第15話 落ち葉

 道路の片隅に落ちるコチ。乾いた音がなる。コチが落ちた場所には、冬の忘れ物、春の訪れを知らずに落ちた枯葉がまだ残っていた。ぐるぐる回る景色の中、コチの耳には、工事現場の重機が世界を破壊する音が鳴り響く。 

 「くそぉ、くそお・・」

  枯葉に埋もれるコチから聞こえるかすれた声は、工事の音で簡単に消された。 

 「ポンタ。あの宣伝は嘘じゃない。あの殺虫剤は、かなり効くよ。」 

 ぐるぐる回る視界の光がどんどん遠ざかり、暗闇が手を広げ、堕ちていくコチを迎える。 

 「ホリデイ。やっぱり僕は、ダメだな。」 

 枯葉に紛れたコチ。意識は暗闇に消えていく。  

(光?)

 眩しい光がコチを包む。

 (ここはどこ?) 

(天国?地獄はやめてよ?) 

コチの前に懐かしい景色が広がる。 

(ここは、あそこだよな?) 

(なんだ。思い出しているのか。)

 コチの前に現れたのは、昔の記憶。コチの近くにまだあいつ、今じゃ音沙汰のない希望がいた頃の記憶だ。 

 青空、太陽から降り注ぐ光は、緑の葉っぱをキラキラと輝かせる。

 キラキラの世界で、ヒラヒラと一匹の蝶が現れる。 

 太陽の光でキラリと花びらが風に揺れる。 

 その花は何かを待ち望み「まだか、まだか」と胸を踊らせる。 

 その様子をチラチラと太陽が覗く中、ヒラヒラと蝶が一匹、チラリチラリと羽を光らせ、花の頭上に舞上がる。

 「やあ。春だよ。」 

 懐かしいホリデイの優しい声が聞こえる。 花に春が訪れる。 笑って花は咲き誇る。 

 あの時、コチは、初めて知ったんだ。あの日のホリデイに声をかけようとも出来ない。そうだったここじゃ無理だ。 懐かしい光景を見てコチはふと思った。

 (そういえば、ホリデイにはずっと言ってなかったな。)  

 ホリデイがコチを見つける前から、コチはホリデイを知っていた。コチがまださなぎだった頃。さなぎの殻の一部を破ったもののなかなかそこから抜け出せず空を見ながら不貞腐れている頃だ。破れた殻の間からその光景を見ていた。眠い目を擦りながら、コチが見たその光景は、コチに青空を飛びたいとそう思わせた。 

 (僕はさなぎの頃からホリデイを知っていたんだ。)


 また、視界が暗くなる。 

 (次は夜?) 

 まだ、飛ぶのが下手な一匹の小さな蛾が三日月の下で、草むらに埋もれる小さな蕾を見つけた。 結局忘れる事なんて出来ない。あの時と同じようにコチの胸は高鳴った。 あの夜のコチ。その場を何度も行ったり来たりを繰り返す。あの日見た光景を思い出し、大きく深呼吸をしてようやく決心したコチは蕾に近づいた。茂った草の間から小さな影がひょこっと顔を出す。咳払いをして喉の調子を整えてから、コチは照れ臭そうにそっとその蕾に囁いた。 

 「やあ。もうすぐ君にも春が来るよ。」  

 蕾は聞こえてくる声の方向に耳を傾ける。きっとその蕾には、飛ぶ影の赤面した顔は見えなかっただろう。月だけが雲の隙間から覗いていた。 

 「君が花を咲かせた頃には、僕ももう少し飛ぶのがうまくなっているかな?まぁ待って てよ。僕が春を知らせに来るからさ。」 

 蕾はこくりと頷いた。 記憶は鮮明にあの日の記憶を映し出した。 

 「木枯らしのくせに。」

 コチはあの日のコチに言った。聞こえる訳がない。あの日のコチは振り返る事なく、青空の下をうまく飛べるように何度も夜空に飛び込んでいた。コチは、黙って流れるままの記憶を見つめる。記憶は、次々とコチの意思に反して、映し出される。 

 「木枯らしだ。」 

 声だって聞こえる。親切に水たまりに閉じ込められた虹だって映してくれた。 

「なぜじゃー。」 これは、蜘蛛のおじさんの悲鳴だ。 

 「いやー。来ないで。」 これは、花屋の花の悲鳴。 

 「ぎゃー」 これは、人間の悲鳴。 

 「わあーん。」 これは、人間の子供泣き声だ。 (全く。よく嫌われたもんだ。) コチは、闇の中、傍観席であるこの場所が、何だか安心した。この場所なら、静かで良い。悲鳴も遠くの方に聞こえるだけだ。  ジイさんの葉っぱが風に乗り、優しく擦れる音がする。その間から、キラキラと声が降り注ぐ 「おい。コチ。」 それと、笑い声。 (あれ?記憶じゃない。確かに聞こえたぞ。気のせいか?)

