第13話 ポン太
そいつは、長い耳をピンと立てこちらを伺っている。人間はこちらの様子には気づいていないようだ。コチが少し羽を動かすとそいつはビクンと動き、助けを求めるかのように檻をカリカリと叩いた。コチは人間に気づかれないようにそっと身を隠す。
カリカリと音を出すその必死な生き物に対して人間は知らん顔。「助けてくれ」とカリカリと檻が鳴る。
「ポンタ!」
人間がポンタに「うるさい!」と一括した。ポンタは、このうさぎの名前らしい。
ポンタはそれでも檻を叩いた。
「僕がでかい図体したお前を食べるとでもいうのか?」
ここにいる連中は、小さいコチに対して過大評価しすぎる。
うるさいポンタに対して、カランと餌箱にクッキーが投げ落とされた。ポンタの求めていた事はそんな事ではない。コチでもそれが分かった。どうやら、ポン太は人間と話す事ができないようだ。コチは、ようやくほっと一息つく事が出来た。あのビビりようだ、ポンタはきっとこちらに危害を加えてはこない。あんな怯えた生き物はさすがに見た事がない。
ポンタは、檻をカリカリする事の無意味をようやく悟ったようだ。じっとコチを見つめ、落とされたビスケットをちらっと見た。怯えていても食欲はあるようだ。だんだんとポンタの視線はコチよりも餌箱に転がったビスケットに時間を注ぐようになり、ポンタは恨めしそうにコチを見つめるようになる。「食べたきゃ食べればいいだろう。」とコチは思う。いるだけで加害者になる事にはとうに飽き飽きしているつもりであったが、やっぱり腑に落ちない。でもコチはポンタの視線に嫌気がさし、ポンタがビスケットを取れるように少しづつ餌箱から離れるようにゆっくり移動した。慎重に移動しながらも少しでも羽を動かすものなら、ポンタは後ろに仰け反りながら驚くものだから、少しの距離の移動も大分時間がかかる。でもポンタから見えないところまで遠くに行けばそれはそれでポンタを不安にさせるだろう。見えない恐怖っていうものはコチも理解している。しかし、どうしてここまでポンタに気を使わなければならないのか、コチが離れ、動かないか疑いながら何度もコチの様子伺うポンタはのそりのそりと餌箱に近づきビスケットを咥えてすぐに檻のすみに戻った。そして、すぐに鋭い目でコチの位置のズレを目で測り、動いていない事を再確認。ビスケットを一口だけかじった。ビスケットの味により少しだけ落ち着いたのか、ビスケットをかじりながらポンタの耳が少し垂れ身体の強張りが抜けていくのがわかった。少しするとコチの耳に鼻歌が届いた。もちろんコチの知らない歌だ。ビスケットをかじりながら鼻歌を歌うのが、ポンタのいつもの癖なのだろう。自然と歌っていたポンタは何かを思い出したのか、突然停止した。ポンタは鋭い目でコチを再確認すると、動いていない事を知り、また、ご機嫌に歌い始めた。
少しでも動く事に気を使うこの場所でコチはどうやってここから抜け出すかを考えた。そういえば自動販売機の上で話していたあいつは人間の住処からどうやって抜け出したのか?コチはやっぱり思い出せなかった。情報があっても肝心な時に出てこない。自動販売機から生まれた話はどうも肝心なことがボヤける。ポンタの檻からはテレビと月がよく見えた。透明なガラスの向こうにある月、もう一つガラスの向こうからは賑やかな映像と音が漏れる。月はとても遠くに行ってしまった気がした。
格子状の檻はなんだか蜘蛛の巣を思い出した。でもあの時とは、少し違う。コチはどこかで何とかなるって思えた。少しホリデイの楽観主義が感染したのかもしれない。またどこかでホリデイが現れる気さえした。
「ホリデイはいなかったぜ。」
突然声がした。すると、またあの尻尾が現れた。再びカメレオンがコチの前に姿を現した。
カメレオンは、人間とポンタが観る華やかなテレビの前に齧り付いた。どこか、憧れの表情だ。カメレオンは少ししてため息をついた。カメレオンはとぼとぼとコチに近づく。ポンタと人間には、見えていないのだろうか?いや、今はテレビの内容が気になるのだろう。ポンタはコチをチラッと見ては、テレビ番組の内容に置いてかれないようにしがみつくように見ていた。
「ホリデイがいなかったってどういうことだよ?」
「いないっちゃ。いないって事だろ。そんな事より、君、嘘ついただろ?君の本当の願いは、ホリデイを探す事じゃないろ?」
