第7話 大脱出

「コチ。おい、コチ。」


 声がした。誰かを呼ぶ声。コチ?


 見上げるとあの蝶がいた。


 「待ってろ〜。今すぐお前をここから追い出してやる。」


 コチは何がなんだか分からなかった。


 「なんで、またお前がいるんだよ。」


 ホリデイは怒鳴るコチを無視してコチに絡まる白い糸を見て考えていた。





 コチの近くを飛ぶ蝶に蜘蛛も気がついた。蜘蛛のおじさんは血相を変えてホリデイを追いかけた。


 「春だぁ。春の恵みじゃ。」


 先ほどの落ち込みが嘘のように、蜘蛛のおじさんは糸から糸へぴょんぴょんと跳ね、ホリデイを追いかける。


 「わっ、わっ!なんだ?こいつ。」


 ホリデイは慌てて逃げる。蜘蛛のおじさんは、逃がさないようにお尻から糸をぴゅっぴゅっとホリデイに向かって発射した。ホリデイは、それをヒラヒラと上手にかわす。それでも何度も飛んでくる糸、ホリデイはコチの背後に回り、上手にコチを盾にして糸から逃げる。


 「おい!お前。何してんだよ?」


 目の前を何度も通り過ぎる白い糸を見て、コチが叫ぶ。


 「そんなに怒るなよ。俺が捕まったら俺たち終わりだよ」


 蝶の言う通り、豹変した蜘蛛にコチは身震いした。蜘蛛は時折奇声をあげて我を失っている。


 「なんで戻ってきたんだよ?」


 慌てて羽を翻し、糸を避けるホリデイにコチは落ち着いた声で聞いた。それもそうだ。コチは動けない。今、忙しいのはホリデイだ。


 「飛んでいて気がついたんだよ。空があればここは俺の居場所だろ?なんで俺が追い出されなきゃいけないんだってね。俺がお前を追い出すんだ。だからさ、助けてやるよ。」


 ホリデイは息を切らせながら、そう言った。


 「どんだけだよ。」


 コチはこんな状況で少し吹き出した。そしてコチは忙しそうな蝶に向かってずっと気になっている質問をした。


 「なあ。お前さ。一体僕をどうやって助けるつもりなの?作戦はあるのかよ?」


 ホリデイは何も答えなかった。するとホリデイは、逃げるように空高く飛び去ってしまった。





 「えっ。」


 コチは突然の出来事に、呆然とホリデイが見えなくなるまでただ目で追うことしかできなかった。蝶が空に消えてコチは答えを探した。


 「諦めた?」


 蜘蛛のおじさんもコチに呆然と聞いた。


 「行っちゃったの?」


 コチは、誰もいなくなった空を見ていた。蜘蛛のおじさんも空を見ていた。


 時間の経過がコチに答えを導き出す。


 「なんだよ。あいつ、結局逃げちまったじゃないか。」


 コチが文句を言っていると、隣で同じ空を見ていた蜘蛛のおじさんが言った。


 「そんなにすぐ諦めるな!大丈夫。春の恵みは戻ってくる。あいつは、お前に助けると言ったじゃないか。知ってるか?蝶は必ず約束を守る。まだ希望は残っているぞ。」


 蜘蛛のおじさんの話す口調は落ち着いていた。そして、ホリデイが戻ったときの為にと新たな白い糸をお尻から出し、黙々と蜘蛛の巣を紡ぎ始めた。あの泣いていたおじさんの目は、今、イキイキとしていた。感情の起伏が激しい蜘蛛だ。


 「へえ。蝶は約束を守るのか。」


 コチが空を見上げていると、空から叫び声が聞こえてきた。あの蝶の声。


 本当だ。蜘蛛のジイさんの言う通り、蝶は戻ってきた。


 「ィヤァー!!」


 ホリデイは叫びながら慌てた様子でがむしゃらに羽を動かし、まるで空から落ちるようにものすごい速度でコチに絡まる蜘蛛の巣に突進し、糸を突き破る事なく、そのまま見事に蜘蛛の巣に捕まった。


 また呆気にとられるコチ。 


 「捕まった?」


 ホリデイにがっしり絡まる糸を見てコチは泣きそうになる。


「嘘だろ?これがおまえの作戦?捕まっちゃったじゃん?」


 コチの言葉を蜘蛛のおじさんの狂喜した奇声が打ち消した。


 「ひゃー。ついにやったぞ。春だ。春を手に入れた。」   


 泣き顔のコチ。でも、ホリデイの目は下を向いてはいなかった。


 ホリデイはコチと目が合うと、合図するように上を見上げる。


 ピエー!


