最終話 虹

 コチの羽に雫が落ちる。雨が降っていると気付いた年老いた人間は大慌てでホウキで集めた落ち葉をちりとりに運ぶ。ホウキに掃かれて、ちりとりに枯葉とコチが運ばれる。用意されたビニール袋が開かれ、ちりとりに集められた枯葉とコチがその袋に導かれる。


 「まだ、行くもんか。」


 枯葉に紛れたコチの体は動かない。誰もコチに気付かない。傾けられたちりとりによって次第に枯葉の中に埋もれていく。


 「もう少しだ。もう少しなんだ。僕が春を知らせに行くんだ」


 必死に体を動かそうとするコチの目をイタズラな風は見つけた。


 突然、突風が吹き荒れた。ちりとりから飛び出し枯葉とコチは宙を舞う。突風は雨を避けどこまでもコチを運ぶ。そして、イタズラな風がコチの羽を何度も揺らす。


 ほら、飛んで


 散らばった枯葉に悪態をつく年老いた人間を尻目に空高く舞い上がるコチ。コチは、イタズラな風に2度も救われた。

 風に運ばれて、そのままコチは、電信柱に張り付くように止まった。コチは電信柱から落っこちないように弱った握力で必死に電信柱にしがみつく。


 さて、ここからどうやって行こう?


 雨の中、道路を行き交う車。「またか」と言って、コチの口は少し緩んだ。


 「もう慣れたものだ。」


 コチは握力を緩め、走る車のフロントガラスに向かって飛び降りた。


 雨のおかげで、落ちた体はフロントガラスに吸い付いた。窓越しに不快を露わにした人間の目と鉢合わせになるが、ご主人の目の前から消えろとばかりに、すぐにワイパーはコチの体をフロントガラスの下方の隅に運んでいった。フロントガラスの隅でコチは、雨と風に負けないようになんとかしがみつく。見上げるとまだ不快を全面に押し出した表情の運転手の視線がコチを追っかけていた。


 「この世界から追い出されてたまるかよ。」


 ワイパーは容赦なく振りかぶって滝のようなしぶきをコチに運ぶ。まだ、そこにいるコチを見つけた人間はワイパーの回転速度を上げた。何度も、何度も大量の水がコチの全身に降り注ぐ。コチは、溺れないように呼吸の居場所を探しながら、車の進路を確かめた。方向は間違っていない。工事現場まではもう少しだ。どうやってここから降りよう。ずぶ濡れで重くなったコチの羽は期待しない方が良い。降り方は決まっていた。そして、コチは高速に動くワイパーにしがみついた。体が勢いよく揺さぶられ、感じたこともない圧がコチに襲いかかる。グワングワンと激しく揺れる体、なんとかコチは気を失わないように、手を離すタイミングを図った。


 「ここだ!」


 コチの目が高く立ち並ぶ白いフェンスを捉えた時、コチは思い切って手を離した。


 豆粒のような小さな塊が、宙を飛んだ。コチのずぶ濡れで重い羽は、やっぱり空では開かない。コチは工事現場の高い囲いを乗り越える事は出来ず、その手前で、体を削るようにアスファルトに落っこちた。


 あと少しだ。でも、体が動かない。重い大きな雨粒がコチの体をそれでも打ち付ける。


 もう少しだ。あの花に春を告げるんだろ?動け。そっと風が雨に混じってコチの体を揺らす。もう少しだよ。


 「あと、少し・・」


 半分水たまりに沈む倒れたコチの体。沈んでいない片方の目から、空が広がる。


 太陽がいない。厚い灰色の雲が空を覆っている。


 「なんだよ。情けない太陽だ。あの花を独りぼっちにするなよ。」


 アスファルトに体をこすりつけるように体を揺らすコチであったが体は前に進まない。


 暗雲が風に流れて、一瞬、厚い雲の隙間から光が漏れる。そして言った。


 お前こそ。あの花を独りぼっちにさせるなよ。


 太陽が、厚い雲をかき分けてコチに光を与えた。その時、風がコチの周りを覆う。


 コチの薄れゆく意識。オレンジ色の光の中、ひらひらと羽ばたくホリデイの影が何度も現れる。


「僕たちには自由の羽がある。」


 足が動いた。


 足が硬いアスファルトをしっかりと握る。ぐっと体が前に進む。もう一度、コチはゆっくりと体を引きずり前に進む。もう一度。


 いつの間にか、雨は止んでいた。高いフェンスの足元の隙間から雨に濡れた瓦礫と砂の大地が見えた。


 行け、もう一度。コチは何度も体を削り、前に進む。もう少し。もう少しだ。


 コチは、工事現場を囲むフェンスの下をくぐり、ようやく中に入る事が出来た。そこに、人間の姿はなかった。きっと、突然の雨で工事が一時中断されたのだろう。先ほどまで暴れ狂っていたあの機械の化け物は大人しく座り込んでいる。


 「あの花はどこ?」


 コチは、いつの間にか空に居座る太陽を見上げた。


 そうやって体を引きずって、どうやってあの花を見つけるつもりだ?


 風がコチの羽を揺らした。


 羽が動く。


 太陽のあたたかい光とそよぐ風は、いつの間にかずぶ濡れのコチの羽を乾かしていた。   


 コチは心の中で何度も思っていた言葉を口にした。


 「ありがとう。」


 どうってことはない。と、はじめて太陽が笑った。


 再び、風でコチの羽が揺れる。その羽は太陽の光できらりと光る。


「まったく、君はどれだけ待たせるんだ?」


 コチの目の前に、あのカメレオンが立っていた。変わらない口調だったが、どこか様子が違っていた。カメレオンの体が七色に光っている。その奇妙な姿を見ようとどこから連れてきたのか、カメレオンの周りはたくさんの鳥や虫の群衆に賑やかに囲まれていた。


 「ほら、あそこだ。きっと待ちくたびれているだろうよ。」


 カメレオンは、右手を広げて、あの花がいる場所を教えた。


 「お前は?・・」


 「いいから早く行ってくれ。これ以上待たせるな」


 コチは、カメレオンの変わっていく姿を見つめる。


 「そういう事か。」


 コチは、変わりゆくカメレオンに一瞥すると、瓦礫の大地で、負けず、地に立っている花を見つめた。


 「よし。ホリデイ。笑う準備は出来たか?見てろよ。僕の勇姿を。」


 コチは迷うことなく羽を動かした。コチの小さな羽はしっかりとコチの体を持ち上げた。


 「ごきげんよう。春だよ。」


 花が見上げた空には、太陽の色に輝いてきらめく大きな羽と大きな虹がかかっていた。


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灰色の空の下で花は夢見る。 @utatanekouta

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