ハッピーエンド
第15話 『未来視の眼』
熱い。
重い。
吐き気がする。
びりびりと感じるのは電流だろうか。
左目だけでなく全身に伝わる痛みのシグナルに、僕はベッドに額をうずめ、頭蓋を抱えることしかできない。唯一視覚の機能する右目でさえ、捉える外の風景が渦巻いて見える。
――ここはどこだ? 僕は誰だ? 何のために何をする?
意味のない問いばかりが交錯し、何かが僕を試しているかのような気がした。
ふと左手に、仄かな温もりを感じた。掌全体を覆うようだったものが、やがて指の間を埋めるように変形する。
これは――手だ。誰かが僕の手を握ってくれているのか。
現実の痛みに耐えていると、徐々に体を束縛していた苦痛がほどけていく。同時に混迷から少しずつ抜け出していくような感覚がした。
――僕は僕だ。天堂なつみを本当の意味で、人生で一番幸せにするのだ。
「う、うう…………」
二日酔いのような呻き声をあげながら、僕は顔をあげる。どうやら左目にコードを刺した時の痛みで気を失っていたらしい。
すると視線の先には、少し涙目のなつみの姿があった。
「なつみ? どうして泣いてるのさ」
僕が心配して顔を覗き込むようにすると、彼女はそれから逃げるように反対側を向く。
「……」
「ゴメンゴメン。心配させちゃったよね。左目にコード刺すとほんの少しだけ気失っちゃうんだ。びっくりさせちゃったかな。ハハハ」
「……」
一体どうしたのだろう。冗談ばかり言う僕にツッコんだり乗ってくれるのがなつみなのだが、今はそれらが一切通用しない。
よく見ると、なつみの右目の瞳が明らかに赤くなっていた。充血するほどのことだったのか。逆に僕が心配になる。
「なつみ、ほら。これで涙吹いて」
僕は紳士らしくハンカチを差し出すも、なつみはそれを一瞥しただけで、ずっと僕と向き合ってくれない。
「……キミ、公安警察だったんだね」
「えっ⁉」
不意に投げかけられた一言に僕の中で衝撃が走る。
それは、僕がなつみと出会ってから今に至るまでの二年間、ずっと伏せてきた秘密であった。
覚醒直後の冴えない頭をフルに使い、状況を把握しようとする。なつみの表情は相変わらず読めない。冗談にしても過度な演出だ。おそらくどこかで耳にしたのだろう。
「……どこで知ったの?」
「未来」
「なつみ、真面目に話して」
「真面目。大真面目だよ。それもこれも全部…………キミが死んでからだったよ!」
言葉と共に僕を睨みつけるなつみ。そして鬱憤を晴らすかのようにベッドを強く叩く。その強烈な敵意の視線に僕の思考が妨げられるが、なつみの右目の色で話の八割方が理解できた。
「そうか……なつみだったんだね。『未来視の眼』を落札したのは」
「それに関しては私から謝る。キミの口座を勝手に使ったんだからね。最悪訴えてもいいよ」
僕は苦笑する。たしかに僕らは同じ籍に入っているわけではないうえに、財産はそれぞれ固有のものだ。侵害することは裁判沙汰に発展することだってありうる。
「まあ犯人が分かっただけいいよ。それになつみなら、悪気があってやったわけじゃなさそうだし」
「そう。ありがとう」
「それで、僕が死ぬ未来を見たの?」
なつみの表情がさらに強張った。同時に目から涙が自然に流れ落ちる。拭いもせず、ただこちらを見つめたままだ。
「そんな未来、私が許すはずがない。キミが無事でいられる未来になるまで、何度だってやり直すよ」
――『未来視の眼』。
それは僕が参加した闇市のオークションの商品となっていた、もう一つの義眼。
『千里眼』を人生の攻略本というのであれば、『未来視の眼』はセーブ機能そのものである。所有者が見た未来を存在しなかった未来として切り捨て、そして運命の分岐点、セーブ地点まで時間を戻すことができる規格外の代物だ。ただし切り捨てた未来を二度と歩むことはできない。
「まさか本当に時間をループできるだなんて……」
商品の情報を聞いた時は『千里眼』以上に真偽を疑ったものだ。なにせ時間という四次元上の概念を操るのだから、フィクションであってもおかしくない。
「キミが『千里眼』を買うって言った時、私はけっこう反対したよね。キミはいつも自分から危険に首を突っ込もうとするけど、それ以上に嫌な予感がしたから。でも私が『未来視の眼』を着けるってなったらキミこそ猛反発するでしょ?」
「当たり前だよ」
僕だってなつみが危険な目に遭うことをなんとしでも避けたい。その一心で僕はこ
の目を買ったのだから。
「でもキミは私が思ってる以上に、強情で嘘つきだってことに気づいたよ」
再びなつみの眼差しが尖る。ひっそりとした声には怒りの燃料を加えられた炎を感じる。
「私が何を言おうと自分より誰かを優先して助けに行くし、私には本当のことは何も言わずに、それで最後は死んでも構わないと思ってる。そんなところが私、嫌いだよ」
(そうなのか……)
僕は表裏のない言葉を聞いて項垂れた。なつみから嫌いだと言われるのは人生で初めてだ。これからもその一言だけは言われないように気を付けていたのに、肝心なところで彼女を傷つけてしまっていたらしい。
「僕は官選の公安なんだ」
「知ってる」
「だから一般市民の君には本当の素性を晒せなかった。それだけは分かってほしい」
「じゃあ趣味がギャルゲーで食べ物には目がなくていつも私に優しくて私を一回も怒ってくれないのも全部……本当の姿をさらけ出さないための嘘だったって言うの⁉ 私はそれが一番怒れてる」
昂った情調で声を張り、静まるように最後の一言を放つ。
たしかに僕には公安としての秘密義務があった。全てを誰かに話すのは巡り巡ってなつみにさえ危険が及ぶと思った。だから僕は本音すら出せないでいた。
そしてその裏で、表向きの姿を見せつけている彼女に対する僕の信頼は失われていった。
結局のところ、傷つけまいとしていた僕の行動は、かえって彼女を傷つけていたのだ。肝心な時に本当のことを話せない。未来で何があったのかは僕の知るところではないが、裏切られたと思ってしまったのは事実なのだろう。
――僕は、彼女とどう向き合えばいいんだ
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