 空が暗くなった。


 いや、大きな影だ。


 そのまま大きな黒い影が勢いよく蜘蛛の巣に絡まったコチとホリデイ目掛けて突っ込んできた。


 ピエー!


 鳥だ。


 勢いよく降り注ぐ鳥のクチバシがコチとホリデイの間に通過し、そのまま蜘蛛の巣を突き破った。ツツジの枝の中で体勢を整える鳥。翼に白い糸のついた鳥は気持ちが悪いのか、それを振り落とそうとその場で羽をバタつかせ暴れ回る。その度、蜘蛛の巣は、破壊されていった。


 コチはあまりにも突然の事で一体何が起きたのか分からなかった。


 「もしかして、この鳥、お前が?」


 「どうだ。良い作戦だろ?」


 ホリデイは、鳥が突っ込んだ衝撃で、ほつれた糸をひっぺ剥がしながら得意げにそう答えた。


 ピエー


 白い糸にイライラした鳥の声。突然、鳥は動きを止め、糸で縛られたコチと目が合った。コチを縛る糸は、まだしっかりとコチを捕まえていた。


 まずい。


 すると突然、コチの目の前に、ひらりとホリデイが現れた。鳥は、コチではなく、ひらりと動く蝶に標準を合わせた。


 「いいか。一瞬だぞ。」


 ホリデイは、鳥に意識を集中しながら、後ろのコチに合図を送る。鳥の丸い目がキラリと輝き、鳥は勢い良くホリデイ目掛けて突進する。


 「さあ。一緒に行くぞ。自由の空へ。」 


 ホリデイは、鳥の突進をひらりと交わし、空へと向かって羽ばたいた。


 ひらりと獲物が目の前からいなくなった鳥は、ホリデイの後ろで捕まるコチに向かって突っ込んだ。コチのすぐ隣を通過する鳥のくちばしをコマ送りにコチの見開かれた目が捉える。すれすれだった。息を飲む。まだ体は固まっていた。ホリデイの叫ぶ声が聞こえる。


 「今だ。飛べ!コチ!」


 コチは、羽に意識を向ける。動く。糸がほつれふわふわとコチの周りに漂っている。コチは思い切って羽を羽ばたかせる。ダメだ。羽は動いても、白い糸がまだコチの足にしつこく絡みついて離さないでいた。もう少し。コチは、力いっぱい小さな羽を動かす。ムクッと起き上がった鳥が、小さなコチに気がついた。鳥はその場を離れる事のできないコチにゆっくり近づいてくる。


 「何をやってんだよ。早くしろ。」


 上空でホリデイの苛立つ声が聞こえる。


 「足に絡まった糸が取れないんだよ。」


 確実に近づいてくる鳥。その瞳に映る自分のもがく姿が見えた。焦るコチの前に再び、ホリデイが降りてきた。


 「こっちだ。こっち。」


 ホリデイは必死に自分に注目させるように鳥の前で騒ぎ立てる。鳥の目線は少しだけ、ホリデイに向くが、すぐに標準はコチに再び合わされた。コチの見上げる上空には、青い空にゆっくりと流れる真っ白な雲。それと太陽がいた。太陽は何を見つめる?そこから美しい世界は見つかったかい?


 コチは、まだ諦めていない。


 鳥の目が光る。


 「自由の世界だ。」


 コチは力一杯青空に向かって羽を動かした。


 そして、弾けるように、糸が外れた。


 外れた糸は、弾くようにコチを上空に飛ばした。間一髪。コチに逃げられたクチバシが再び蜘蛛の巣に突っ込んだ。


 「よし。きた!」


 ホリデイは、上空飛び上がったコチを確認し、「ヤッホー」と空に向かってはしゃいで飛び上がった。


 ホリデイがチラっと下を見ると失った世界を呆然と見据える蜘蛛がいた。鳥は、破壊された世界で、絡まる糸を取り除こうとまだ暴れている。ホリデイは、はしゃぐ気持ちを抑え鳥に気づかれないようにそっと空に羽ばたいた。


 「おーい。どこまで飛んでいくんだよ。コチ!」


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