chapter1─強欲な女

嗚呼、本当に疲れたわ。夢を何でも叶えると言うから来たのに、想像よりもずっと酷い。

雑草は生え散らかしてるし、周りなんて森なんだか樹海なんだかよくわからない。闇の中に放り出された感覚にまでなりそう。


不安な心を落ち着けようと、地図の役割を任せていたスマートフォンの画面に、時間を表示する。


「……まだ午前の11時じゃない……なんでこんなに暗いのよ!もう嫌になるわ!!」


歩けど歩けど森ばっかり!当たり前なんだけど……

何か嫌なものが出てきそう、だなんて恐怖を押し殺しつつ、イラつきながら先に進む。


突然、バサバサと背後で大きな物音が聞こえる。


「ひぇっ!?」


驚きで振り返れば、大量のカラスが私を見ていた。かと思えば、カァー!カァー!とひっきりなしに鳴き出した。


「もう……嫌ぁああああ!!!」


先程からの恐怖も相まって、方向もわからずにただただ走ったわ。怖すぎるのよ、この森。


息が続かなくて、肩で息をしながら立ち止まる。落ち着いた頃に顔を上げれば、そこには不気味な洋館が私を待ち構えていた。


気が抜けて、更には腰まで抜けてしまう。


スマートフォンの画面を下にスライドして、表示された招待状の写真と照らし合わせる。ここで間違いないようね。


「……この館の主人って……センス無いわね……」

「それは申し訳が無い。お気に召しませんでしたか」


突然、背後から女の声がした。驚いて振り返る。

確認した視線の間近に、端正な顔をした女。爽やかというか、胡散臭いというか……そんな笑顔を向けられる。

驚かされた仕返しに、鼻で笑って見せてやったわ。


「ええ。こんな不気味な洋館、何か出そうとしか思えないわね」

「それは失敬。今度からは何か出しておきましょう」

「出さなくていいわよ!……全く……」


こちらが感情を振り回されて百面相している間、女は始終 涼しい顔。腹が立つわね……

やっと足腰に力が入るようになったので、ゆっくりと立ち上がる。

女は、流れる様な動作で私の服の汚れを叩き落とす。


「あら、気が利くのね」

「お客様には最大限に満足して頂く為に、当然の振る舞いをしている迄です」


女は汚れた白い手袋を外すと、私に対して手を差し伸べた。


「さぁ、お手をどうぞ。ご案内致します」


あまりに美しい動作で魅入ってしまったけれど、首を軽く振ってその手を取る。

女はゆっくりと歩みを進めるが、それでも私の歩調を優先させ乱さない。


……生まれてくる性別間違えてるわよ、この女。


屋敷の中に通されれば、入口に居た男に出迎えられる。


「いらっしゃいませ、お客様。お待ちしておりました。お荷物、上着、お預かり致します」


言われた通りに荷物を差し出せば、男は一礼して屋敷の中に消えていった。女は私の隣で、にこやかにエスコートを続ける。


「まるでお姫様扱いね……」

「お嫌いですか?」

「いえ。この館の雰囲気さえマシなら、純粋に楽しめたわ」


古びたシャンデリアは、屋敷内をほんのりと照らすほどにしか、光を発せられていない。その為、屋敷の中は仄暗い。


中に入れば多少はマシだと思ったんだけど……そう変わらないわね。お化け屋敷はお化け屋敷のままだわ。

そう思いながら、案内されるがままに進む。


やがて女が立ち止まる。それにつられて私も立ち止まって目の前を見れば、長い食卓に燭台。

そして先程荷物を持って消えた男が、食卓の端と端の一つずつに料理の乗った皿を置いていた。


「お客様、まずは依頼内容と共にお食事でも」

「……追加報酬、なんて払わないわよ?」


ここまでサービスが良いと、流石に疑ってしまうものよね。疑って、目を訝しく細めて睨んだまま、女を見つめる。

女はクスクスと笑うと、自身の口元に立てた人差し指をつける。


「いえ、これはほんの少しのサービスですよ」


優雅に、器用にウインクをしながら告げる。男が椅子を引き、「お客様、どうぞ」と促す。

促されるままに腰かければ、ゆったりと椅子を押しては丁度いい距離にまで調整される。ここでふと、疑問が湧いてきてしまった。


「ここには貴方達、二人しかいないのね」


疑問系とも確定系とも言える様な事を言えば、椅子に座った女はにこやかに口を開いた。


