね、体は私のスキルで人間に戻せる。けど……」
人間は死ぬとき魂が体から離れる。体だけ持ち帰ることはできるかもしれないが、魂は置いていかないといけないので、死んだのとそれほど変わらない状態では、と神は付け加えた。
ちなみに今の千歳の体からはもう魂が取り除かれた状態ではあるが、この空間では距離が関係ないので、この空間内に居さえすれば体を動かすのには問題ないらしい。
新たな事実が判明したのはよかったが、魂を置いていかないといけない問題は解決しそうにない。
さすがに手詰まりだ。
「ねぇ、何か方法ないの!?」
諧もこれ以上はアイディアが出てこないのか、きょろきょろ周囲を見回しながら叫んでいる。多分神に向かって叫びたいのだが、どこにいるかわからないから四方八方に向けているのだろう。
――――わたしから提示できる解決方法はない。
「そこをなんとかさぁ! ヒントになりそうなこととか、なんでもいいから」
諦めないでいてくれることがとてもうれしかった。
そろそろ、諧だけでも帰す方法を考えたほうがいいかも、と思い始めたときだった。
――――わたしのほかにも、あなたたちを支援する世界の仕組みは存在する。それは、【エンディングを軌道修正する仕組み】である。
神がそんなことを言いだしたのは。
「え……なんか方法あるの?」
「叩けば出てくるんだったら最初から言ってよ」
諧は疲労もあってか喧嘩腰である。
いつもはこんな感じじゃないんですよ、優しいんですよと心の中でフォローを入れておく。意味はないけど。
神は特に意に介した様子もなく続ける。
――――方法と呼べるものでもない。あなたたちの誰にでも、既に適用されているはずの仕組みだから。
「適用されてる……?」
そんな実感はない。
――――それは、絶望的な状況にかすかな希望を与える。直感的なひらめきをアーカイブから引き出して与え、とっさの覚醒を促し、ほんの些細な手助けをする。
――――あなたたちの言葉でいえば、ハッピーエンドに導かんとする仕組みだ。
千歳はふと海堂のことを思い出す。
彼は敵の倒し方をひらめき、実際それは正しかった。
それ以前からも、主人公はアーカイブから情報を無意識に引き出していて、それをひらめきだと認知しているのだろうと言われていた。
それが実際に世界の仕組みとして存在していたのか。
絶望的な状況から軌道修正し、ハッピーエンドを迎えるために必要な何かを与えてくれる仕組み。
――――しかしあなたにはその効果は発動していないようにみえる。だが発動のトリガーは、わたしには不明だ。
世界の仕組みはそれぞれ独立で、たとえ主人公の助けとなる仕組み同士でも不可侵なのだという。
もう十分絶望的な状況なのだしそれでも打開策が見いだせていないなら、条件を満たせていなくて不発なのか、あるいは既に発動していても生かすことができなかったのでは。
やはり駄目だ、と諦めそうになったとき
「そんなの決まってる。――――諦めないことだよ」
降ってきたのは諧の言葉だった。
改めて彼女と目を合わせる。
その瞳には強い光が宿っていて、煌々と輝いているように見えた。
「これまで色んな人達の結末を私達見てきたよね。そのうえで、必要なのはすべてを諦めないことだと私は思う。……ねぇ、千歳くんは、自分が生きることを諦めてない?」
図星をつかれて動揺して息が漏れる。
「私が生き残ればそれでいい、みんなが幸せなら……そんな風に思ってない?」
「うっ」
心理を言い当てられて何も反論できない。
諧の視線が痛かった。
「……私の直感だけど、ハッピーエンドに導くっていっても、ハッピーエンドの定義は私達自身によって決まるんじゃないかなぁ」
そうか、と手を叩きたい気分になる。
千歳は自分のハッピーエンドを、諧やみんなが幸せであること、と考えてしまった。
もしかしたら、それが影響しているのではないか。
「だから千歳くん、諦めないで頑張ろうよ。最後まで、私も一緒に頑張るからさ!」
助からない、と早々に結論付けた自分を恥じた。
きっと彼女は有言実行して、最後まで一緒にいてくれるだろう。
諧に生きてもらうためにも、自分を諦めてはいけないのだ。
千歳にこれまで足りていなかったのは多分それだった。
帰りたい。
諧と一緒に、みんなのところへ帰って、そして幸せな日々を送りたい。
そう切に願う。
そのとき、何かがふよふよと水の中を漂うのが目に入った。
それは、ワープホール作成のために借り受けてきた髪の毛の入った袋。いつの間にかポケットから出てきてしまったらしく、諧の後ろあたりに浮かんでいる。
「あ!」