カメレオンは、うんざりした顔でコチに聞いた。
「願い、願い、ウルサイな。見ればわかるだろ?ここから出してくれよ。」
カメレオンに負けないくらいうんざりした顔でコチは言った。カメレオンはキョロキョロと周りを見渡す。
「それは君の本当の願いじゃない。勘違いはするなよ。私は便利屋じゃないのよ。ホリデイの件はサービスだ。でも、もうこれ以上は無理。君は見ようとしていない。そんな君には付き合いきれないのよ。」
呆れた様子のカメレオンにコチは苛立ちながら答えた。
「知るかよ。お前が勝手に僕の前に現れたんだ。それよりもホリデイは一体どこに行ったんだよ?」
カメレオンはコチの質問に答えることなく再び消えた。
「また消えやがった。」
もう驚くことはなかった。そんな事より目の前に映るテレビの方がよほど信じられない光景だ。
「ホリデイがいないだって?あいつ勝手な事ばかり言いやがって。」
そうだよな?と窓越しに見上げた月はただコチをまっすぐ見つめていた。
「おい。やめろ!やめろ!くそっ。またあの野郎チャンネルを変えやがった。」
見た目に反してうさぎのポンタは口が悪かった。ポンタはニュースには全く興味がない。なぜなら、ニュースを知ったところでうさぎにとっては何も意味のない事だからだ。人間の片手にあるリモコンのボタン一つで、テレビ画面が切り替わる。どこの世界も、人間の都合の良いようにできている。
「おい。CMだぞ。チャンネル変えろよ。」
うさぎは、懸命に人間に訴えるが、人間は聞く耳を持たず中身の無くなったグラスを片手にソファを離れる。ポンタはテーブルに置かれたリモコンに悲痛な眼差しを送るが羽のないリモコンはじっとしたままだった。テレビ画面はあのリモコンが支配している。あのリモコンさえあれば、この世界はポンタの物である。
「なんだよ。ドラマの続きを観せろ。馬鹿野朗。」
口の悪いうさぎは「あーあ」と言いながら、背筋を伸ばした。そして、何気なく餌箱に近づいて行くとようやくコチの存在を思い出した。はっ、とコチの方に目をやるとコチは先ほどの位置から動いていなかった。死んだ?少しホッとしたポンタは動かないコチに小声で話しかけた。
「おい、お前。死んだのか?」
コチは何も答えなかった。ポンタがそーっとコチに近づいてくる。コチはじっとその動きを観察していた。近づくポンタがコチの許容範囲を超えてきたところでコチは羽を少しだけ動かした。それを見たポンタは、仰け反りながらコチから一番離れた檻の隅に必死な形相で逃げて行った。
「騒々しい奴だ。」
ホリデイがここにいたのならきっとこの状況も笑えるのだろうが独りぼっちのコチにはこのうさぎは、鬱陶しいだけだった。再び「助けて」とカリカリと檻をひっかくうさぎに人間は目もくれなかった。コチがすでに飽き飽きしているようにこの臆病もののウサギに人間も飽き飽きしているのだろう。
でもポンタで良かった。見たことない同士はお互い警戒するものだ。知らないってことは恐怖だ。でも逆手に取れば、時に自分を怪物に変えることだってできる。だから、簡単に逃げてはいけない。自分は怪物なんかじゃないってことが、すぐにバレてしまうからだ。ポンタは怪物ではないってことをすぐに教えてくれた。全く馬鹿正直なやつだ。馬鹿正直が怯えた声でコチに言った。
「おい。お前いつまでそこにいるつもりだ。」
声は震えていたが、口調は相手より優位に立ちたいと強がっていた。コチは、ポンタの声を無視した。答えた所でコチにとっては何の得はないだろう。
「僕があの二人にお前の居場所を教えてやってもいいんだぞ。そしたらお前はあの世行きさ。早くここから出て行った方がいいぞ。」
コチは、何度も人間にコチの居場所を知らせようとしていたポンタを見ていた。ポンタは正直者だ。嘘がすぐにバレる。きっとここが一番安全だ。コチは確信した。何も答えないコチに対してポンタは喋り続けた。
「分かる?ボクガ、ニンゲンニ、ツタエル。」
今度は身振り、手振り合わせてコチに言った。もちろんコチは何も答えない。全く動かないコチを見て、だんだんとポンタの耳は垂れ下がっていった。
「なあ。ここは僕の部屋なんだ。勝手に入るのはマナー違反なんだよ。年頃の女の子だったらそんなパパにブチ切れているぞ。」
ポンタは徐々に体勢を変え、いつものポンタのスタイルなのであろうダラシなくその場に寝転がって話を続けた。
