第23話 別れ

 それから五か月後。母さんが亡くなった。


 僕と親父は突然病院に呼び出され、病室に入ると、ベッドの上で息を引き取った母さんを目にした。

 父は泣いた。あの日、僕が本音を言った時より酷い表情だった。もしかしたら僕も、そのくらい破綻していたかもしれない。


「最後まで、傍にいてやれなくて、ごめんな……」


 親父は一日中、母の亡き骸の手を握りながら何度も謝っていた。


「これ。母さんが先生に僕たち宛ての手紙として渡してたんだってさ。親父一人で読むべき内容だったから。ここに置いておくよ」


 いつまでも蹲る親父にそう言って病室を出て、僕は一人になれる場所を探した。

 



「キミ」



 

 ふと、声がした。名前の知らない第三者に声をかける時の呼び方だ。

 声の方向からして、僕に呼びかけている可能性もあったため、廊下を振り返ってみる。


 するとそこには、車椅子に乗った女性がいた。口を半開きにしながら、僕を見つめている。

 短髪の黒髪。女優のように大きな目。そして綺麗なソプラノ声。その佇まいからして清楚という形容が真っ先に浮かんだ。そんな女性が僕に何の用だろうか。


「えっと、僕ですか?」


 さすがにこれで人違いだったら恥ずかしい、と思いながら質問するも、その女性は当然のように首肯する。


「何か用ですか?」

「……そっか、もう覚えてないか」


 女性は何事もなかったかのように車椅子を器用に操り、僕に背中を向ける。


「どこかで会いましたっけ?」


 僕が一方的に問いかけるも、女性はこちらを振り返ることなく去ってしまう。一瞬だけこちらを向くが、よく分からないことを呟くだけだった。


 ――キミは自分のすべきことを成し遂げた。だから次は私の番だ。キミの助けなしでも、私は乗り越えてみせる――


 最後まで謎の女性だったな、と首を傾げながら、僕は彼女と反対の方向へ歩き始めた。





 さらに二年後。

 公安として働くのはこれで何年目だろうか。官選の公安とはいえ、国外での任務での実績を認められた実質的エリートではある。まあ、自己評価が高いのは否定できない。


 ちなみに公安警察は四つの課に分かれている。僕は右翼団体や陸上自衛隊の監視や情報収集などを担当する三課に属している。

 また日頃から個人が特定されるような行動はせず、一般的な警察とは違い、任務中も私服で活動している。ほとんどが秘密主義であり、誰にも本名を明かしたりしない。もし他人に職務を訊ねられた場合、こう答えるのがマニュアルだ。


「ユーチューバーやってます。ぶんぶん!」


 そして現在、僕は職質されている最中だったりするのだ。


「あーそうなのね。とりあえず変な恰好でうろつかないでね」

「変って言わないでくださいよ。これちゃんとした私服ですよ」

「あー。みんなだいたいそんなこと言うんだよね。次からは気を付けてください」


 そう言って、僕に背中を晒しながら、手をフリフリして去っていく。僕としては、無防備なその背中を蹴ってやりたかった。

 公道にて、僕が飲み物を買おうと車から降りた瞬間に「不審者がいる」と通報をされ、すぐ近くにいたポリ公が職質に舞い降りた次第だ。

 公安が職質されるってなんだよ、と思われるかもしれないが、どうやら同僚曰く、僕の私服センスは通報されるレベルで壊滅的、だそうだ。


「僕に似合う服をチョイスしてくれる彼女でもいればなー」


 まあ実際、公安という秘密主義な職業であれば、プライベートとの両立を考えると、交際などほど遠い話だ。


 そんな夢見がちな空想に浸っていると、突然スマホの着信が鳴った。

 電話の相手は親父だ。


「はいもしもし」

「辰樹、大至急私のところまで来い。要件はそこで話す」


 いつもよりずいぶんと慌てた声だ。それほど重要な任務なのだろう。


「わかった。今行く」


 僕は夢想を捨てて車に乗り込み、職質されないほどの速度で父のもとへ向かった。

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