第18話櫛と釘バット

「動かないで、服についちゃう」


 入鹿コロネはバッグからウエットティッシュを訓練された動きで取り出し、ヒサメさんの顔に飛んだ僕の液体を素早くぬぐった。ドキュメンタリー映像で観たことがある。これは負傷した部隊同僚に応急措置をほどこす兵士の動きだ。なんかすごい。

 しかし更なる危険が。


 とっ、とっ、とっ、とっ、


 母さんが階段を登ってくる特有の足音。ドアが開くまであと7秒。僕も立ち上り、急いでパンツとズボンをはいた。見れば床にも飛んでいる。ティッシュの箱はクローゼットの手前。ふたりを押しのけないと取りに行けないが、そんな時間的余裕はない。


 ヒサメさんは目をつぶって顔をふかれている。入鹿コロネも床までは、いや、右手でヒサメさんの顔をふきながら、左手でウエットティッシュを僕の方に飛ばした。


 了解。あと2秒。僕はウエットティッシュで床をふき、丸めてゴミ箱に投げた。入鹿コロネと同時。


「ハルマ。チャック」

 ヒサメさんの小声。言われてみればズボンのチャック全開。落ち着いて引き上げる。


 コンコン、とドアがノックされた。そしてお盆の上にクッキーと紅茶のティーカップを人数分載せた母さんが現れた。


「あらオンナノコがふたりも。にぎやかでいいわね~」

 作り笑顔の母さん。


「お邪魔してます、あたし昼間、図書館でハルマさんに勉強を教えてもらってたんです」

 清純優等生モードの入鹿コロネ。はつらつとした挨拶。


「いえいえお気遣いなく」

 何事も無かったかのようにお盆を受け取るヒサメさん。


「ではごゆっくり~」

 母さんはドアを閉めた。


「ハルマ~、おめぇ」

 ヒサメさんの開きかけた口をさっと塞いだ入鹿コロネ。そうだ、君が正しい。母さんが階段を降り切った音を確認するまでは全員無言であるべきなんだ。この家に来て二回目でそれを見抜くとは。


「油断大敵ですよ~」

「すまねえ」

 入鹿コロネに素直に頭を下げたヒサメさんは、でもよ、と言葉を続けた。

 

「ハルマ、おめぇ自分で触ってなかったのにあたいの顔に器用に飛ばしたじゃねえか」

「自分でも不思議なんですけど」


 入鹿コロネが口をはさんだ。

「ヒサメさん、この部屋では搾精しないことにしてるって本当ですか」

「うん、帰り際にハルマの母ちゃんと顔合わすと思うと気まずくて」

「本当はお腹すかしてるんじゃないんですか?」


「ダイエットしてっから。食べたい放題だと太ってハルマに嫌われちゃうし」

「押さえていた搾精したい気持ちがハルマさんを引き寄せて、ダメ、言えない、いや頑張る、ぶ、ぶっかけ?顔射?」

 今更な話だが、入鹿コロネは魔法少女らしく恥じらった。


「もしかして僕、ヒサメさんに搾精されやすくなってる……?」

「コロネちゃんとハルマが完全にカップルになったら、あたい、この世に居場所なくすって焦りもあるな。で、魔法少女マチルダがハルマに魔法をかけたなら彼女に術を解いてもらうしかない。だろ?コロネちゃん」


「マチルダさんは、チトセアメじゃなくて、そばにいてくれる人が欲しいんです。実はマスコットのエップスとは仲が悪くて」


「そういえばエップスさん、わざと彼女の気に障るような態度取ってなかった?」

「ハルマさん、あんな奴呼び捨てでいいですよ。美少女集めて歯科矯正させてるでしょ?あれは歯並びが悪いと魔法力も出しきれないからという理由なんです」


「コロネちゃん、あのおっさんは何を企んでんの?」

「自分の魔法少女部隊を作り、魔法使い組織から独立。サキュバスの世界には無いんですか?反乱とか」

 組織の刺客であるはずの入鹿コロネが排除対象者であるサキュバスのヒサメさんに相談。これが野合というものか。


「ん~、あのおっさんぶっ飛ばしても、組織は文句ねえってこと?でもマチルダのマスコットには変わりねえんだろ?」

「マチルダさんはハルマさんを後任のマスコットにしたがってるんじゃないかしら」


「えっ、僕高校一年生男子だよ?」

 唐突な話に思わず身を乗り出した。


「あたしも公立中学の生徒で高校受験に備えている学生です」

「マ、マスコットって奴隷と何が違うのかなぁ」

「マチルダさんも魔法少女だからエッチ以外の事はしてくれます。例えば......」

「だから、コンプライアンスってもんがあるし、それも回避しなきゃだな。今日はこれくらいで」


 ヒサメさんは入鹿コロネを家まで送っていった。この前まで抗争していたけど友情が芽生えたか。


 そして風呂から上がってさあ寝るか、と自室のドアを開けたらベッドの上にまっちいちゃんこと魔法少女マチルダが腰掛けていた。グリーンのTシャツに白のハーフパンツ。裸足。どこから入って来たんだろう。


「兄さん、これについて訊きたいことがあるんやけど」

 彼女の手のひらの上には、僕が振ると釘バットに変わる、ヒサメさんから貰ったくしがのっていた。

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