ある一つのひらめきが頭をよぎる。
それが、仕組みから与えられたものなのかはわからない。
「俺が、体の認識範囲を拡張すればいいんじゃないかな?」
「……? どういうこと?」
突然千歳が発した言葉に、諧は首をひねる。
「ワープホールを作れる人は、切り離された体の一部も自分の体とつながってるって解釈することで、離れた場所でもワープホール作れるらしいんだよ。それで、俺もここになんか俺の体の一部を置いていくことで、ここにある魂と外にある俺の体がつながってるってこと……に、できないかな?」
千歳の魂と一緒に、髪の毛など体の一部をここに置いていく。そして、切り離した体の一部と本体とが、離れていてもつながっていると認識する。そうすれば、疑似的に体と魂が離れずに済むので普通に体を動かせるのでは、と思ったのだ。
魂は神の一部になったまま、外では人間として生活できれば。
そうすれば、諧やみんなと幸せに暮らすという目的を果たすことができる。
そうなれば理想だが、言っていて自信がなくなってきた。
――――それは理論上、あなたの能力では不可能だ。
だから、そんな神の言葉を聞いて落ち込みかける。
――――だが、実現可能かもしれない。
しかし、続く言葉は真逆だった。
「どっち!? はっきり言ってよ!」
諧は煮え切らない態度にイラついている。
――――認識範囲の拡張による遠隔操作は、同一次元内であれば十分実行可能だ。しかし、次元を超えることは不可能だろう、と予測する。それは髪の毛を持ち込んでもワープホールが生成されていないことからも明らかだ。
確かに、連絡が取れなくなったら髪の毛を起点としてワープホールを作成してくれるよう打合せをしていたのに、それは未だに叶っていない。
――――しかし、あなたたちの物語では、ときに奇跡が起きる。それはエンディングをハッピーエンドに軌道修正する仕組みによるものだと推測する。
――――その仕組みからの些細な支援があれば、実現できる可能性がある、というのがわたしの推論だ。
それはこの場に残された唯一の希望だった。
別の仕組みが供給する奇跡なので神としても保証はできないのだろう。他の神とコミュニケーションをとれそうにもないし、なにも確証が得られない。
それでも、出来ると思えるか。
「できる」
千歳が躊躇っていると、諧が頷いて励ましてくれる。
「絶対できるよ、千歳くんなら」
彼女の言葉より頼もしいものはない。
覚悟は決まった。
「うん、やってみせるよ」
ただし千歳の感覚では、髪の毛程度ではつながりとして薄い。次元を超える分、より大きな部分を残していく必要がありそうだ。それさえ用意すれば、実現できる気がする。
リスクは高いが、己の直感を信じるしかない。
「諧ちゃんにお願いがある」
千歳の願いを聞いて、諧は大きく動揺した。
「そっ……それは……」
「頼むよ。自分じゃできないんだ」
「……わかった」
珍しく言葉を濁したが、すぐ心を決めてくれた。
やるんだったらさっさと始めたほうがいいと、千歳はすぐに実行することにした。
その前に、諧にお礼を伝えておく。
「諧ちゃん、助けに来てくれてありがとう」
彼女がいなかったらこのままここで沈んでいた。
でもこれから、みんなのところへ帰ることができるかもしれない。神にはなるしかなかったけど、生きて戻れる可能性が出てきて本当にうれしかった。
これは、彼女がここまで来てくれたからこそ生まれた希望だ。
諧は顎を震わせてから、ぐっと笑う。
「当たり前じゃん。絶対、千歳くんと二人で未来を掴むって決めてたからね!」
「……そっか、そうだね」
ならば千歳も頑張らなければならない。
彼女と、二人でのハッピーエンドのために。
「よろしく頼んだ」
「……頼まれた」
諧は改めて刀を抜き、少し距離を置いた。
それから刀を振りかぶり、千歳の右肩に斬り付けると見事な太刀筋で千歳の右腕を切り落とした。
ちぎれた右腕は、液体の底の方へ沈んでいく。
「……これでつながりとして足りるはず」
髪の毛で足りないなら、体のもっと大きな部分を置いていくしかない。
腕一本くらいで済むなら惜しくなかった。不思議と痛みは感じない。
むしろ諧の戸惑いの方が大きいようで、彼女は千歳の傷口を見たり目をそらしたりしている。
そんな諧にやわらかく笑いかけた。
「行こう。二人なら、帰れる気がするんだ」
千歳は残った左手を諧へ向かって伸ばす。
「――――うん、絶対そうだよ」
彼女は微笑んで、それを掴んだ。
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