「ええ。何せ、秘密主義の商売ですから。さぁ、前菜はもう出させて頂きました。良ければ召し上がってください」


手で私側の料理──ほうれん草のソテーを指し示し、「どうぞ」と手の動きで示す女。動作が一々、ワザとらしいのに美しいのが尚更腹立つわね……


「お言葉に甘えて、頂くわね」

「ええ。お口に合えば良いのですが」


前菜とグラスワインで頂く時間は、驚く程に静かだった。ただ、ナイフとフォーク、そして皿が、カチャカチャと時折音を立てるだけ。


皿が空になれば、直ぐに男が皿を片付け、代わりにスープが置かれた。ワインはグラスの半分程残っている。


「お客様、メインディッシュには時間がございます。ブイヨンベースのスープと共に、本日の依頼をお聞かせ頂けますか?」


この時を待っていた。そう、私は待ち侘びていたはずなのよ。なのに──


「そうね……でも、少しばかり時間が欲しいわ」


今では言う事を、強く憚る思いを抱いているのよ。


思い通りの夢を見せると言われる館に、あれ程に恐ろしい思いをしてまで、何故足を踏み入れたのか。

私の願いは、他者からすれば浅はかなのは明確。それでも望まずにはいられなかった。


迷いの中の私を見て、女は笑う。


「ふふ、そう思っての食事会ですよ。暖かいスープは気を落ち着けてくれるでしょう」


気を誤魔化し、スプーンをスープの中に沈める。中身を掬い上げ、音を立てずに一口。

随分と長く煮込まれていたのでしょうね。野菜の風味と、肉汁の香りが口の中に広がっていくわ。


二口、三口とスプーンを進めていけば、身体が温まる。


「……貴女の言う通りだわ。温まるスープは良いものね」


皿が空になった頃には、決心も固く決まった。それと同時に、いつの間に現れた男。彼の手によって、空になった皿と交換される様に出てきたメインディッシュ。


「どうぞ。ローストビーフと季節の野菜のソテー、ワインソース添えです」


男がそう告げた後に、女の席から右前の側面にある席へ着席する。

女は料理を一瞥してから、口を開いた。


「お客様、それでは依頼の前に説明をさせて頂きます。この店では、お客様の望む夢を魅せる代わりに、それに見合う金額の金、もしくは見合う程度の寿命を頂いております」

「ええ、知ってるわよ」


そんなことは、招待状に既に書かれていたもの。わかりきって尚、訪れているというのに……馬鹿にされているの?


逡巡も束の間、クスクスと笑う女は次の言葉を続ける。決まりきった台詞を吐く役者の様に。


「まあ、そうですよね。次に、手順としてですが……」

「あら、薬でも渡されて『はい、終わり』じゃないのね」

「それでは浪漫がない。寝室までお客様をご案内致します。その後、眠る前に一杯の魔法のワインを飲んで頂きます」


大振りに人差し指を立てたり、少しばかり態とらしくワインを飲む動作をしたり……役者か道化のようで、見ていて腹が立つわ。


そんな私の苛立ちに勘づいたのか、女はクスリと笑った後に手を下ろした。


「後には、ゆっくりと目を閉じて眠って頂きます。後は望んだ夢の世界をご堪能頂ければ、お支払いを。簡単でしょう?」


聞いていて、途中から───悪魔との契約を結んでいるかのような、錯覚を起こしかけたわ。相手は人間でしょうに……可笑しな話ね。

女の眼光に射抜かれた様な錯覚を覚え、息を飲む。何故、こんなにも恐ろしいのかしら。


圧倒される私に、更に追い討ちをかけるように女の顔から、初めて、表情が消えた。


「勿論。ご満足頂けたのにも関わらず、『満足出来なかった』と、御支払いを逃れる事は規約違反です。その場合、寿命もお客様の全財産も頂きますので」

「する訳ないでしょう。……とはいえ、理不尽すぎないかしら?」


思った事をそのまま告げる。だって、やり過ぎじゃない。そんな悪魔みたいな事、されちゃ堪ったものでは無いわ。

女が静かに目を閉じ、メインディッシュを一口、口に含む。


──沈黙。

時計の秒針音が、嫌に大きく聞こえたわ。


後に、クスリと笑う声が部屋に響いた。


「……何、ペナルティですよ。ですが、しなければいい事ですから」


女の顔に、また微笑みが戻る。柔らかな、胡散臭い笑顔が。その時、いつの間にか詰まらせていた息が、私の口から大きく漏れた。


───今、何故私はこの笑顔に心底安心したの?