「窓は閉まっているから外にはいけないだろ?お前は羽があるのに残念だな。僕も残念だ。羽の生えたお前に僕がオススメする場所はあそこだよ。」
ポンタはテーブルの上のリモコンを指した。
「僕ならあそこに行く。そうすれば好きなテレビ番組が見放題だ。なんで僕はこんな狭い部屋に閉じ込められているんだ?」
ポンタの話はコチを無視して勝手に進んだ。
「お前はどこから来たんだ?」
「無視かよ。別に興味ないよ」
「あのガラスの向う側にはさ。お前みたいな奴がいっぱいいるのか?」
「無視かよ。お前みたいのがいっぱいいるのか。あー嫌だ。嫌だ。反吐が出るね。」 コチは何も答えなかった。それでもポンタはコチの返事も聞こえないのに話を続ける。「変な奴だ」と思ったコチは何気なく月を見上げた。
「僕はすごい所から来たんだよ。お前に教えてやろうかな?どうしようかな?知りたい?えー、そんなに知りたいなら教えてやるよ。」
黙ったままのコチに対してポンタは容赦なかった。ポンタに「結構です。」と一言伝えれば黙ってくれるだろうか?きっとまた鬱陶しく慌てふためく。それもまた煩わしい。 「きっとお前も驚くぞ。おいおい。僕がこんな所に好き好んで住んでいるとでも思ったか?マジかよ。やめてくれよ。僕には帰るべき故郷があるんだよ。」
イライラする。
「こんな時どうすればいい?」そう思ってコチは再び月を見上げるとポンタの声が聞こえる。
「月から来たんだ。」
思わずコチは月を二度見した。
「さあ、どうする?」
聞いてもいないのにポンタは、自分は月から来たんだと言った。ポンタは正直者だから嘘を付いている訳ではないらしい。嘘ならすぐに分かってしまうからだ。詳しい話を聞きたがったがポンタ自身故郷の事をあまり覚えていないらしかった。故郷の事は人間から聞いたのだと。怪しい。でも・・。コチは昨夜の事を思い出し、キュッとなった。コチは夜空を見上げるがポンタはうるさく話を続けた。鬱陶しい。
動かず何もしてこないコチを気に入ったのか、ポンタは、独りで話を続けた。今、テレビで流れていたドラマの話。ここに住む二人の人間の癖や二人の関係。気が付いた時には、気持ちよさげに身振り手振り話している。ずっと話し相手を探していたかのようだ。
「僕は、ビスケットが大好きなんだ。ここにある餌はどうも口に合わない。食べられない事はないのだけれど、あえて残すんだ。そうすれば心配した人間が僕にビスケットをくれるからね。」
突然、ポンタが、テレビを見ろと言った。 「これこれ。」 ポンタは鬼の首を取ったような顔をしてテレビ画面に集中していた。テレビ画面にはコマーシャルが流れていた。そのコマーシャルはスプレー缶から噴射された煙が部屋いっぱいに充満し、目をバッテンにした様々な虫が次々と死んでいく様をとてもコミカルな描写で描いていた。殺虫剤のコマーシャルだ。 「一撃噴射。これでイチコロだ。」 そのコマーシャルを見てポンタは笑いながら勝ち誇っていた。
いつの間にか部屋の電気が消され夜になった。人間はこの部屋から出て行きポンタはイビキをかいて寝ている。太りすぎだ。コチはそーっとポンタの檻から抜け出した。 そして、部屋の窓に近づき、カーテンの隙間から、月を覗いた。 「なあ。ホリデイを見なかったよな?」 窓の外にホリデイが現れるんじゃないか、なんて思ってしまう。 開かない窓ガラスにペトっと張り付いたままどれくらいの時間が経っただろうコチはじっとしていた。じっとしている事に苦痛があるはずがない。太陽がいる世界ではじっとする事になれていたから。自分はこの世界には存在していないかのように。自分が動かなくても勝手に時間は流れた。世界は光輝いていた。遠い昔、羽が欲しかった。春を告げる喜びの羽。遠い昔の記憶さ。もうどこかで失くしたよ。広げた羽は悲鳴を残した。花屋の花の悲鳴が聞こえる。人間の悲鳴が聞こえる。あの花の悲鳴が聞こえる。
ホリデイになんか会わなければ良かった。
あの花に会わなければ良かった。
月はもう遠く離れていた。
「嘘です。」
コチはボソッと言う。
「それだけは失くさないで。」
じっとしている事に苦痛はないなんて嘘である。
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