第6話 青い空


 「お前、この状況で、何で、笑っているんだよ。」


 コチは、思った通りの言葉をホリデイにぶつけた。


 「こんな奴と対面して、笑わない方がどうかしているだろ?お前もこっちの立場になってみろよ。」


 ホリデイは、空を転げ回りながら笑っている。そんなに間抜けな姿なのか、何度首を動かしてみても、もちろん自分の姿を見ることはできなかった。


 「ここに何しに来たんだよ。冷やかしに来たなら、早くどっかに行けよ。」


 コチは、なんとか強がってホリデイを突き放した。


 「お前はどこでも俺を追い出す気だな?空を見ろよ。ここは俺の世界だ。嫌ならお前が出ていけよ。」


 コチは、一瞬何かを考えた。そして、違う事にすぐに気がつく。


 「この状況見てわかるだろ。出て行きたくても出て行けないんだよ。」


 コチはホリデイに言葉を叩きつけた。それを聞いたホリデイは宙を転げ回ってまた笑う。


 「なんだよ。助けてほしいのか?」


 「そうです」とコチは素直に言えなかった。コチはグニッと顔を歪ませる。こんな状況で笑う奴も意地を張る奴もどうかしている。


 「そ、そ、」コチがドロのようなプライドで作った盾を下ろそうか四苦八苦していると糸を伝って奇声が聞こえてきた。


 「なんたる幸運。やっとやっと出会えたぞ。」


 またあの声だ。さっきに比べるとかなり興奮した声だった。


 「おい。お前の上を飛んでいる蝶は、お、お前とどういう関係じゃ?」


 コチはホリデイを見る。


 「ほら。助けて欲しいって言っちゃえよ?」変わらずそうはしゃぐホリデイ。ホリデイには、この興奮した声は聞こえていないようだ。


 「関係?こんな奴、僕と何の関係もないよ。」


 糸に向かって答えるコチ。


 「ん?何?」とホリデイは眉をひそめる。  


 再び糸から答えが返ってくる。


 「いいか。よく聞くんじゃ。その蝶を捕まえるのだ。その蝶は、私の作ったこの世界に必要な存在じゃ。」


 コチは、どういう事かわからなかった。だから、聞き返す。それだけの事がさっきは、なぜ出来なくなっていたのだろう。ホリデイは、様子のおかしいコチを不思議そうに見ている。


 「なあ、声よ。こいつは、あんたの作った世界を気に入らないと思うよ。こいつは、太陽の世界が好きらしいからね。第一、お前の言うこの幸運の白い糸のせいで動けやしないよ。どうやって捕まえるんだよ?」


 コチの答えに、声は少し怒りで震えていた。


 「うるさい。黙ってわしの言う事を聞くのじゃ。いいか。お前は動けなくても、その蝶に助けを求める事が出来るだろ?そうすれば蝶はこの白い糸に必ず触れるんじゃ。この白い糸はこの蝶にべったりとくっつき離さない。そして、もがくうちにもう逃げる事が出来ないほどに身体中に糸が絡みつくのじゃ。お前は動かなくて良い。助けを求めるだけじゃ。あとはわしのこの糸がなんとかする。なんて簡単じゃ。やはりわしはすごい!」


 そして、興奮した声は、続けてコチにこう言った。


 「あいつを捕まえる事が出来たら、お前を白い糸から解放してやる。そしたらお前の言う通りここから逃がしてやる。自由だ。」


 コチは下を向き黙っていた。様子のおかしいコチにホリデイの顔はもう笑っていなかった。


 「お前、さっきから何ブツブツ言っているんだよ。大丈夫か?」


 コチは空を見上げた。


 ホリデイが真面目な顔をして近づいて来る。コチの脳裏に、糸からの言葉がこだまする。ホリデイが、コチを縛り付ける白い糸に手を伸ばそうと、すぐそこまで来ていた。


 「どっか行けって!」


 コチの怒鳴り声は、空高くまで響いた。その勢いで、困惑した表情のままホリデイは固まった。続けてコチは、言い放った。


 「僕はお前が嫌いなんだ。いいから、僕の前から消えてくれ。」  


 ホリデイの困惑した顔はたちまち怒りに満ち溢れた。


 「そうかよ。じゃ勝手にしろ。俺だってお前なんか好きじゃない。」


 そう言うと、ホリデイは大きな羽を翻し、飛び去った。


 蝶が青い空に消えた。


 「なんて事をしてくれたんだ!」


 コチの耳に発狂した声が届く。もうさっきまでの飾り付けた声じゃない。ホリデイの出現によって、本当の姿のお出ましだった。蜘蛛は、すーっと糸を伝って、コチの前に降りてきた。別に驚きはしない。こいつは蜘蛛の巣の主人で、小さな蜘蛛だ。小さなコチよりももっと小さい。その小さな顔は怒りで歪んでいた。