その問いの答えの出ないまま、溜息と共に霧散したのだけれど。

一瞬後、女はフォークとナイフを皿に置いてから、私の方へ手を向けた。


「さぁ、お客様の番ですよ。ご依頼は?」


……遂に来たのね。自覚すればする程、心臓が煩く音を立てる。あんたの出番じゃないのよ、出しゃばらないで頂戴、心音さん。


落ち着かせようと、目を閉じ胸に手を当てれば、一瞬、私の望んだ夢の一片を見る。


息を呑んだ。目の前の女は、クスクスと笑うばかり。男の方は、眉間に皺を寄せて顔を歪めてから、盛大に舌打ち。


「申し訳ございません、お客様。余りにも信用なされてないようなので『体験』して頂きました」

「……びっくりさせないで頂戴……」

「こういう望みの持ち主、マジで多いな……欲深いしよォ……」


男にも、私の望みは見えていたらしいわね。あの言い方、余程嫌悪したのかしらね。


…………当然と言えば当然なのだけれど。


「わかってはいますが、お客様の口から申告して頂けませんと……我々も手を出せないので。さぁ、お望みはなんでしょうか?」


目の前でクスクスと笑う女。先程の『体験』。本当に見られると確信した瞬間に、望みがダダ漏れる。


「大豪邸に尽きない美食、酒、大勢のイケメンに囲まれて、最高に愛されてずっと暮らしていたいの!」

「期間は?」

「永遠によ!寿命なんて幾らでもくれてやるわ!命尽きるまで夢に溺れさせて頂戴!」


目の前の女は、ニヤリ口角を上げて笑う。


「ご契約、承りました」


女がそう告げるや否や、男が立ち上がり私の側まで歩み寄る。怪訝な顔はそのままに、私に手を差し出す。

……割と良い顔してるわね。表情は最悪だけど。


「ほら。案内してやるから、立て」

「涙、愛想が悪いぞ」


女の刺すような一言に、男の口から舌打ちが漏れる。……この男、涙って言うのね。本来はガラが悪い男性の様だけど。


私の瞬き。一瞬。涙君は、私を出迎えた時のような愛想の良い男へと変貌した。


「お客様、御無礼をお許し下さい。お手をどうぞ」


まるで、上手く躾られた犬のようね。この女は一体、どんな手口を使ったのかしら……


そんな事を思いながら手を取り、椅子から立ち上がる。案内されるままに部屋を出て、静かで仄暗い廊下を共に歩く。

コツン、コツンと靴の音が二つ響く。


「君、顔は格好良いのに……勿体ないわね」

「……」


気を使って話しかけてあげたのに、涙君は無言で私をちらりと見ただけ。興味もなさげに、また前に向き直る。この態度、癪に障るわね……


「お客が気を使って話題を振ったのに、愛想が無いのね。先程、主人にキツく言われたでしょうに」

「……私には余り、私語は許されていませんので」


さっき、思い切り私語を放ってたわよね?明らかな嘘を言うものだから、嫌でも嫌われているのがわかるわ。


無言の時間が暫く続けば、とある部屋の扉を開けられた。


「どうぞ、寝室です。奥のドレッサーには、ナイトドレスを御用意しております」


促されるままに部屋の中を見れば、天蓋付きの赤いベッド。奥には黒のドレッサー。中に入った瞬間、「では」と涙君は姿を消した。


余程、一緒に居たくなかったようね。失礼しちゃうわ。


着替えが終わった頃合に、女が部屋に入ってくる。


「お客様、サイズはいかがでしょう?」

「……丁度いいくらいよ。一体、いつ測ったの?」

「……目分量ですよ。強いて言えば、ですけどね?」


女はサイドテーブルに「ワインです」と真っ赤なワイングラスを一つ、コトリと優雅に置いた。


「では、ごゆっくり……」

「待ってくれないかしら」


一つ、聞き忘れた事があり呼び止める。女は軽快に返事をしてから、こちらに向き直る。


「貴女の名前を聞いていなかったわ」

「おや、それは……」


深々と頭を下げる女。数秒して上がった顔は、チェシャ猫の様な読めない笑顔。


「名乗りが遅れて申し訳御座いません。私、この『CLUB=GreedyDreamer』の主人、ヴァーミャと申します。では……」


クルリと踵を返した女は、館の闇に姿を消した。


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