第22話 吐露
「よくやった」
月夜に照らされる社長室。照明のついていない閉塞したこの空間で、父は黒いオフィスチェアに背中を預けた状態で僕に言った。
「事の顛末だ。第三課が操縦士の経歴を調べたところ、過去に捕らえた構成員たちとの共通点がいくつか見つかった。これを契機に奴の行動履歴を調べると、たしかにお前が指摘していた通り、テロの構成員ということが分かった」
父はデスクにその男に関する書類を広げた。僕はたいしてそんなことに興味はない。
望んでもない事後報告を聞いたふりをして、僕は本題に入ろうとする。
「それで、北海道は諦めたのか」
「仕方あるまい。政治家を潰そうとテロが動く中、迂闊には出歩けん」
「母さんは」
「……」
僕の質問に答える素振りすらしない。黙り込んだまま、察せと言うかのように目を瞑って腕を組む。
おそらく父は母さんに、急遽中止になったことを言っていないのだ。
言えるはずもない。自分の手配した飛行機に、テロの人間が関わっていたなど。
「おい親父……いつまでその態度なんだよ。言うべきことはそれだけじゃないだろ」
「ああ、そうだったな。米国ではご苦労だった」
「労えって誰が言った! 僕は謝れと言っているんだバカ!」
僕は父の口癖を知っている。今までの発言がその表れであることに腹を立てていた。
「なんだその口は。父親に対する言葉の使い方も忘れたか」
僕の発言に父の表情が強張る。後ろの窓から透過する月光が、中年の顔に刻まれた皺に影をつくる。
頑なに非を認めようとしない父に痺れを切らした僕は、机越しに父の襟元を掴み上げる。急に椅子から浮かされ、必死に僕の腕を掴もうとする。
「これは誰のせいだ? 操縦士を雇ったのは誰だ? 政治家が反社やテロに狙われるこのご時世に、一秒でも関わる人物の身元確認を怠ったのは誰だ! いい加減認めたらどうなんだよ、親父」
「な、なにをっ!」
「アンタはいつもそうだ。自分がすること成すこと全部が正しいと思ってる。間違っていても失敗しても、アンタは責任を取ろうとしない。そして、それで危険に晒された人間に対して謝りもしない」
額がぶつかるゼロ距離で、僕は今まで言えなかった本音をぶつける。
その勢いに圧倒されたのか、父はただ口ごもっていた。
「アンタは失敗したんだよ。一歩間違えば母さんも巻き込んでいた」
行動には責任が伴う。それを無視して、父は母さんの願いを聞き届けようとした。今回は僕が未然に事故を防いだため、二人が死ぬことはなくなったが。
父がここで非を認めなければ、またいつか同じことが起きる。その腐った性根は摘出不可能な癌として残り続ける。
何のために僕は過去に戻り、死ぬはずだった人間を助けたか。それはただ後悔しないためだ。事故に遭う前に、親父に溜めていた本音を言っておけば、もしかしたらバッドエンドは回避できたかもしれない。助けられた命が亡くなることはなかった。
その心意が少しでも伝わったのか、父は威厳の失われた顔面になる。
「……そうだ。私は失敗、したのだ。お前がいなければ、危うく千恵子を失うところだった」
言えるではないか。
感心したわけではないが、僕は父の潔さを見れただけで大きな一歩だと思った。
「アンタは頑固だ。自分が絶対だと思うことが、取り返しのつかないことに繋がったりするんだ。いい年こいて他人を見下すのはやめろ。同じ不完全な人間として受け入れろ」
「……それはできん」
「なんでだよ。アンタがそれを改めない限り一生変われねえんだよ」
自然と襟を引っ張る力が強くなるが、父は表情を変えなかった。
「私は政治家だ。平民を下に見て、私が優でいなければならない」
「はあ?」
「私は、怖いのだ。他人から見下され、裏切られ、そして政治から排除されるのが」
父は泣いていた。その言葉が感情の吐露であるかのように、声にはいつもの厳格さが消え、代わりに時折鼻をすする仕草をする。
「政治家として、私はっ……」
尚も続けるが、その口からは同じ言葉しか出てこない。何の脈絡もない、ただの言い訳のようだ。
しかしその言動で、ひとつだけ分かったことがある。
父はずっと失敗を恐れていた。政治家として失敗は許されないスタンス。そして周りからは期待という重圧をかけられる。そんな逃げ場のない状態で、父は完璧を装った。自分が政治家で在り続けるために。
「結局は、やり直しの利かないことを盾に虚勢を張って怯えているだけの、バカな大人じゃないか」
そして可哀想なほど孤独だったのだ。唯一の支えだった母さんは、体を動かせないうえに余命が短い。だから余計に父の癌は悪化した。だれも信頼できる人物がいなくなる。そんな現実に恐怖し、追われて生きていた。僕はそう感じた。
しかしそれは僕も同じだ。どうして過去に戻ってまで嫌いな父に会い、バッドエンド路線を回避するのか。僕も内心、寂しかっただけなのかもしれない。
「だったら、僕が親父と対等になるよ」
静かに、宥めるように僕は言う。父はこちらを見上げ、どういうことかと聞く。
「親父には支えてやれる人がいないんだろ。だから僕が、その代わりになってやるってことだよ。これでも僕たちは親子なんだ。母さんがいなくなっても、僕が二番目の理解者になることだってできる」
僕は父を本当の意味で知らなかった。頑固なだけで変わることのない人間ではなく、僕の知らないところでずっと怯えていた。それを必死に隠そうとするも、裏目に出ていくばかり。
僕はそんな父を助けたい。
父の頑固さは、僕の鑑写しのようなものだ。非を認めないと意地を張る一方で、僕は偽善を貫き通すことしかできない。
蛙の子は蛙。ずっと言えなかった父への本音は、救いようのない僕の内心と向き合うきっかけにもなった。なら、お互いの欠点を認め合って支え合うことが必要なのだ。
「栄一……」
襟の掴みを緩め、父を立たせる。涙に溢れ、机に手をついたまま僕にありがとうありがとう、と何度も言う。
「親父は政治家なんだろ。だったらその爺臭い泣き方はやめろよ」
言葉一つで人を助けられるなら、人を助けることなんてことはもっと容易いはずなのに――
なんだか、もっと大きな存在を忘れているような気がした。
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