第14話 敗北
ラウンジの床は一瞬で浸水し、水位は胸の高さまでに上った。
(あの〝エイ〟が敵の仲間だったのか……。くそっ、やられた!)
水中には細かい礫が漂っていたり、小さな魚も泳いでいる。つまりこの水はただの水ではなく、一階の大水槽の水だ。
男の言う〝エイ〟が最初から水槽の中に待機、脱出か危機的状況になった時に中から水槽に穴を開けて騒ぎを起こす。そして時間とともに水中世界となる館内から泳いで外へ出る。これが奴らの算段だったのだ。
「っぷは! くそ、もうこんな高さまで……」
口まで水が浸かり、完全に足を盗られた状態だ。ブツを回収しようにも泳いでいくしかない。加えて先刻の水流にブツが既にどこかへ流されてしまったのだ。
しかしこれにより、水中での発砲は防ぐことができる。空気より密度の高い水中では、弾の勢いは殺されてしまい、ほんのわずかしか進まない。
男は牽制できない。僕と対等になったと言える。
そう思って背後の男を見ると、しなやかに体を使ってこちらに泳いでくるではないか。予想以上の速さに僕は慌てて親子に穴から出るように指示した。
「ヤツはもうあなたたちには興味がない。ブツに引きつけられている間に早く!」
父は頷くと、ちさとを抱えながら窓の穴を目指して潜った。
男は横目で彼らを見逃すと、進路を変えず、僕に向かって猛進してきた。僕は一回肺を満たし、水中での活動に切り替えた。
それにしても大水槽の水が多すぎる。足がつかないほどまでにラウンジに水が入り込んでいる。〝エイ〟は一人でない可能性も頭の片隅に置いておき、僕は男から逃げるとともに水中に失われたブツを探す。
しかし気づいてしまった。水中でのブツの破壊は困難だと――
すると僕の右足が強い力で引っ張られる。男に追い付かれたのだ。
(くっ、放せ!)
じたばたと暴れるが、男の握力からは逃れることはできず、水中で宙吊り状態にさ
れる。
逆転する上下。鼻から水が入り込む痛みと、溺水するかもしれないという焦燥感に駆られ、
僕は必死に男に向かって左足で蹴りを入れる。ほぼスローモーションとなった水中では僕の蹴りなど容易く受け流されてしまう。
しかし運のいいことに、左足は男の首の後ろに回った。僕は腹筋にあらん限りの力を込め、男の上に乗り上げる。これにより先程までの状況とは逆転した。依然足を掴まれたままだが、このまま僕が男の上をキープしていれば勝てる。
藻掻く男と水中戦をしている最中、僕の視界の左端に、銀色のものが浮き漂うのが見えた。ブツだ。
男もそれに気づいたのか、僕に押さえつけられている状態から床を強く蹴って勢いよく浮上する。僕も負けじとばかりに腕を伸ばし、ブツを掴もうとする。
(届け――‼)
あと数センチ、というところまで手を伸ばす。
刹那、ラウンジの窓ガラスが一斉に崩壊した。
――パリィン‼
水圧に耐えきれず、外に大量の水が流れ出る。僕の体も男と共に水流に巻き込まれてしまう。ぐるぐると水流に遊ばされ、男の手から右足が解放される。
しばらくすると、僕は外のアスファルトに背中を叩きつけられた。その衝撃と、急に肺に送り込まれる酸素に咽てしまう。
「げほっ、げほ!」
しばらく意識が揺らいだまま安定しなかったが、なんとか膝をつくに至る。
「かはぁ……これで決着はついたようだな、犬」
すぐ隣に放り出された男もよろよろと立ち上がり、何故か勝気な笑みを浮かべる。
「何言ってんだ。すぐそこまでサツさんが来てるじゃないか。逃げ場を失ってるんだぞ」
「フン、ならこれを見ろ」
男は左拳を前に突き出し、その中のものを吊り下げて見せた。
「そ、そんな…………」
男が持っているのはイルカのキーホルダーだった。僕に見せつけるように揺らし、その奥では挑発的な笑みを崩さないでいる。
「我々の任務はこれで終いだ。楽しかったぞ、犬」
拳銃を構え、銃口を僕のこめかみに標準を当てる。もう逃げ場はない。
周りにいた客やら従業員らは、男の持つ銃を見て近づかなくなる。この場にいる全員が戦慄してしまっている状態だった。
男は銃の先についたサイレンサーを外し、躊躇なく引き金を引く。
――パァン
その一瞬で一切が無になった。
暗転した世界の中で唯一反響する叫び声は、女性のものだった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます