大人になりたい
怪鳥
第1話
大人になりたい。忽然とそう思っている。
18歳になったら誰もが「成人」になる。だが、18歳になったからといって大人にはならない。成人には自然になっていくが大人には自分からなろうとしなければなれない。
「早く大人になりなさい」
政治経済の授業で先生がいつもと変わらない調子で突然言ったこの一言が僕の心に強く残っていた。
僕がなりたいのは『自律した』大人だ。誰の力も借りず一人で生きられる大人になりたい。いや、「なりたい」ではまだ足りない。
僕は、大人にならなければならない。
ピピピピ…ピピピピ…ピピピピ
けたたましい音を立て傍らに置いてあるスマホが新しい朝の訪れを知らせてくる。6:00。早く起きなければ。朝は忙しい。
顔を洗う。歯を磨く。髪を整える。制服の用意をする。こうして身支度が一通り終わると、次に弁当を作る作業に取りかかる。弁当を自分で作り始めたのはつい最近のことだ。以前は、母が自分のと父さん用の2人分を作っていたが、あの言葉を聞いて以来、自分の分は自分で作るようになった。
そして準備が終わって朝食を食べ始めるくらいに、ちょうど父さんが起きてくる時間になる。いや正確には「起こされる」時間だ。大人だというのに父さんは一人で起きられない。毎日母さんに起こしてもらっている。
「おはよう、
眠そうな様子でソファに腰をかける。まだ完全に目が覚めていないようだ。
「おはよう」
そう返した時にはリビングのソファでダラダラしていた。それを横目に朝食を食べ進める。テレビには今話題の4人組バンド「BLUE squares」の特集をやっていた。
「未那人、知ってるのか?このバンド」
「名前だけ聞いたことはある」
「ふーん」
そう言ってまたテレビを見始める。立ち上がる気はまだ無いようだ。
「それにしても良い曲だなぁ、これ」
「そう?」
「大人になりたくないって直接伝えてるのが若者っぽくて良いじゃないか。俺も学生の時はずっと子供でいたいって思ってたなぁ。ずっとゲームばっかして過ごしたいって思っててなぁ、それで…」
「昔語りはいいから早く準備しなさいよ!時間がないんだから!」
母さんが父さんの朝食を運んでくる。親に怒られて拗ねた子供のようにしぶしぶとソファから立ち上がった。正直、父さんは少し《子供》っぽい。
「学校まで乗せて行こうか?」
時々、母さんはこうやって僕を誘ってくる。
そして、
「いや、大丈夫」
僕は毎回断っている。ここで誘いに乗ったら親に甘えることになる。大人の世界に甘えやわがままは存在しない。甘えたりわがままを言ったりしない事が大人になるための条件なのだ。
今朝の気温は28℃。歩いて行けないほどの暑さではない。
学校は僕にとっては戦場だった。周りの行動という攻撃を受けるごとに精神がすり減るのを感じる。たまにとてつもない攻撃を受け、倒れそうになることもある。だが、耐えなければならない。これくらい耐えなければ大人にはなれない。
「弁当食べようぜ」
友達の
「あ、『BLUE squares』だ」
教室のスピーカーからロック調の音楽が流れてくる。昼の校内放送が始まったのだろう。
「知ってんの?この曲」
「あぁ。『大人になんてなりたくない』って曲で、歌詞がめっちゃ良いんだよなぁ」
へぇーと返すが、特に聞く気もなかった。そのはずだが、キャッチーなメロディも相まってサビの部分の歌詞が僕の耳に無意識に流れ込んできた。
大人になんてなりたくない
大人になんてなりたくない
社会の中にいる大人は
皆同じでつまらない
つまらない大人になるくらいなら
僕は大人になりたくない
僕は大人になりたくない
ずっと子供のままでいたい
自分が残る子供のままで
確かに良い曲だが好みではなかった。大人になりたくないなんてただのワガママだ。大人になるというのはなりたいならなくないの話ではない。それは社会で生きるための義務なのだ。
「俺もまだ大人になりたくないなぁ」
突然、四澄が口を開いた。
「何で?さっきの曲聴いたから?」
「無いことはないけど、でもそれ以上に大人って苦しそうだなって思うからさ」
一瞬、体が揺れたように感じた。心がざわめく。隣で弁当を食べる友達がいつもと同じ友達とは思えなかった。横にいる友達が自分より前にいるように感じた。
「弁当、食べねぇの?」
その声で初めて弁当に手をつけていないことに気づいた。今日は弁当を食べたい気分ではなかった。
放課後、塾も何もないため、さっさと帰路に着く。家に着くまで昼の四澄の言動がループ再生された動画のように脳内をぐるぐる回っていた。何故かあそこで自分は狼狽えてしまった。大人は決して狼狽えない。何に対しても平然と対応する。それが出来なかった自分は全然大人じゃない。もうすぐ大人なのにどうしてなれないんだ。どうして…なんだ。
…少し頭が痛い。でも、少しだ。時間が経ったら治るだろう。…耐えなければ。これくらい大人になるためには耐えなければ…
しかし、家に帰っても頭痛が治る気配はなくむしろ悪化していた。熱も出てきた気がする。だが、耐えなければ。
「大丈夫?何か体調悪そうだけど」
「何もないよ」
悟られないように平然を装う。何もないように立ちあがろうとしたその時、
立ち上がれなかった。足から体が崩れ落ちる。
「大丈夫!?」
母さんと近くにいた父さんが駆け寄ってくるのが見える。関わってほしくないのに、くそ、くそ…
目を開けると見慣れた天井が見えた。そのまま周りを見てみると見慣れた机やバッグ、本などが置いてあるのが視界に入った。自分の部屋だ。さっきまでリビングにいたはずなのに、気がつくとベッドの上にいた。
「お、起きたか」
その言葉と共に父さんが部屋に入ってきた。部屋まで運んでくれたのは父さんだろうか。父さんには悪いことをしたなと思った。同時に自分で部屋まで行けないとは情けないと思った。本当に…情けない…
「大丈夫か?まったく…しんどい時はちゃんと言わなきゃダメだろ?」
「…ごめん」
「別に謝ることじゃない。…ま、今日はもうゆっくり休むんだな」
特段、気にする様子もなく父はいつもと同じくスマホを見ていた。何一つ変わらないマイペースで少し子供っぽい父さんだった。…その時、ふと一つの疑問が頭に浮かんだ。本当に突然だった。
「父さんってさ、大人になりたいって思ったことないの?」
「どうした?いきなり」
「いや、ちょっと気になったから」
「あぁ、そうだなぁ」
いつもの父さんとは違ってけっこう真剣に考えていた。いや、それともどう答えるか迷っているのだろうか。
「思ったことは…ないことは無いな」
「そうなの?」
「一時期本気でなりたいって思った時はあったが、でもすぐに止めちゃったな」
「何で?」
「何で?うーん、そうだなぁ」
またもや真剣な面持ちで考え始める。それは子供と父親としての対話ではなく一人の人間との対話として捉えているからこその行為なのだろうか。ふとした疑問だがそう思っていて欲しかった。
「自分に…勝てなかったから…かな」
「どういうこと?」
「大人になろうって最初に思った時、全てのことを自分で出来るようになろうって思って、色々覚えようとしたんだ。確かに今までより多くのことは出来るようになった。でも…」
「でも?」
「楽しくなかったんだよ、その時。ゲームしたいとかテレビ観たいっていう気持ち抑えてまでやってたからな。そうやってたらある日熱出して寝込んでしまってな。無理してやっても結局、自分は変えられないって思って、それで大人になりたいって思うのを止めて、自分の好きなようにやろうって思うようになったんだ。ま、その結果、怒られてばっかだけど。でも、これで良かったって今は思ってる」
意外だった。父さんもけっこう色々考えていたのだ。
「未那人は大人になりたいって思うのか」
「まぁ、早くなりたいって思う」
「そうか。凄いな、未那人は。こんな早くから考えてるとは」
「そ、そうかな」
この事で褒められたのは初めてだった。大人になりたいという気持ちはあって当然、なくてはならない物だと思っていたから。だから、褒められて嬉しかった。
「なりたいんだったらなりたいって思っておけば良い。そうしたらいつかは大人になれる」
「なれるかな?こんな僕でも」
「あぁ、なれる。自分を殺さず、大人になりたいって思っておけば、少しずつなっていくさ」
父さんは僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。何かを伝えたいような真剣な眼差しで。
大人だと思った。いつも子供っぽい父さんが、今この時だけは、大人に見えた。
もう一度、父さんの言った事を思い返してみる。"自分を殺さず"大人になる。その言葉を忘れないように大切に箱に入れて心にしまう。その時、心の中に繁茂していたイバラたちが全て枯れ、か弱くも新しい芽が生えてきた心地がした。
再び起きた時にはもう新しい朝を迎えていた。今までで一番澄み切った朝だった。起きよう。そう思い、勢いよくベットから起き上がる。
今日も父は母に起こされ、ソファでだらだらとしていた。それでも僕は悪いとは思わなかった。これが父さんなのだ。父さんが考える一つの大人としての生き方なのだ。
「母さんもう出るけど、未那人、学校まで乗っていく?」
いつものように母が誘ってきた。昨日までなら断っていただろう。でも、今日は、
「あぁ、乗ってく」
僕は大人になりたいと思う。やっぱり子供のままではいたくはない。でも、「BLUE squares」が言うようなつまらない大人になりたいとは思わない。
自分を殺さず、周りから受けた攻撃を自分の中に上手く溶け込ませながら少しずつ僕らしい大人になっていく。
大人になりたい。
「大人」の未那人に僕はなりたい。
大人になりたい 怪鳥 @seka727
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