第28話 なつみの回想#1
私は二年前まで自由がなかった。
『お前の才能は天堂の遺産だ』
私の家は、家族先祖の全員が芸能関係の仕事をしている。裏方ではなく、役者やタレントなど、表向きに活動する方だ。父は大御所の演歌歌手。母は女優。姉と妹はどちらもファッションモデルとして名を馳せ、タレントとしてテレビにも出ている。
そして私はというと――
「あら、なつみは陸上しかないでしょう?」
「母さーん。それは可哀想だよー。なんとか陸上でちまちま名前を売ってるんだよー」
「姉さん口わる~い。まあ陸上をそこまでやれるんだったらぁ、主人公が陸上で青春を掴む、みたいな汗くっさいドラマにでも出れるんじゃないのぉ? まああんな大根だったら採用もされないんじゃなぁい? 足も大根だしぃ」
「オホホホ」「「アハハハハハ」」
幼少から秀でた陸上の成績で、陸上選手として活躍していた。
だから私は家族の中でのけ者扱いされていた。
私を囲む環境はすべてが芸能だった。だからまだ姉とも仲が良かったときは、一緒にファッションモデルを立ち上げよう、と約束までしていた。
しかし姉は五歳で子役としてデビューし、その後いったんは引退するも、念願のファッションモデルになる。当然私も憧れたが、子役のオーディションではいつも不採用だった。母もこの頃はやさしく、幾度となくチャレンジを応援してくれた。
やがて五歳離れた妹が生まれた。私はまだ役者の道を諦めていなかったが、妹が成長するにつれて、母の私に対する目線や扱いは荒くなった。
役作りのために始めたトレーニングとして、私は父の勧めでランニングをするようになる。もとはと言えば、すでにテレビ出演している姉のためのものだったけど、この練習で私は持久走が得意だと知った。
『なつみ、お前陸上やってみないか?』
何もかもが上手くいかなかった私にかけられた、父の言葉。これがきっかけで陸上の道に足を踏み入れたのだ。
小学四年から全国を獲るようになり、小学校卒業までに獲得した賞状やメダルは壁一面に貼りつくされた。中学も全一を獲る、とまで期待されたその時だった。
『お姉ちゃん、わたし子役になったの』
妹が子役に抜擢された。その知らせは直接妹から聞かされた。当時まだ五歳の妹は可愛くもあり、こちらに向ける無垢な笑みは、かえって私の焦燥を掻き立てた。
――自分だけができない
劣等感が頭の中に渦巻き、今まで飾ってきた功績の一切が、ただの紙か金属にしか見えなくなってしまった。
私にとって陸上は芸能入りへの手段であり、オリンピック出場や世界的に有名になることは、芸能界へ足を踏み入れるための一歩に過ぎなかった。
先の長いゴールを見定めようにも、つい眼を反らしてしまう自分がいる。
「私だけできない」
一人取り残された自分を救うのは結局自分だ。だから私は陸上を続けた。一種の自己脅迫だったかもしれない。たしかなのは、陸上しかない私に、それ以外の手段で芸能に入ることはできないということだった。
そうしたらなぜか成績が落ち始めた。中学では「期待の星」と呼ばれていたのに、入って半年で「堕ちた新星」と言われるようになる。
その時からだった。家族が私を囲うようになったのは。母は私を嘲笑し、姉も便乗して罵倒雑言を口にする。妹はまだ物心ついたばかりでよく分かっていなかったが、台本の練習とばかりに二人の言葉を復唱する。父は、特に私に興味すらなかったと思う。
そうして県大会出場程度の記録で中学は卒業した。
高校は、あまり覚えてない。唯一覚えているのはやはり陸上だった。気の合う友だちが多くできたためか、この頃は調子が良かった。だから家で何を言われようが、私は前を向いて走ることができた。
同時にライバルもできた。同じ部活に所属しているクラスメイトの男子。人当たりがよく、部活以外でも男女に囲まれるような、いわゆる陽キャだった。同じ持久走で、外周の時は男だからって負けじと競う。そのうち彼は私をお互いを高め合うライバルとして認めてくれた。これが何よりの支えであり、この後起こるすべての元凶となる。
高校三年。大会もほとんど終わりを告げ、青春すべてを陸上にかけていた。少しでも世界で活躍できるような選手になるために、大学は必要だった。とくに持久走であれば駅伝。それで有名になった選手は少なからずいるため、私は一般ではなくスポーツ推薦で受けることにした。
夏に行われる高校最後の大会があった。これで全国を逃せば推薦は望めない。そしてそれは彼も同じだった。同じ大学に二人も、しかも推薦を狙っていたのだ。枠は当然一枠のみ。どちらがより良い成績を獲るかによって、お互いの進路は潰れてしまう。
彼はにこやかに言う。
『これでどっちが負けても恨みっこなしだ』
私はそれに応える。
『上等。推薦もらうのは私だから』
勝っても負けても、私は笑顔で泣くだろう。始まるまでそう思っていた。
だから裏切られた。
走っている最中にシューズの底が抜けたのだ。明らかに人為的なものだった。あと半周というところで頼れる一番の武器を失い、私は足裏が血まみれになっても走り続けた。
終わった後、私は泣いた。悔しいのは本当だ。今の私ならきっと彼に勝てると信じていたのに。
会場にて解散となったが、何とも言えない表情をする彼と別れを告げた。一度忘れ物があることに気付いて戻るが、そこであることを聞いてしまった。
『ああ、マジサンキューな。ホント推薦かかってたからさー。昔っからライバル目線送ってくんのつらかったわ』
廊下の陰で隠れて聞いてしまった彼の本音。全て私の思い違いであったことに腹が立った。そしてそれ以上に、
『でもよかったじゃーん。あたしのおかげでワンチャン大学いけるし、あたしも勉強頑張れば同じとこ行けるし』
彼と話していたのは一年から仲が良かった友だちの一人だった。そして話している内容は私のシューズに細工したこと、私に対する陰口、そしてふたりの関係を知るには十分すぎた。
彼のことを異性として見ていたわけではない。ただ、今の今まで私のライバルやの友情とやらがすべて私の空想だったことに裏切られた。
私の中で、拠り所を支えていた柱が折れていった感じがして、そして現実に戻される。
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