 「なんで、あの蝶を逃したんだ?」


 怒りのせいなのか、蜘蛛のぶら下がる糸が右へ左へと振られる。


 「別に逃したわけじゃないよ。あいつが勝手に出て行ったのさ。」


 そう言えばやっとあいつを追い出す事が出来た。一勝一敗だな。コチは思った。


 怒りに震える蜘蛛を少しでも落ち着かせようとおどけて首をかしげるコチだったが、やられた蜘蛛の怒りはヒートアップしていくばかりだった。でも、さっきまでの恐怖はコチにはなかった。さっきは知らないというだけで、恐怖はいくらでも大きくなり、絶望はコチの空を飲み込んでしまった。小さな蜘蛛がいくら怒っても、コチの見上げる空は今も青いままだ。


 「なんで、助けを請わなかったんだ?知らんぷりして、助けてもらうふりだけしていれば良かっただけだ。お前は頭が悪いのか?あの蝶が、糸に絡まってしまう事はただの事故であって。誰もお前を責めたりなんかしない。完璧な作戦だったじゃないか。お前がいくら正義感を振りまこうが、誰もお前を認めてなんかくれやしない。お前は、小さく、汚い、クソ不味い、嫌われ者の蛾なんだからな。」


 怒りで、右へ左へと糸は激しく揺れる。コチは揺れる蜘蛛の奥で広がる青い空を眺めていた。


 「よせって。そんな事、あんたに言われなくても知っているよ。」


 そして、突然、蜘蛛はしくしくと泣き始めた。どうやら情緒不安定のようだ。


 「わしの世界にようやく春がやってきたと思ったら春は突然、姿を消してしまった。わしはこの場所を作ったんじゃ。わしの設計図で作ったこの世界にどうして悲しみが訪れるのじゃ。喜びに満ちた春はどうやって作るのじゃ。春の恵みはいつやってくる?ここに来るのは、こんな小さな蛾やハエばかりじゃないか。」


 悲しみを背負った蜘蛛が糸にぶら下がりゆらゆら揺れる。


 「なあ。蜘蛛のおじさん。春を待っているなら僕は邪魔だろ?僕は、春には縁起の悪い名前を持っている。その名も「木枯らし」どうだ?僕がここにいたら、いつまでもここには春は訪れないよ。僕をここから解放してみてはいかがかな?」


 悲しみを背負った蜘蛛は、糸がねじれてしまった反動だろう。お次は、その場をくるくると回っている。蜘蛛は、悲しみの世界で、ポツリポツリと言葉を落とす。


 「なぜ?わしに意見を言う。ここはわしの世界じゃ。この世界はわしの思い通りじゃなきゃならん。木枯らしか。わしの悲しみの世界によくお似合いじゃ。」


 悲しい蜘蛛のおじさんの姿にコチは口を歪めた。


 「そんな事言うなよ。希望を捨てるなよ。春はまたすぐやってくるよ。」


 道路は騒々しく車が行き交う。コチはちょっとづつ排気ガスの臭いにも慣れてきた。でも蜘蛛は臭い臭いと泣き喚く。蜘蛛はツツジの蕾の花に気がついているのだろうか?蜘蛛は自分の世界しか見ていない。もう春はすぐ近くまできているのに。蜘蛛はいつまでも排気ガスの漂う曇った世界を作り続けている。コチにはツツジの蕾を見ることができる。心の白い糸はどうやら解けたみたいだ。コチは蜘蛛の世界の居住者にはならなかった。コチは思った。きっと、あの蝶はコチを助けなかったわけじゃない。あの蝶が来てからここは、やたらと空が綺麗に見えるからだ。

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