第31話 なつみの回想#4

「やってしまった…………」


 僕は今まさに玉砕されたのだ。人生で一番惚れたと思い、その衝動のあまり駆け出して彼女に声をかけたのだ。


 名を天堂なつみと言った。「天堂」は苗字としてはそれほど珍しくないが、今監視対象にしている人物と同じ苗字だ。そういえばその家系には娘が三人いたな。あの二人が姉妹関係であるなら、もしかしたらなつみさんを〝協力者〟にできたのに。


 天堂の身辺調査が今回の任務となっているのだが、果たしてなつみさんがそれに関与しているのか、特に得られた情報がないため進展はない。

 しかしふと気が付いたことがあった。


「そういえば、天堂の娘さんって二人はテレビに出てる有名人だよな。それに両親もその方面では国民的知名度を誇ってる。でも彼女だけは……」


 これは、もう少し詳しく調べてみる必要があるようだ。


 職場に戻って天堂家の戸籍情報を調べてみると、やはり演歌歌手の父、大女優として名高い母、ともにファッションデザイナーの二人の姉妹ともう一人、僕より二歳年上の女性がいる。とくにメディア関係の仕事はしていないようだ。両足を怪我したのも数年前で、それまでは随分と陸上長距離の成績が目立っている。交通事故で選手生命が絶たれてしまったなんて、かなりの不運だっただろう。


 しかし、天堂が何かしら右翼団体と資金のやり取りをしているのは分かっている。だがその証拠とルートがまだ不明確だ。もっと情報が必要だ。彼女との接触が不発に終わってしまったが、ここからはお得意のだ。


「しっかし可愛かったなー、なつみさん」


 今は捜査の対象としているが、話しかけるまでは本気でお近づきになりたいという邪な考えがあった。なんとか自分のなかで日常と捜査の切り替えができているが、本人を目の前にすると心臓が高鳴るのだ。

 どうか彼女が悪事に関わっていませんように。と私情を挟んで捜査を続けたのは、今までで初めてだった。



 ***



 夕方、家に帰ると、やはり姉の吹聴を聞いた母を妹が迫ってきた。


「あんたが男に言い寄られるのは誰のおかげだと思ってるの? 女優である私とお父さんの遺伝子のお陰よ。それなのに障害者如きで気取ってんじゃないわよ」

「結局フッたの⁉ ウケるんですけど! まああんな男の服のセンスじゃヤだわ!」

「へー。なんかアンタに男が寄ってくるとか、ムカつくんですけど。足じゃなくて顔面事故ってればよかったのに」


 私はいつもこういう言葉を受け流すのには慣れてきてはいるが、「障害者」という差別意識が一番の凶器だった。自由になったはずなのに、喰らう刃は鋭利さを増している。

 ただ耐えればいい、というのは逆転のチャンスがある時にしか有効な考え方だ。手段も何もない今の私には、耐え続けることは苦痛を蓄積するだけになる。だからいつもより、気分が重い気がする。


 すると父が帰ってきた。いつもと違い、スーツ姿でネクタイを上まで結んだままリビングに入ってきだ。父は剣幕な表情をつくり、私の方へと足音を響かせながら近づいてくる。


「おい、なつみ! お前が話した男、一体どこのどいつだ!」


 父は私の目の前で飛沫を含んだ尖り声を飛ばす。


「や、山代辰樹っていうユーチューバーをやってる人だったけど」


 父は額に皺を寄せて不快を示した。


「ちっ、こそこそと嗅ぎまわってきたか。何か聞かれたか」

「家族全員がテレビに出てる有名人かって」

「なんだ、ただの凡人か。だが身元を偽っている可能性だってあるか……」


 父は一人で独り言を呟き、何かを必死になって思案しているようだった。そこに母

が機嫌を収めようと父と小声で話し出す。


「あなた、警察でもそんな真似するの?」

「有り得る。特に公安警察は一般市民を装って近づいてくるからな。奴らは協力者を得るためならなんだってする。もしかしたら例の計画も今のうちに手を打っておかなければ水の泡になるやもしれん」


 云々。

 所々聞こえにくかったものの、警察がなにやら関わることらしい。それに「例の計画」とは一体何なのか。見たところ父と母の二人が関係している。

 父の不機嫌から始まった意味不明なやり取りに、姉と妹も理解できていないようだ。姉が恐る恐る手を上げて聞く。


「とーさん。何の話してんの? さっきから警察とか計画とか、うちら全然分かんないんだけど」

「お前たちには知らなくていいことだ。気にするな。邪魔して悪かった」


 父は母を連れて別室へ行ってしまった。私を含め、二人は首を傾げる。あまり良からぬことに思えてくるのだが。

 なにはともあれ、私に対する罵倒は止んだので、二人を置いて自室へ戻ってしまう。


 廊下を車椅子で移動していた時、玄関のベルが鳴った。一番近かった私がインターホンで来訪者を確認するが、見ると複数の人物がずらりと映っていた。それも全員が紺色の制服をしている。


「えっ、け、警察⁉」


 何度も確認するが、その恰好は間違えようもない警察官のものだった。これはあれだ、犯人の自宅に大勢の警官とスーツ姿の刑事さんが令状を見せて「同行しろ」と言うシーンだ。


『すみません。天堂美鶴さんと天堂亜津子さんのご自宅ですよねえ? 夜分遅くに申し訳ないのですが、裁判所から逮捕令状が出ていますんで。同行願います』

「えっ⁉ れ、令状…………⁉」


 予想通り、ここに来た警察たちは逮捕のつもりできたんだ。今までにない状況にその場で茫然としてしまった。

 今すぐ返事をしようか迷ったが、後ろから父と母が風を切って走ってきた。二人は慌てふためいた様子で私を物理的にどかし、インターホンを覗く。刹那、父は絶望の淵に立たされるかのような形相になる。


『天堂さーん。いませんかー? 強行して入りますよー』

「いるいる! 私ならここにいる!」

 強行突破でもする準備をする金属音が聞こえたからか、父は警察の呼びかけに、反射的に答える。


「ここまでか……」


 父と母は観念したような表情をして仰ぐ。

 その後、家に十数人の警察官が入ってきて、父と母に手錠をかけた。

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