 (ホリデイ?) 

 気づくと、コチの前にホリデイが飛んでいた。ホリデイはこちらに振り返る事なく前に向かって飛んでいる。 

 (おい、ホリデイ。どこに行くんだよ?) 

 ホリデイは、黙ったまま飛んでいる。 (ホリデイ。待てよ。僕を置いて行くなよ。) 

 コチは、何度もホリデイを呼びかけてもホリデイは、振り向いてくれなかった。ホリデイが遠くに行ってしまう。 

 (待ってくれ。どこ行くんだ。ずっと探していたんだぞ。) 

 振り向かず先を急ぐホリデイ。まるで何かに導かれるようにどこかへ向かっている。 「行くなよ、ホリデイ。行っちゃダメだ。僕を独りにしないでくれ。」 

 記憶と一緒に大粒の涙が溢れる。


 「その蝶は、ここにやってきたのかい?」 あの花は、首を横に振った。


 もしかしたら、あの時から気がついていたのかもしれない。もうホリデイはこの世界にいないって事に。 ホリデイだったら、必ず、あの花に会いに行く。 

 「知っているか?蝶は約束を守るんだぞ。」 

 そんな迷信や面子の為じゃない。ホリデイはそんなの簡単に裏切る事が出来るんだ。ホリデイがあの花を放って置ける訳がない。 (知っているんだ。) 

 なぜ、ホリデイの羽が美しいのか? 「ただ蝶の羽を持っているからだろ?」ときっと知らない奴はそう答えるだろ。だったら、あのコチを木枯らしと嘲笑ったあの蝶たちと同じって事? 

 (一緒にするな。) 

 ホリデイの羽はいつも誰かの為に飛んでいた。その羽は灰色だったコチの世界を何度も春色に変えた。その羽がこの世界にいるだけで世界が美しいって思えたんだ。 

 (知っているよ。馬鹿野郎!)

 コチは、遠くに飛んでいくホリデイに向かって叫んだ。 ホリデイの羽が止まる。 突然、ホリデイがコチの方に振り向いた。  「おい。コチ。さっきから、ごちゃごちゃとうるせぇぞ。」 いつものホリデイの笑顔。遠くなのにとても近くに感じる。 「いつまでも寝たふり何かしていないで、早く行くぞ。あの花はお前を待っているんだ。」 いつもの朝のように、ホリデイがコチを起こす。いつも寝たふりをしていたから気づかなかった。ホリデイの微笑み。 「大丈夫。どんな事が起きても俺が腹を抱えて笑ってやるよ。」  

 ホリデイの笑い声。あの笑い声で何度救われた事だろう。世界で聞こえるのは悲鳴だけじゃない。たくさん笑い声があった。コチは、フッと笑って頷いた。 

 「いいから、早く行け。」 

 (おう。) 

 「なあ。コチ。お前のおかげで、良い春だったよ。」 

 (僕もさ。ありがとう。ホリデイ。)  「お、めずらしく素直じゃない?」 2匹は、あの日、青空の下で笑ったように笑った。

 「またな。コチ」 

 そして、ホリデイは笑い声を残して消えていった。


 視界がゆっくりと開かれて、うっすらとコチの世界が現れた。 いつの間にか、道路脇の家から年老いた人間がホウキ持って、家の前の道路脇に積もる枯葉の掃き掃除をしていた。 シャーシャーと年老いた人間はゆっくりとその鼓動に合わせた調子でホウキを掃く。冬の面影の残る枯葉を春に相応しくないとばかりにホウキは奏でる。 年老いた人間は、そこにコチがいる事には気づかない。枯葉色の羽を持ったコチと枯葉を区別するには、年老いた人間の弱った視力では困難な事だろう。コチと一緒に集められた枯葉は山になると、年老いた人間はちりとりを取りにまた家に戻っていった。コチの体はまだ動かない。 空は暗雲が覆い、太陽の姿が消えていた。そして、いつの間にかあのカメレオンがコチを見下ろし立っていた。

  「全く馬鹿げているよ。こんなちっぽけな虫の願いを聞くなんてね。ほらね、もう時間切れだ。私を見てみろ。消え始めている。今度は尻尾もちゃんと消えているだろ?」 ポツポツと雨の雫が空から落ちてきた。雨の雫は、消えかかった半透明のカメレオンの体を通過して地面に落ちる。

 「あーあ。もうどうでもいいけど。君の願いは、一体何だったんだろうね?」

 力ない声。カメレオンはスーッと消えていく。


 星が降り注ぐ夜。

 「君と虹を、一緒に見たい。」 

 確かに、あの時、コチは星に願いをかけていた。


 「虹が見たいんだ。」 

 コチは消え入りそうな声を振り絞って声を出した。消えゆく体のカメレオンは、うっすらと笑みを浮かべて、ふっと笑う。 「なんだ、その願い…」 カメレオンは消えていった。

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